女子刑務所での処遇(教育)プログラムの効果とは?
今回の書籍はこちら
「Offender Rehabilitation Programmes : The role of the prison officer」
Laura M. Small and Paul M.W. Gackett, 2023
刑務所の処遇って、犯罪者の立ち直り(再犯防止)にどれくらい効果的?
今の刑務所処遇には、どんな意味があるんだろう?
性別によっても犯罪様態や犯罪に至る過程が違うと言われるけれども、立ち直り支援のメニューにも違いは必要なんだろうか?
そして「管理・統制」(保安)のプロフェッショナルである刑務官の、
処遇者(教育者/支援者)としての役割・機能って、どうなってるの?
・・・そんな疑問に答えるべく、膨大な関連研究を分析した書籍です。
章立ては、刑務所や刑務官、受刑者のリハビリテーションに関する国際的な動向を辿るところから始まり、研究の方法、刑務所文化(風土)、治療レディネス、個別のニーズ、実践をめぐるあれこれ・・・と、多岐に渡ります。
刑務所処遇研究に関する動向を把握しようと思ったら、こちらの一冊を読めば、その概要・流れが掴めるという内容ですね。
興味深いのはこちらの2点
個人的に興味深かったのは、やはり「女性受刑者の刑務所処遇と立ち直りの関係」、そして「刑務所処遇における刑務官の役割」でしょうか。
2023年度末から「刑務官」に焦点化した研究を練り始めました。
刑務官といえば、なんとなく「厳しい」「怖い」「融通が効かない」などなど。
同じ保安職の警察官や自衛隊、海保がドラマや映画でカッコよく描かれる一方で、刑務官を主人公にしたドラマは少ないですよね・・・。
最近では『モリのアサガオ』というドラマで刑務官が主役級で扱われたのが最後(最初?)でしょうか・・・。とはいえ、このドラマは拘置所を舞台として、拘置所で死刑囚を担当する刑務官を描いたもので、厳密にいえば「いわゆる『刑務所』で勤務する刑務官」とは異なる職務や方針のもとに仕事をされています。
そう考えると、「一般的な刑務所の刑務官」を主役級にしたものは極めて少ない(ほぼない)と言えるでしょう。それだけ「刑務官」は社会から隠された(?)職業の一つと言えるわけです。
ですが、刑務所処遇の歴史を紐解けば、「厳しい」「怖い」「融通が効かない」というイメージとは全く異なる様相が見えてきます。
職人芸的な処遇技法、(刑務所の指標によるが)受刑者との静かな攻防、ストレスフルな環境をサバイバルする刑務官同士の絆(人的資源/ネットワーク)・・・
複雑かつ不可視的な「技」があるのだろう、そんな予測が立てられます。
そんな「技」と「刑務官」の実態に迫るべく、
その手がかりを求めて、関東圏内にある男子刑務所で、複数の刑務官達と処遇に関する座談会を行いました。そして2024年度も別の男子刑務所で同様の座談会を実施する計画を立てています。そのほかにも、複数の「刑務官」に関する調査研究をスタートして、その謎に迫ろうとしています。
その観点でも、こちらの書籍は示唆的といえます。
女性受刑者の刑務所処遇と立ち直りの関係
私自身が「女性」ということもあって、
拘禁施設での調査研究も「女性施設」で許可が降りることが多いです。
(というか、フィールドワークを伴う質的調査なので「男性施設」では調査を実施しにくいのです。受刑者のストレスや心情への配慮的にも・・・)
この書籍の中で注目した第一点目は、そんな調査上の事情にも関わります。
女性施設での調査が多いのはもちろん、
私が「女性受刑者」に着目するのは、受刑者の背景に「育児」「介護」等々の家庭的な課題や困難が垣間見えるからです。女性の働き方改革!が求める女性像は、まさにスーパーウーマン(笑)。私自身もそうですが、仕事・家庭・育児・介護・・・・。どれも「間違いが許されない」と思うと、日々をこなすだけで精一杯になり、自分を労わる時間(瞬間ですら!)も持つことができない時期がありました。特に、コロナ禍での「家の中」が「職場」「学校」となった時期は、まさに地獄。その疲弊した中で、日々を生き抜くために「ラインを踏み越えた」り、我を忘れて「踏み越える」ことは、誰にでも起きる。
