Seurat

別人格の死屍累々な言葉遊び

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最近の記事

淡さ

写真を撮ることが好きだと思う。 でもそれは、写真を撮ること自体が好きなのではない。 レンズ越しに見える世界が、今体験してる空気感とは違った、どこか物語の中に吸い込まれたような、そんな感覚に陥る。 その感覚を日常の中に取り入れた瞬間、当たり障りもない、ノイズじみた毎日に淡い色を入れていく。 特にフィルムカメラで見た世界の時。 フィルムカメラはそもそもシャッターを切った瞬間から現像するまでどんな世界になっているのかはわからない。フィルムの種類にも左右される。偶然と運命の狭間で

    • 最高の提供とは。

      • 常識

        人々は日々罵詈雑言を陰で並べて、一般と異なった努力をする人より秀逸だとバイアスをかけたがる。 彼らは「常識とは十八歳までに身につけた偏見のコレクションのことをいう。」というアインシュタインの言葉を知らないのか、それでも群れることに対してなんらかの優越感を得ているのかわからないが、人を見下すことに対しては群を抜いて素晴らしい。 しかし、彼らの標的となる人は、それと戦って勝たなければならない。 その勝者こそが、人から羨ましがられる優れた人になれる。 つまり、あの人が言って

        • 別れ

          別れは悲しい。素晴らしい言葉だ。人間の偽善的な深層心理を突いたわかりやすく非情な言葉だと思う。 別れはなぜ悲しいのか、この世界で出会えたことに感謝して出会えてよかったと素直に思うことはできないのか。誰が別れを悲しいものと考えたのかはわからないが、別れは出会いを経て行われるものであり、別れが悲しいなら出会わなければ良い。出会ってしまったことには必ず別れが生じる。しかし、悲しいのに人は出会いを求める。人間の本質はいかにも読み解きづらく、面倒なものであると思う。

          飲んでカラオケに行くテンプレ的な大学生

          大学生はお酒に触れる初めての年となる。そんな人たちは、お酒を飲むことが正義!と言わんばかりに毎週、なんなら毎日のように飲み会をする。 そこで、お酒を飲むという行為の後に必ず付き纏うものがある。 それはカラオケだ。 人は酔っ払うとカラオケに行きたくなるという習性がある。しかも、それは毎回のように行われ、不思議なことに、どこの大学生と飲んでもカラオケに連行される。 生産性は全くない。マイナスをゼロに戻すための場所であるからだ。 テンションの高い酔っぱらいたちは酔って呂律も

          飲んでカラオケに行くテンプレ的な大学生

          己と異

          ディズニーランドにしろ旅行にしろ普段とは違う環境に身を置く自分はどこか浮いている。 ふわっとしたこの感覚は新鮮だか、非常に疲れる。非日常な環境に早く慣れて日常にしたいとは思うが、この新鮮さを失い当たり前になることは必ずしもよいことではない。理由はまだ明白ではないが、新しいことを当たり前にすることは良いことばかりではないということはわかる。 新しいものがたくさん目に入るが自分の目と脳の処理スピードでは処理しきれないものがたくさんある。 なので、浮き足立ったような気持ちになり、周