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私、今日イラついてます


 帰りの駅でバスを待っていると、N大○中高の中高生の集団に割り込まれ思わず舌打ちしてしまった。やらかしたことは仕方ない。周りのバス待ち客も彼らに睨みを利かせる。そんな中、彼らは三々五々《覚えていろよ!》という雰囲気でガードレールを蹴ったり舌打ちしながら改札へ散らばっていった。

 この数年抑え込んでいた感情がこの1ヶ月に爆発している。続けて。
職場で時間過ぎに仕事を押しつけられ私はイラついていた。文字通り涙を押し殺したのは何年ぶりだろう。喉の奥を流れる塩水の味はヒリヒリとしたものだ。就労移行支援事業所でチームリーダーに選ばれなかった時以来だった。
 でも、自分自身の人生まで誰かのサブで終わるのはごめんだった。
 そう、それは仕事がオフのときのことだ。仕事場の行き帰りの時間ぐらい自分のものだ。腹式呼吸しようが、車窓の外を見ようと、家族のことまで頭いっぱいいっぱいだと、どこかで感情の洪水を起こしてしまう。

 帰ってから手を洗い顔を洗い、鼻も洗いうがいをして、それでも落ち着かない。イライラしたときの頓服を飲み落ち着く。その頓服薬も今日で切らした。受診日まで気分調整薬を以前通りに戻してみるか。

 確かに私も帰りの途中、雑踏の中でそうせざるを得なくて電車待ちの列の隙間を割って入り、舌打ちされた。一瞬イラッとした。スクランブル交差点のある近くの駅だもの、いくら万年工事中だからといって、あのホームの動線だって構成が悪すぎる。

 人のせいにすればキリがないが、件の「中高生の集団」に割り込まれるという状況について、ほかに割り込む事情がないのに度胸試しかカモ探ししかしていないと思われる状況だった。

 一般的なマナーの問題としてマナー以前だし、親や学校教育が果たすべき役割は何なの、という疑問にたどり着く。親は金払って子どもを放り込めばそれでおしまいという無責任な人だろう。学校ももちろん事なかれ主義。どこに怒りをぶつければいいのか。

 もっとも悪意のある今回のような割り込みに対する対処法として、より効果的なコミュニケーション方法を提案したい。ここまで書いて今更感はあるが、自分と相手の立場を理解し、相手に自分の意見を伝える方法を考えたい。自分達はコミュニティーの住人であり、彼らはその中を突き抜ける格好で家と学校を往復する通りすがりである。コミュニティーを破壊しようと思ってやっているわけではないと思うが、結果としてコミュニティーの和みを壊している自覚はあるのか。そして教育の場もまたコミュニティーであり、それを壊すことが何をもたらすのか想像をしてほしい。

 学校に意見を伝えるのに黙殺される可能性が大きいので(利害絡みで)こういうnoteという場を苦情代わりに使わせてもらった。

 「明日以降仕返しが心配」という気持ちが一瞬よぎる。だが、如何なる集団も如何なるコミュニティーも、若年者を年長者が教え導くスタイルだけは普遍的ではないのか。もちろん若者から教わることもあるが、コミュニティーを治める経験知というインプットでは、年長者がもっと先頭に立って良い。私はそう思う。

 思わず「舌打ちしてしまった」状況について、自分自身の反省と改善点を挙げるのであれば、今日一日イライラしていたという自分軸の事情と、あらゆる相手のあらゆるニーズに応えなければならない(突然忙しくなった!!)相手軸の事情もある。

 自分自身の疾病に即してアクションを起こすなら、バス待ちをしないで歩いて帰る、過去の私の体験に沿って中高生の集団の行動にイラつかないようにする、意識しない、相手にしないといった忘却も必要だ。


 以前にも彼らの学校の先輩に当たる生徒達がたむろしていてそこに「おい、そこはおまえたちの居場所じゃないんだぞ!」と凄んでいた人がいた。がたいのいいおじさんだった。彼も今日の私と同じような状況に陥った人だったようだ。彼らの学校の生徒は一朝一夕にたむろをやめないだろう。これからも怒鳴る、怒る人は絶えない。

 彼らではないが、電車の出入り口で妙齢の女性を数人で取り囲んで脅迫している男子高校生達がいて、私は周囲の注意を買うことで彼らをにらみつけ、事なきを得たこともある。

 コミュニティーを破壊する人に怒る人には「私も同じ経験があります」と共感を示し、共に励まし合いたい。


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