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【最適化】子育てに手を抜くのは悪か

子供のためにベストを尽くすほうがいいのはもっともだけれども少なくとも無駄に手間をかける必要はないのではないか。
夫婦で会社を切り盛りしている立場の私だからこそできる見解を述べようと思います。

まず整理するべきは
「子供にとって将来、本当につらい経験とは何なのか」
ということ。
それは、『帰る場所がない』ということだと思うんです。
帰る場所って何?
土地や家ではないですよ。
親という「存在」です。
そんな存在になれる親とはどんなに素晴らしいものなのか。
私の経験を踏まえて考えてみます。

まず、私の仕事と重ねたいので綴ります。
私がお仕事で大切にしていることは、無駄な手間暇をかけないことです。
なぜなら無駄な手間暇をかけた経費はお客様が支払うことになる。「そんなの会社が支払ってよ」という声が聞こえてきます。
それに反論すると、善意として会社が負担をし過剰なサービスを続けた場合、一時はお客様を喜ばせることができるけど徐々にじり貧になっていき、本当に必要なサービスを提供できない、人を雇えず既存の従業員さんに給与を支払えない。 結果倒産した場合、未来の私たちの仕事を必要としている方々に応えられない。 既存のお客様のアフターフォローもできない。 お客様も従業員さんも私たちも誰も得をしない。
ポテンシャルが皆無で助成金等で税金を食うだけの会社はさておき、ですが。
オンリーワンの会社はいっぱいあります。
そんなことで簡単に終わらせてはいけない。

これは、子育てに関しても同じです。
子供にとって本当に必要な手間とは何でしょうか。
長く継続できるように、バランスを取り工夫をすることが大切だと思います。
この例えからすると、倒産とは親子関係の破綻を意味します。
親は会社、子供はお客様、従業員さんはお世話になっている方々ですね。
そんなになってまで子供は嬉しいですかね。

親が一方的な理想や時代にそぐわない常識や、見栄や地位などに縛られてそれを押し付けてまで立派な大人(たぶん)に成って互いに納得できますかね。
いや、その「立派」に圧倒的な根拠があるなら子供のためと認めますが、そもそも子供と親は30才差とかある場合が多いですよね。
当時の常識をアップデートできている親がどれほどいるのかな。

「うちの親はダメなところもあるけど、憎めない。」
それくらいの感じがちょうどいいんじゃないかなって思います。

上の世代の方の「私の頃は女はこんなに大変だったの」「だからあなたもこうするべき」
みたいな圧力って、参考までには良いけれど押し付ける行為に善意って何%あるんですかね。
例えば「母乳で育てないなんてありえない。」
仮にそれが子供にとって悪影響としましょう。
ただし、それのせいでお母さんが鬱病になったら子供は幸せですかね。
子供は人間。
親も元子供の人間です。

・冷凍食品?使いましょうよ。冷えないですよ関係性は。
・寝坊した?仕方がないですよ。子供がしっかりしますよ。
・子育て間違えた?間違わなくても子供は行きたいほうに行きますよ。

いろいろ間違っても、子供に対する誠意と敬意があれば、子供は遠回りして帰ってきます。
逆に子供を所有物にして「いいこ」にしちゃうと、年を取ってからこじらせることがあります。

これは、私の経験なのであくまで個人の意見と思ってください。
私の場合は、父親に理不尽さを覚えながらも愛情は感じており、父の死後もそれを思って死に物狂いで頑張ることができました。
今はそんな私を支えてくれる人たちのお陰で生きています。
そんな私の人格を作ってくれた環境に、その環境を積み重ねてきた両親や先祖に感謝できます。
感謝できることは、どんな人の人生にとっても有意義なはずだと思っています。
感謝は、あえてするものではありません。
感謝とは自然に出てくるもの。
させてもらえるものです。

もし、自然に感謝できることがあったら喜びましょう。
勝敗で言うなら、人生の勝ち組ですね。
くだらない押し付けや、非合理的な風習、知らない誰かが作った特に商業的な価値観は無視しましょう。
そもそも商業には流行り廃りがあるので。

結論としては、『親と仲がいい』ことが子供にとって一番の幸せだと思うんです。
子供を愛するのは当然として、子供に愛される親になりましょう。
その条件として無駄なものを削いで、本当に大切なものを残しましょう。
本当に大切なものはそれぞれの経験の中でご本人が一番よく知っているはず。
一つの答えはありません。
できれば愛されることを意識せずに、それ(本当に大切だと思うもの)を残し続けることがそれ(子供からの愛)に繋がることだけ考えましょう。

長くなってしまった。。
程よく手を抜いて快適な子育てを★


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