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随想・憎むべきは嫉妬心、或いはムのココロ

(2023/10/28、自Xから。)

変奏曲「壁」

 有名人・著名人・小説家等と一般人との間にある壁。
意識できないのが我等 #統合失調症  者、
意識しても表に出さないのが健常者。
こういう表現の仕方でガラスの天井を表して伝わるだろうか?テレビの中の大谷氏に夢中になる老母を眺めてはじめて、「壁」の存在をヒシヒシと感じる。「壁」は憎い。

 人は、他人は、話し相手がたとえ高校で学年トップだったことをおぼえていても、決してそれを言葉に出して褒めはしない。その場にいない第三者を褒めはしても、その場の人間を貶しはしても褒めはしない。有名人・著名人と一般人との間にある「壁」の歪んだ亜型は、同窓会でもよく感じる。

 つまり、超えられないと認める他者をベタ褒めすることはあっても、そうでもなければ沈黙するか貶すかどちらかでしかない。人は心の中でそうした相矛盾する「序列」を作って、心の安定を図っている。私も含め凡人はそこで苦しむ。それぞれ個性が違うから「壁」も一筋縄ではいかない。


小さな親切何とやら

 アラフィフで独身だと将来不安だろうから、と同級生がいろいろと世話するよと持ちかけてくれてはいる。冷静になって考えると、それは私が独身であるために「こいつを助けねば」という斜め上の目線を感じる。友達の紹介で結婚相手は悪くない。だが見下げられはしても褒められてないのは確か。

 これでも私の立場なら皆さんは我慢できるだろうか?前職でも似た体験が二度あり、二度ともお流れになっている。おじゃんである。

Of human bondage

 「人の縁」って果たして嫉妬を超えることはできるのだろうか(私見ではできないと思う、経験則上)。

今日はここまで。

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