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流浪の月を読んで

読書感想文なんて何年ぶりだろう。
思い出すと自分の年齢を思い出してしまうのでやめよう。
高校生、大学生の頃、電車通学だった為よく小説を読んでいた。
その頃は村上春樹、江國香織などなどを読んで少し歪んだ恋愛とか人生観に思いを馳せていた。
誰も乗っていないローカル線に揺られながら40分始発駅から終点駅までその頃の自分に理解出来ない世界がその本たちにはあった。
本を読まなくなったのは、社会人になってからでもう十数年まともに本を読むことは無くなっていた。
むしろ、そんな余裕も無かったし社会に出るとそれどころじゃなかった。
自分の社会生活はそれなりに波瀾万丈だと思っているし、そもそも幼少期から浮き沈みより沈むことの方が多かった。
そんな日々の中、久々に本を手に取ったのが流浪の月だった。
本屋でふと目にして、そのままレジに持っていった。
何かしら本の引力みたいなものに引かれたような感じだった。
あくまで感想なので、ネタバレしない様に書いていこうと思う。
ただ自分の他にも生きづらい人がいると思えた。
それが率直な感想。
内容は善意とは何か?ということがメインだと個人的には思っている。
世のため人の為に何かしら善意を持って発する言葉や行動が果たしてその人の望むものなのか。
そう疑問を呈されていると感じた。
小さな親切大きなお世話と言う言葉を事あるごとに聞くことがあった。
無用な親切は人を傷つけることがある。
その人の思いを知る事なく、勝手な想像で善意を持ち何かしら言葉にし行動する。
僕はそれはただの自慰行為としか思えない。
そうただの自己満足。
自分が良い人を演じることで酔いしれる。
その時、当事者達はその自慰行為に巻き込まれる。
汚い言い方をすると自己満足のオナペットになる。
自分は最近そんな汚い人間だった。
この本を読んで結局は良い人ぶって好かれようとしただけで、身勝手な自慰行為をしただけだった。
そう思うとその相手にどんな顔をして会えばいいのか、どう謝るべきなのか、どう接すれば良いのか考えてしまう。
事実と真実もこの本の本質的な部分であるが、どんな人にも事実と真実はあって、僕はその事実だけ見てしまった為にもしかすると相手を傷つけてしまったのかもしれない。
もう一つの真実を知らないまま勝手な想像から小さな親切大きなお世話をしていたと思っている。
善意が悪意となる場合があること。
それを久しぶりの読書で思い出した。
スタバで4時間読み続けて悲しくなった。
周りを見渡すと明るく話をする人達、ヘッドホンで音楽を聴きながら勉強する人、本を読む人、色んな人がそれぞれの夜を生きていた。
僕は途方もなく悲しくなって大切に想う人に会いたくて仕方なくなった。



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