月が見ている

「ね、みて。綺麗な月」
 駅から家へと向かう途中。祐美に言われて、僕は足を止め、空を見上げた。
 遠い街の煌めき。街灯の明かり。それらを圧するように、南のほう、高い位置に、真円には僅かに足りない月が、ぽっかりと浮かんでいる。
「本当だ」
 僕は頷く。
「そういえば十三夜だね」
「何それ」
 祐美は言う。
「十五夜なら知ってるけど」
「十五夜は旧暦八月十五日の夜。十三夜は同じく九月十三日の夜。昔は十三夜の方がメジャーなお月見の日だったらしいよ」
「へえ。たしかに、いい月」
 祐美はそう言ってなおしばらく月を見上げていたが、ふと首を傾げた。
「あれ? でもさ、きれいだけど、満月じゃないよね? ちょっと痩せてるって言うか。十三ってことは、これから満月になるところ? わざわざ名月ってことにするの、なんだかちょっと不思議」
「わからないけど……満ちていないのがいいのかもね」
「ちょっと、それ、何にも言ってないじゃん」
「えっと、だから……祐美が言った通り、これから満ちていく月なわけでしょ。完成ギリギリ、っていうか。まだこれから、っていう、その瞬間ってさ、一番いい時かもしれないって、思わない?」
「まだ、これから」
「そう。満月だったら、このあとはもう欠けていくだけなわけでさ」
「これから、かあ」
 祐美は繰り返す。そしてちょっと照れくさそうに、付け加える。
「それってさ、あたしたちみたいだね」
 不意をつかれて一瞬言葉に詰まった後で、僕は笑う。
「そうだね」
 そして僕らはまた歩き出す。

「そうだね」
 玲一が強張った笑いを浮かべる。あたしは密かに恐れを振り払う。
 もちろん知っていた。ほんのひと月足らず前まで、玲一が他の女と付き合っていたこと。
 それどころか、彼女にちょっと気があった知り合いを焚き付けて、玲一から彼女を奪わせたのは、あたし自身だった。
 本当なら、もっとゆっくりことを運ぶべきだったのかもしれない。でも……今がチャンスだと、そう思ったのだ。
 他の男に恋人を奪われて、男としての自信を喪失し、自分に魅力があると思い込みたがっている、そんな感情に、あたしはつけこんだ。
 ずるい? 汚い? わかってる。知られたら何て思われるのか、そう思うと怖い。
 でも、これ以上、我慢できなかった。
 玲一の顔に戸惑いや諦めや痛みを、何度も見なければならないのは、きっとそんなあたしへの罰。
 でも、きっと時が経てば。
 そうだよ、今夜のあのお月様みたいに、あたしたちの関係は、きっとこれから満ちていくんだ。玲一も、いつかきっと、あたしのことだけを見てくれる。そんな日が来る。
 必死にそう思い込もうとしても、気は晴れなかった。
 あの女の影が、空に浮かぶ月のように、どこまでもついてくるような、そんな気がした。



あとがき(蛇足)
十五夜と十三夜、このふたつをあわせて「二夜の月」と称し、これを片方だけしか見ないのは「片見月」といって縁起が悪い、と言う話があります。最初は「二夜とも晴れて月を見れると嬉しい」から「縁起が良い」というところから始まったんじゃないかな、なんて考えたりもしますが、ともかくこのお話はそんな「二夜の月、片見月」をお題に書いたものです。

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