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短編【黒と白の闇の中で】小説


今年81歳になるフィッシャーさんの家はブルックリンの中心からちょっと離れた場所にありました。
4分の1ブロックとまでは言わないけれど、その半分以上は占めている大邸宅です。

フィッシャーさんはこの広すぎる豪邸に一人ですんでいました。
アンジェリカ・フィッシャー。
それが彼女の名前です。

アンジェリカがこの家にやってきたのは彼女が19歳の頃だったそうです。
その頃はアンジェリカ・バキンズという名で住み込みの家政婦として古いトランクケースを一つだけ持ってやってきました。

そこでレイモンド・フィッシャーと出会ったのでした。
19歳のアンジェリカと24歳のレイモンド。
若い二人は瞬く間に恋に落ちた、わけではありませんでした。

実際二人がお互いの恋を認めたのは出会ってから10年以上経った頃でした。
その間にレイモンドは一度離婚をしアンジェリカは二度失恋を経験していました。
その度にお互い慰め合っていましたが雇用人と使用人という関係を崩すことはありませんでした。

レイモンドは公民権運動に夢中になっていました。
1960年代のアメリカはそういう時代だったのです。

レイモンドはキング牧師が議長を勤める『北部キリスト教指導者会議』に参加し、ユダヤ系の白人でありながら黒人奴隷解放のための活動をしていました。

警察からの嫌がらせや度重なる留置所への投獄にも根をあげなかったレイモンドですが、同じ白人からの脅迫が家族にまで及んでいると知って活動をやめてしまいました。

レイモンドの父はブルックリンで幾つかの劇場と多くの酒場を経営する実業家でした。
レイモンドが夢中になっている公民権運動にも反対もせず、かと言って協力もせず、という態度ではあったそうですが息子の事は誇りに思っていたと、フィッシャーさんは話してくれました。

だけど本当の理由は。
レイモンドが黒人解放の公民権運動をやめてしまった本当の理由は、公民権運動自体が過激になっていった事が原因でした。

マルコム・Xやキング牧師の暗殺を発端として、求心力を失った運動はブラックパンサー党の様な暴力的で過激な方向へ向かっていったのです。

それがレイモンドには耐えられなかった。

活動をやめて暫くして二人は結婚をしました。
そして結婚後、ひと月もたたないうちにあの『フィッシャー一家襲撃事件』が起きてしまうのです。

ブラックパンサー党が糸を引いている白人排他主義者による犯行とも、クー・クラックス・クランによる白人至上主義団体による犯行とも言われています。

アンジェリカ以外のフィッシャー家の人々が使用人も含めて全員、惨殺されてしまったのです。

レイモンドは白人からも黒人からも裏切り者というレッテルを貼られしまったのです。
そのレッテルの跡は、剥がしても剥がしても、消えることはなかったのです。



私は取材メモを樫の木のテーブルに置いて、改めてフィッシャーさんの顔を見た。
全てを話し終えたフィッシャーさんは、少し晴れやかな表情をしていた。

『黒と白の闇の中で』
私は、次に出版するルポタージュのタイトルを何となく考えていた。
担当編集の足跳あしとべさんの意見も聞かなければならないけど多分これでいけるだろう。

取材も終わりフィッシャーさんが入れてくれたハーブティーを飲んだ。

「でね、シノハラさん」
フィッシャーさんがハーブティーで少し潤んだ唇を開く。

「実は全部、嘘なの」
「え?嘘?」

フィッシャーさんは、ふふふと笑った。
そして、恐ろしい事実を楽しそうに語った。

話の途中で私は生きてこの館から出られないだろうと自覚した。


⇩⇩別の視点の物語⇩⇩

そして俺は闇の中へ

震える脳

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