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秋と北海道②

気がつけば10月も一週間ほど過ぎた。
北海道では既に最低気温が一桁とかそういう世界だ。これでまだ暖かい方だからうんざりする。
内地から観光に来る方は思ったより寒いと感じるので、防寒準備はしっかりと。まぁ来るなら夏がおすすめだ。東京より湿度の関係で気温同じでも涼しく感じる。建物少ない田舎なので風も気持ち良い。
それ以外の季節は基本的にオススメしない。寒いので。北海道は言われているほどそんなに良いところじゃないと思う。自然も食べ物も景色も内地の方が気軽に行ける場所が多い。隣の芝は青いのかそうでもないのか、自分が思うには関東辺りのほうが幾らでも面白いところあると思う。
長所と言えば道が広いだけじゃないだろうか。一度内地でレンタカーを運転した時、道が狭すぎて驚愕した。

北海道の道は基本二車線以上

ともかく秋である。既に4日前ではあるが当時はまだ少し暖かった。旭川の神楽岡公園で珍しく開放メインで色々撮った。
オールドレンズの開放は暴れる印象だが、最近お気に入りのCanon 100mm f3.5はそのF値の暗さだからだろうか、いい感じのボケで気に入っている。特にその日は天気が良かったので、何となくレンズに沢山の光を通したくなったのだ。

おおよそ60年前のレンズだが、その質の高さに惚れ惚れする。当時はカラーフィルムが貴重だったらしいので、モノクロがメインだろうか。ボケの形、周辺減光、色収差、ピント面のシャープさに、当時の光学技術を用いて何とか鮮明に目の前の風景をネガに刻もうという、レンズを作った人達の執念みたいなものを感じる。
そういう情念は現代のカメラを通して写真に現れる。
金がなく仕方なくオールドレンズを使っていたが、もしかしたらそういう所は案外自分は好んでいるのではないだろうか、そんなことを思ってしまう。

何でもギリギリが好きだ。
破綻ギリギリな彩度、ボケ、感度、予算、機材、思考、人生。そういう制限された、あるいはオーバーした所から生み出されるものは力を持っている。良きにしろ悪きにしろ、クリエイターはそういうものを大事にするべきだと思う。自分もそう在りたいが、凡人思考なのでなかなか上手くいかない。

つまらない写真は撮りたくない。少しでも誰かの心に引っかかる写真が撮りたい。そう思っているが、実際シャッターを切っている時は案外何も考えていなかったりする。
「あれ?この光の感じ良いんじゃない?」「あそこの雰囲気良いなぁ」「人が来た!チャンスだ!」
まるで子供である。もうちょっと腰を落ち着けて撮るべきだと思うが、これがなかなかそうはいかない。ファインダーを覗いたり覗かなかったり、そうやって適当に写真を撮るのが無性に楽しい。
これが20代の若者だったら可愛げもあろうが、40近いオジさんがこんな感じで公園を彷徨いていれば不審者だ。まぁ今のところ通報されていないからセーフと思おう。

型落ちのカメラと情念を感じるカビの生えたレンズと子供みたいなオジさんが、絞りを開け、北海道の秋を撮る。
そんなどこか残念な感じの写真が、この広い世界の端っこに、まぁあっても良いんじゃないかなって、僕は思うのだ。

次の休みには、またどこか撮りに行くとしよう。

※でも多分あと一回くらい神楽岡公園が続きます(本当に一杯撮ったのです)。


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