そのことをあれほど実感したことはありませんでした。
実際に、刑務所内での調査で出会う受刑者の多くは、
育児や介護、仕事の問題で孤立したり、パートナー(家族)との関係不全に陥っていたり、地域のネットワークと途切れていたり・・・など、多問題が見受けられます。そうした苦しい背景を持つ人が「ラインを踏み越える」のか、苦しい背景を持つ人たちが司法システムに乗っかりやすい社会的・構造的な問題があるのか・・・なんとも言えないところですが、私にとって大きな関心ごとです。
そんな彼女達が「立ち直る」ためには、苦しい現実を生き抜く知識と技術が必要です。刑務所処遇も、こうした背景を前提として、再び「非合法的な手段」に頼らないように、ラインを踏み越えないような力を身に付けさせるべく、刑務所内のカリキュラム充実に努めているわけです。
この書籍では、日本の刑務所処遇での理論的基盤にもされている「RNRモデル」に継承を鳴らしています。RNRモデルは、Risk(リスク)-Need(ニード)-Responsivity(応答)の略で、効果的な犯罪者処遇の方向性として、①再犯リスクに応じた密度、②再犯に結びつく要因を焦点化、③一般的・個別的に応答性の高い方法の採用を重視します(Andrews & Bonta, 2010)。書籍は、このRNRモデルに基づき構成されたプログラムとして、OBPs(Offender-Behaviour-progurammes)を紹介・検討している。本来、犯罪者処遇に効果的というエビデンスの認められるRNRモデルであるが、実のところ、それほど効果が上がっていないという批判もあるようです(p.2~3)。20世紀の「(司法の)介入の効果はないのでは?」というペシミズム的な矯正悲観主義の時代を経て、1990年代のRNRモデルの台頭は「個人の変容の促進」「公共の安全の向上」という点でも期待高まる展開だったようです。
とはいえ、女性受刑者の・・・と考えると、まさにRNRモデルが「リスク」に着目するがゆえに、個人の生活の質や状況と噛み合わないという事態が起きてしまうようです(P.6~5)。この指摘は重要で、例えばアディクション系の問題をRNRモデルで対応しようとすれば、高リスクな状況を避けるために、行動制限を求めなければなりません。〜には行かない、一人では行動しない・・・などです。
それが特殊な状況下で発生する「犯罪行為」であれば、行動制限をしても日常生活には支障がないでしょう。しかし、私が「悩ましい」と思うのは、例えばクリプトマニア(窃盗症)の場合、盗んでしまうというリスクを避けるために、「買い物に行かない」「コンビニに行かない」「スーパーに行かない」「一人では行動しない」といったリスク回避策が提案されることがあります。確かに、今のご時世、ネットスーパーを使えば買い物も困らないわけですが、人とのコミュニケーションの機会を創出する「外に出る時間・経験」が制限・奪われてしまうわけです・・・。
そもそも日本的な「家族観」は、まだまだ食に関する家事の多くを「女性」に期待・分業しています。「女性」という生き方にとって、「買い物」は家族の健康に関わる重要な任務です。お腹いっぱい食べさせるだけではなく、栄養バランスを考えなければいけませんし、学校や保健指導では「旬のものを食べさせてください」「好き嫌いなく食べさせてください」「食に興味を持つように、一緒に買い物の経験もさせてください」等々。全てをオンライン化して済むような状況・環境ではないわけです。クレプトマニアを例示しましたが、育児や家事の主たる担い手として期待される女性は、「仕事」だけではなく「家事」においても必要とされるタスクが多い。そのため、既存のプログラムでは処理できない状況を生み出してしまうのだと考えられます。
