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拝啓 noteの新しい使い方してみます。

 これまでSNSを始めても、どうにも長続きしない。つぶやき、エッセイ、感想、レビュー、小説を書いたところで、そもそも反応というものがない。(僕の文章が悪いのもあるけれど、発信したところで誰も見ていないことが多い)

 たまに〝イイネ〟〝スキ〟が付くけれど、それで本当に評価されたのかもわからない。そもそも評価をされたいから僕らは記事を書いたり、作品を作っているのだろうか? 

 もちろん自分が書いたり、作ったものに〝スキ〟が付くのは嬉しいことで、とても励みになるし大切なことは間違いない。でもただ〝スキ〟が付いてその記事が終わっては何か勿体ない気がする。

 記事を書いている人は何の為に記事を書いているんだろう。理由は人それぞれだと思うけれど、そこをちゃんと理解して表現している人は少ないんじゃないだろうか。(僕も含めて)

 どんな人も自分が書いたものに反応が欲しいのは明らかで、反応が欲しくないならそもそもnoteに投稿する理由がない。だから今noteに投稿している人たち全員が、他者の反応を求めて投稿をしているのは間違いないと仮定しいてみる。

 そこで厄介なのが〝スキ〟ボタンの存在。スキを貰ったら嬉しいけれど、正直本当にスキと思ってくれたのかは謎である。そもそもスキという感情をボタン一つで表現できてしまうのは簡単すぎると思う。

 今日誰かの記事に対して、スキボタンを押した人は思い返してみてほしい。その記事のどこを好きになったのか。本当にスキな気持ちがあったなら、どうしてコメントでもスキを伝えなかったのか。その記事からあなたは何を得たのか。その記事を読んでなにかアクションをしたか。

 僕は最近、ただ読んで完結してしまう文章に疑問を抱いています。感想文にしても、小説にしても、記事にしても、ただ読み終わってスキかキライかで終わってしまう文章は、単なる〝情報〟でしかないと思うのです。

 本当に優れている文章というのは、読み終わった後にその人が何かしらのアクションを起こすものだと思います。スキボタンを押されることもアクションには違いませんが、1秒以内に終わるアクションが一番のアクションとは言えないと思います。

 そう考えると、一つのスキよりも、一つの否定コメントの方が、僕は優れたアクションだと思う。わざわざ否定的なコメントしてくれた人は、自分の時間を使ってコメントを考えて反応してくれたのだから、ただスキボタンを押したひとよりもずっと心を動かされた人だと思えるのだ(もちろん否定的な意見を貰ってそこで終わってはいけない。そこから互いに議論を深めることで、互いに考えを深めていける可能性があるからだ)

 今日はここで終わることにする。

 僕かこれから記事を書いていく目的は、表現者たちとの交流が目的です。けれどこれが記事の形を成していないからどうしたらいいんだろう。スキよりもコメントが欲しいので、オシャレな言い方だと〝手紙〟がしっくりを来るだろうか。スキを押してくれる人を増やすよりも、色々一緒に考えられる人を増やしていきたいです。

                               敬具

PS:文体も構成もまとまりもない手紙だけれど、スキではなく、コメントくれたら嬉しいです。
・あなたは何の為にnoteに投稿していますか?
・〝スキ〟ボタンってどう思いますか?
・人生で一番好きな映画はなんですか? 

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