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靴底の記憶

薬指と足元

 今日ほどゴム底靴の似合う年齢とジェンダーと身分について考えたことはなかった。
 私は通勤電車に乗ると、向かいに座った異性が感じのいい人だと、思わず目が行くところがある。両手の薬指である。何も飾りがないことを確認すると、次は靴を見る。
 ゴム底靴であったりすると若いなあと、自由で良いなあと思ったりする。ただ、手入れの行き届いていない靴だったときには多少幻滅するのは、自分で靴掃除をする習慣がついたための習い性かもしれない。

靴底の履歴

 私が学生の頃、私は男性なのだが、おしゃれっ気もなにもなく体育のハンドボールの授業で履きつぶしたスリーストライプの靴を常用していた。駅の階段で、いまでいうとスタン・スミスの靴を履く男子学生を見ると30年前の私を見る思いがしてくる。コンバースには縁がなかった。
 男性も女性も、いったん、就職という門をくぐると革靴をはき続けるかまたゴム底靴に戻るか選択を迫られる。私の見たところだと、妹を見て思うのだが寿退社するまで(姪の学費のためまた革靴、即ち正社員に戻るらしいが)革靴を履いていたように思う。
 私も学生の期間は長い方だったが、あと一息だった。しかし、仮に人を教える立場に就いていたとしても革靴と白癬との付き合いは避けられなかった。
 たまに登山靴に履き替え北アルプスを縦走することもあったが、院生にしてはにあわないものだったらしいと聞く。山で愛用の靴の底はビブラムだった。山に誘ってくれた父は病没してはや10年経とうとしている。

靴底とジェンダー

 今は先生や学生をサポートする立場である。それでも、ゴム底靴の人を見ると、大変だけど選べるなら異性の方がよかったのだろうかと思案するときがある。
 いつぞや書いたとおり、私の家系は女系家族であった。私自身も幼い頃からの写真や言動や与えられたものを見ると、明らかに男性とは見られていなかった。中学に入って卒業するまでの時代と性別がもたらしたギャップには、いまだに思い出すだに閉口する。
 今は本当に私の世代、その前の世代の努力もあってすごしやすい世界が広がりつつある。男性が女性らしくあり続けてもいい、推しを押し通してもいい。ゴム底靴の記憶は私にとってなかんづく、ジェンダーの記憶である。

2024/01/11 ここまで

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