刑務所処遇における刑務官の役割
そうだと分かった時、「せっかく刑務所を出所して社会生活に戻れるのに、再犯しないためには外に出ることはできないのか」「現物を見て買い物をすることもできないのか」「親として役割を果たせなくなるのか」・・・と、まぁ、落胆するだろうことは想像に難くありません。
実際、私自身、コロナ禍での外出制限も結構こたえました(苦笑)
書籍の「治療レディネス」の章でも書かれますが、教育や治療に対する前向きなモチベーションは、その効果を高めるという点で(効果が継続されるという点でも)非常に重要です。では、そのレディネス形成に重要な役割を果たしているのは誰なのか。
先行研究においては、日々の生活を管理・援助する「刑務官」の影響力が重要だと示されます。これは「刑務所風土」の章でも指摘されますが、刑務所がどのような理念(枠組み)のもとに管理・運営されるかという点です。受刑者ー刑務官関係が相互尊重的・人権的・受容的なものとして構成されていれば、刑務所は受刑者にとって「緊張感が高く、ストレスの多い空間」から、「立ち直りに向けて安心して前向きに取り組める空間」へと様変わりします。
そして書籍の中で、私が注目したのは「thinking culture」(p.52)の形成です。
考える文化を刑務所の中に作り上げていく・・・ということでもあるのですが、
日本の少年院教育(矯正教育)では、このthinking cultureが非常に大事に、大事にされてきました。それは昨年度出版した書籍『教育の〈自由と強制〉: 矯正教育におけるナラティヴ実践の機能に関する教育学的研究』でも触れていますが、ライティング(識字)・スピーキング(対話:モノローグ/ダイアローグ)など、様々なレベルで試みられてきたことでした。
こうした風土を受刑者の中にも、刑務官の中にも作り上げていく・・・
お互いの考えや思いを深め、それを言語化していく過程は、
受刑者にとっても「受刑するに至った過程に必要だったもの」であり、
「社会復帰する過程で必要となるもの」でもあります。
「人」という社会の中で生きていこうとすれば、見えない心の中を言葉で可視化する作業も必要ですし、それを「日常的」とする空間でトレーニングすることも必要でしょう。その過程が「更生的風土」の形成にもつながってくるのだと思われます。
そして、少し触れられているのが「刑務官文化」(Prison officer's culture)です。この点は、今まさに取り組んでいる研究課題ですが、官僚的な組織性と同僚を支える強固なネットワークの両立です。日本には「武道」という特殊・独自のコミュニティ性が重要な役割を担ってきました(これは今年の学会で報告予定)。
この刑務官文化は欧米的なそれと比べて、日本はかなり独自です。
何せ火器等で武装せずに、丸腰で生身の刑務官が対置するわけですから・・・。
近年、日本の刑務所は高齢施設化しているとは言われますが、そういう刑務所もあるけれども、活発な若者の多い刑務所もあるわけです。刑務所の特性に関わらず、どこでも一律「丸腰」です。そして、「拘禁刑」導入を控えて「教育」を頑張ろうという動きに対応するという、新たなタスクにも直面しています。
読後感
研究のスタートは先行研究レビューにある・・・わけですが、こちらを一冊読むと、イギリスを中心とした刑務所処遇研究の概要を掴むことができます。
こうした海外の刑務所研究の書籍を読むと、
諸外国での刑務所研究の領域的な広さと深さに驚くわけですが、
同時に、日本における刑務所研究の狭さと浅さにも気付きます。
基本的に法学が中心的(支配的?)な領域であることも原因でしょう。諸外国の研究群は社会学・心理・教育学などあらゆる領域が「刑務所」という問題を共有して取り組んでいることを考えれば、これからは様々な領域に門戸を開く必要性があります。