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「お母さん、本当のことを教えて」

〜はじめに〜


2023/12/04(月)
 幼なじみの旧姓Sさんから返事が。15歳の子がいるという。今後一切返信も夫の手前があるからと断られた。大ショック。清々しさはない。住所なし。仮にホスピスに入った親友がいたとしても返信先なしの郵便は送るまい。

〜本題〜


 都郊外ももちろん、他県近郊でも、一定の代々の「身分」が下なら上の人の子との婚姻もままならない。歳をとった独身者はいきおい、ネット婚活に身をやつして歳の低い遊び本意の群れに投げ出されてしまう。ネコの群れに投げ込まれるネズミのようなたとえしか浮かばない。
 開国以来この国はこの弱者を犠牲にする点で全く変わっていない。封建令和万歳状態なのである。

 身分差への恨みの中、一生を一人で終えざるを得なかった人々の苦しみが、私の胸中で追体験される。歴史は繰り返され、万物は流転する。
 個人差や能力、努力、運不運に負けたのではない。親から引き継いだ身分に負けたのである。障害を負ってもなお。
 家庭を持てなかったどころか、地域の中でつまはじきにされ、屈辱の中で育ちそのまま生を終えるしかない定め。何を恨んでも恨み切れない。いっそのこと生まれてこない方が良かった。親子のためにも。

 もとはといえば私の家の名誉を考えると卑しくはないとは思う。妹はまともに家庭に入っていて、一方、障害持ちで独身の私はパートナーほしさに本質的にだらしない人々の群れに身を放り出さざるを得ず、正しい仲を求めようにも周りがそれを許さない。つまり私の個性や人望なんてその程度のものか?それが亡父がよく口にしていた言葉で言う「運命」ならこれほど酷なことはない。

 マッチングアプリや結婚相談所や友人の紹介に正しい結婚相手を求めるのはやはり間違いか?それしか方法がないなら私は自ら命を絶ちたいぐらい苦痛をおぼえている。
 そこまで見下げられて生きるなんてこれ以上我慢できない。いつもも自分の最期ぐらい自分で決めたいぐらいの気持ちがないと誇りを持って生きるのは難しくなった。それも時代のせいか?

 幸せにすごしている他人の犠牲になっても、その見返りに面倒見の良いパートナーがいつかついてきてくれるわけもない。母にはいくら強調しても分かってもらえないまま平行線のままだ。
 もしかして私は例の妹とちがって、私は身分が低い人との私生児か父が認知しなかった子だから就職でもうまくいかなったのか?いくら妹の処世術がうまいからといっても(そう比較されるだけでも苦痛なのに)説明のつくものでもない。最初から障害を得てしまう体質だなんて分かっていたわけでもない。
 そして大きくなって独力で家庭を持つためのパートナー探しをして何度も壁にぶち当たり、気づけばこの歳になってしまった。子孫を残す適性がなかったのか。


 もし私が生きているうちに私に、もっと嫁さんをあてがう等よくしてあげればよかったと少しでも思うのなら、なぜ、私が元気なうちにそうしてくれなかったのですか、お母さん?あなたがまだ生きている今だから問いかけたいのです。
 答えてください、本当のことを知っているのならば。身分違いの子だとしたらそれで飲み込みます。何も教えてくれない、察しなさい、と逃げないでください。
 恨みは残ります。要は私をそれぐらいの存在としてしか見てなかったのですね、妹の時と違っていつも私の結婚には反対しているとは。繁殖と一族を繁栄させるのはどんな生き物にとっても根源的な欲求です。それさえ否定する身分制など人間様が作り上げたもので歴史上何回もひっくり返されてきました。あなたはそれを良いものだと思っているのですか?人間はサルや他の群れを作るだけで反省のない野生動物とは違うのです。
 生きることに絶望しない限り、失望しない限り、私は私を陥れてきた制度と戦って自分のパートナーぐらい自分でもぎ取ってからしぬ覚悟です。

〜結びに代えて〜


 それでも、今日から私が失踪したらそういう訳があったと思ってください。過去は帰ってきませんから。私にはもう明るい未来はありません。幼なじみの旧姓Sさんの返信先がない手紙は、私にとってみればいわば私をしなせるための「死刑執行令状」に等しいのです。

2023/12/05 記事はここまで

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