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海図を読めない船乗り:人間とAIと(長文注意)


ノーバート・ウィーナーとcybernetics, あるいは'Kubernetes'(操舵手)

 私が初めてウィーナーについて知ったのが、80年代の終わり頃だった。当時、私は英語学を学ぶただの文学部生であり、司書課程でサイバネティックス(cybernetics)とはと講義の一端で耳にした程度だった。
 図書館とウィーナーがどうやって結びつくのか、イメージがつかめなかったのである。参考までに、当時はMS-DOSでワープロソフト(一太郎)や表計算ソフト(DBⅢやLotus)を実習で使うような環境だった。参考までに経済学部や商学部の人達がCOBOLを扱っていた。
 大学図書館で参考文献リストを作成するときもIBM製の端末を使って細々とやっていた憶えもある。これが、私とパソコンとのなれのそめである。
 ちなみに、標題の「操舵手」とは、cyberneticsの語源であるギリシャ語kubernetes(英語表記)の和訳である。後述のマン・マシン・インターフェースで触れるつもりだが、マン(乗組員→脳)とマシン(船→機械)のインターフェース(仲立ち)をするのが操舵手という仕組みで私は理解している。操舵手の役割かその存在そのものか、どちらをcyberneticsと捉えるかあいまいではある。
 余談だがマキャフリーのSFシリーズ『歌う船』は操舵手が宇宙船と一体化していて、その手足である乗組員が別個に存在するという世界観が示されている。

金色の羊毛を求めて・海図のない航海

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