見出し画像

女子大学生が、持て余す若さと向き合ってみた

こんにちは。高校5年生です。

ふと思い出し、34回目の『女子大生が「婚活」について考えてみた。』という記事を読み返しました。大学4年生になった今も、「婚活」は縁のない言葉です。ただ、この記事を読んだときに「今の私って(これまでの私もですが)若さを活かせていないなぁ」と思いました。

経済力も誇れるキャリアもない私。もし今、急に婚活市場に出たとしたら私にある価値は「若い」、ただそれだけでしょう。1分1秒経てば少しずつすり減っていく若さが唯一の価値なわけです。
私は今すぐ結婚したいわけではないので婚活市場で考えるのは少しずれているかもしれませんが、それを離れたところでも私の揺るがない価値はおそらく「若さ」くらいでしょう。私を知っている人だったら普段の行いを見て性格ややってきたことを評価してくれるかもしれませんが、私のことを全く知らない人からしたら、私の評価ポイントは多分「若さ」だけです。

そんな唯一の価値を、私は今まで活かせていなかったのです。若さを活かすって何でしょう。何をしたら若さを活かせるのかよく分かりませんが、価値を持て余してきた感覚だけはあります。

そんなことを書いていると思い出すのは、椎名林檎さんの『長く短い祭』。「一寸女盛りを如何しやう この侭ぢや行き場がない」という歌詞があるからです。同じ状況とは思えませんが、若さを活かしようがない今の私が少し重なる気がします。

最近考え事をしていて、思い当たったことがあります。それは、何の努力もせずに手に入っている「若さ」を活かせていない自分は、この先茨(いばら)の道なのではないかということです。先述の通り、若さは今この瞬間もちょっとずつ失われていっております。上手くいく人は、若さを失う代わりに人脈や信頼、キャリア、経済力、家事能力、その他諸々のスキルを手にして生きていくでしょう。一方で私はそういったものをこれから得られる気がしないのです。得たいと思うのできっと努力するでしょうが、得ている自分を想像することができません。なったらなったでそのとき考えれば良いことかもしれませんが、努力せずに使える「若さ」を使いこなせていない自分は、いざ「若さ」以外で勝負しなければいけない状況に置かれたときに、切り抜けられるスキルを持っているのでしょうか。持っている気がしません。
こういったことが一言でまとめられると、「将来の悩み」になるのかなと思います。

「若さ」が武器にならなくなったとき、困らない私でいられますように。

以上、「女子大学生が、持て余す若さと向き合ってみた」でした。
最後までお付き合いくださってありがとうございました。

また次の投稿でお会いしましょう!