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志村けん様へ

 拝啓 志村けん様

 初めてお手紙を書かせていただきます。
 私は都内に住む普通の大学生です。今はこういう時世柄、大学に行く機会が少なく、大学生という自覚が薄れつつあるんですが、ぼちぼち元気に生きています。

 あなたに話したいことがたくさんあります。

 私があなたに出会ったのは私が保育園に通うようになってからでした。
 父が見せてくれた私が生まれる前の「8時だョ!全員集合」であなたをみたのが初めてでした。
 あなたはドリフターズの中では1番の若手で、リーダーのいかりやさんによく大きな声や物理行使で叱られていました。当時はこれがボケあれがツッコミでなんてわかりませんから、あなたが変なことをして、しばかれるたびに私は笑い転げていました。当時のネタ(昭和ネタ)で訳が分からなくても、ちょっぴりオトナな話でも、あなたが戯けた顔で変な声を出しさえすれば、私はお腹を抱えて笑っていました。
私のお笑いの原体験はそこにありました。

 私たちの世代に一番馴染み深いのはいうまでもなく「バカ殿様」です。
 私は最初、あの全員集合の志村けんとバカ殿様の志村けんが同一人物だとは思いませんでした。なにより、若い頃のあなたの姿が私の中では鮮明ですから、言ってしまえばこんな白塗りのおじさんがあの志村けんな訳がない!と思っていました。でも、あなたはずっと面白かった。白塗りでちょんまげのカツラをかぶっていようが、あなたの破天荒な笑いは全員集合の志村けんと一緒でした。だから、同一人物だということに納得するのにそう時間はかかりませんでした。
 ただ笑っているだけで良い、幸せな時間をたくさん、あなたがくれました。

 いかりやさんの訃報が流れたのは私がまだ保育園の頃でした。
 当時は訳が分からなかったのですが、いかりやさんが死んじゃったということは母から聞かされ言葉だけなんとなく理解しました。「あの志村けんをボコボコ殴ったり怒っていた人がもういないんだな」というそういう認識でした。子供ながらに「もう怒られなくてすむね、よかったね」と思っていました。
 でも、追悼特番で流れた映像や私が能動的に見る全員集合では相変わらずあなたはいかりやさんに怒られ続けていて、なーんだ死んでもまだいるんじゃん、と漠然と思っていたのを覚えています。
 
小学生になった私は、一人っ子で両親が共働き、おまけに低学年の時期に入れるはずの学童保育に入れなかったので鍵っ子でした。
 当時は今より小さな都営住宅の一室に家族3人で住んでいました。体がランドセルより小さかった当時の私からしたら十分大きな部屋で、平日はほぼ毎日家で志村さんの映像を見ていました。父が買ってくれた全員集合のDVDから、VHSに録画したバカ殿様。私は友達が少なかったですが、一人の広い部屋には志村さんがいるから全然寂しくありませんでした。
 何度も同じコントを見ては、同じところで笑い、同じセリフを繰り返し、同じオチでまた天を仰ぐ。私の毎日は志村さんのおかげで誰よりも充実していたと思います。
学校で流行りのアニメの主題歌を歌っている同級生を尻目に私はドリフの早口言葉をずっと歌っていました。得意ではなかった体育の時間にはずっとヒゲダンスのリズムが頭の中を駆け巡っていました。
 帰ったらまたドリフをみよう。生きることにわざわざ意味なんか見いだす必要がなかった少年時代にも、私の生きがいは母親が帰ってくるまでの時間に好きなコントを見ることでした。あなたは私を笑いで簡単に何度も救ってくれました。

 2020年3月、あなたが例のウイルスに感染したことが公表されました。
 国民の誰もが完治して、入院していた時のことを面白おかしく話すんだろうな。多分その時のエピソードトークの主軸は「若い短いスカートのナースが看病してくれて〜」とかなんだろうな、と絶対大丈夫。世界で一番私を笑わせてくれたあなたはこんなくらいのことでへばることなんかないさと思っていました。

 3月下旬、あなたの訃報がテレビ画面の上に無機質な白い文字で表示されました。
 その時間寝ていた私を母はゆすり起こし、半分寝ぼけた状態で情報番組の「速報」をぼんやり眺めていました。
 嘘だ嘘だ嘘だ嘘だ嘘だ
次第に覚めていく脳が心底憎かった。
耳が、頭が、体が、あなたが「死んだ」ということを理解していく。
嘘だ嘘だ嘘だ嘘だ嘘だ嘘だ嘘だ
あなたと、長年志村動物園で共演しているハリセンボンの春菜さんがカメラの前で嗚咽している。体が震え始める。
あなたの最近の写真かな、笑顔が画面いっぱいに映っている。アナウンサーが神妙な声色で情報を読み上げている。春菜さんはもうほとんど喋れていない。

「志村けんが死んだ」そのことが私の体に、人生に一気に駆け巡りました。

あんまりじゃないか。
あんまりじゃないか。
私の少年時代を、今の私という人間を作ったヒーローが、なんでこんなウイルスが原因で死ななきゃなんないんだ。あんまりじゃないか。何を憎めば良い?
私はソファの上で寝癖をつけたまま俯き続けました。
あんまりだ。私だけじゃない…いや、他の誰でもない私がとても悲しく悔しかった。

すぐに追悼特番が打たれたんですよ。
すごいことですよね、民放のゴールデン帯であなたを尊ぶ時間が流れたんです。幾夜も。
でも、当たり前ですよ。あなたぐらいの人は何日かかっても伝えきれるわけがない。あなたはいろんな人を「笑い」で幸せにしたんです。
私はそれが見られるのが嬉しい反面悲しかった。
あなたは私の世界ではまだ生きている。スピリチュアルの其れではなくて、物質として生きているような気がしている。そりゃあ、親族や近しい関係者の人間ではない、ただのファンですから、当たり前なんですけど。それでも、そうやってあなたを語る芸能人を見るたびに、あなたがどんどん「伝説」になってしまう感覚があります。伝説ではあなたに会えない。どんどん幻に近づいてしまう。そんな感覚がとても嫌でした。

YouTubeにあなたが昔やっていたコントの映像が多数あげられました。
悲しくなるから自分からはなかなか見れずにいました。でも、その時はなんでだろう、何気なくその動画のサムネイルをタップしていました。
あなたは手元の小さな画面の中で真剣にお笑いをしていました。その姿は私が小さい頃熱中して見ていた其れでした。涙は流れませんでした。
気づけば、私は爆笑していました。

なんで死んじゃうかなあ。もう少し長くあなたを見ていたかったなあ。
高木ブーさんがあなたの追悼特番で言っていたんです「志村は死なないの。ずっと生きてる」そうだよな。

わかりやすく変な顔をしなくても、今はどこが面白いのかはっきり説明できる。あなたに出会ってから、それだけ年月が経ちましたよ。今も画面に映るあなたはここにいる大きな少年を幸せにしていますよ。

なーんだ死んでもまだいるんじゃん。

12月になって、やっと本心から書けると思います。
ありがとうございます。ゆっくりお休みください。

謹言恐惶
加藤孝


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