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短編【震える脳】小説
アンジェリカ・バキンズがブルックリンにやってきたのは六年前の事だった。
家政婦としてフィッシャー家へ奉公にきたのだ。
そのとき19歳だったアンジェリカは今は25歳になっていた。
フィッシャー家の主人、ミルトン・フィッシャーはブルックリンで劇場と酒場を経営する実業家だった。
元々、ミルトンは小説家になりたかったらしいのだが文才はなく、代わりに商才はずば抜けていたようで一代で富を築き上げた。
ミルトンの自慢はラヴクラフトと言う名の小説家を屋敷に招き、一ヶ月ほど世話をしたという事だった。
アンジェリカはラヴクラフトの小説を一度だけ読んだことがあるが、それは怪奇小説でアンジェリカの趣味にあわず途中で読むのをやめてしまった。
困ったのは、その日から小説に出てきた陰湿で気味の悪い怪物が夢の中に現れるようになったの事だ。だが余りにも子供じみた悩みだったのでアンジェリカは誰にもその事は言えなかった。
ミルトンには一人息子のレイモンド・フィッシャーがいた。
アンジェリカよりも5歳年上で、出会ったころは24歳だった。
レイモンドも30歳になり来年、婚約者との結婚が決まっていた。
アンジェリカは密かにレイモンドを想っていた。
出会ってから六年間、ずっと。
レイモンドが結婚に乗り気ではない事をアンジェリカは知っていた。
婚約者のミシェル・ローグランが気に入らなかった、という訳ではなく公民権運動に夢中だったからだ。
公民権運動。
黒人の人種差撲滅運動。
レイモンドの愛は隣に寄り添う者ではなく、虐げられる者達に向けられていた。
「私、不安だわ」
ミシェルが紅茶を運んできたアンジェリカに言った。
「何がです?」
アンジェリカは紅茶を樫のテーブルに置いた。
「だって、レイったら、私なんかより黒ん坊に夢中なんだから」
「黒…」
「ふふふ、今のはレイには内緒ね。それにマルコ…マルコ…」
「マルコムX」
「そう!あの人の発言も過激だし。レイも同じ考えを持ってるんじゃないかって」
「レイモンド様はキング牧師様をご支持されているんです。キング牧師様とマルコムXは全く違いますよ」
「同じようなもんよ。あら、この紅茶、美味しいわ。ティーバッグ?」
「いえ、茶葉から」
「やっぱり全然ちがうわね」
「少しお包みしますか?」
「あなたが淹れに来てくれるなら。ふふふ、冗談よ。そうね、お願いするわ。母にも飲ませてあげたいから」
アンジェリカは厨房に行き、紅茶の茶葉を小箱に詰めた。
途中、綺麗な花柄の包装紙の束が地下の倉庫にあった事を思い出したアンジェリカは、それで小箱を包もうと思い足早に地下倉庫へ向かった。
地下倉庫はアンジェリカ以外の使用人も頻繁に使うので綺麗に整理整頓されている。
地下倉庫にきたアンジェリカは目当ての包装紙の束を探そうとしたが…。
どうして、包装紙が地下倉庫にあると思ったのだろう。
そもそも、包装紙なんてあったかしら。
そうよ、そんなもの無かったわ。
アンジェリカは思い直し急いで地下倉庫を出ようと階段に向かった。
しかしアンジェリカは地上一階に上がる階段を見失ってしまった。
階段は目の前にあると言うのに。
アンジェリカには階段が見えていないという訳でなはい。
見えている。
それが階段状の物であると認識もしている。
だが、見失っているのだ。
なんとも奇妙なことだが、見失っているとしか言いようのない感覚にアンジェリカは囚われている。
それは階段というものを初めて見て、階段の機能を知らない者のようだった。
アンジェリカは混乱した。
なぜか、地下倉庫から出られない。
地下倉庫から出る方法が分からない。
そのうち、地下倉庫に保管されている物、缶詰めや食器類、衣類などが見慣れない物にアンジェリカは感じてゆく。
変だわ。
夢の中!あの夢の中にいる不気味な感覚と同じ!
いつの間にかアンジェリカの目の前には巨大な肉のが浮いていた。
その肉の塊りからは幾つも肉の触手が伸びている。
その触手は床に壁に天井にと、まるで蜘蛛の巣の様に張り巡らされ、その中央で肉の塊が揺れている。
その肉の塊りは、昔祖母が作ってくれたフライド・ブレイン・サンドウィッチで使った牛の脳味噌にそっくりだと、アンジェリカは思った。
違うのは大きさだけ。
ーお前の望みを言えアンジェリカー
ー私の望みを叶えるならばー
ー私はお前の物語を創ろうー
脳味噌がそう語りかけてくるようにアンジェリカは感じた。
ー言え、アンジェリカー
ーお前の望みをー
レイモンド様がお幸せになりますように。
ー違うー
ミシェル様がお幸せになりますように。
ー違うー
ー違うー
ミルトン様が長生きをなさいますように。
ー違うー
ー違うー
ー違うー
あの女を殺して!!!
ー違う!!ー
すべてを私の物に。
巨大な脳味噌は歓喜に震えながら消えていった。
それから四年後の1969年。
アンジェリカ以外のフィッシャー家の人々が使用人も含めて全員、一夜にして惨殺された。
白人排他主義者たちによる犯行とも白人至上主義者たちよる犯行とも言われ真相は誰も分からない。
ただ言えることは、この『フィッシャー一家襲撃事件』は結婚をしたレイモンド・フィッシャーが二年もしないうちに離婚をし、使用人のアンジェリカと再婚をした翌月に起きてしまった惨劇だと言うことだ。
アンジェリカ・フィッシャーは一夜にして莫大な資産を手にいれたのだ。
あの巨大な脳味噌は今でもブルックリンの屋敷の地下倉庫で宇宙的恐怖の物語を創り続けている。
⇩⇩別の視点の物語⇩⇩
白と黒の闇の中で
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