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26 さよなら、僕の平和な日々よ

 廊下の角で様子を伺うと、職員室を出てこちらに向かってきた。
 僕はしゃがみ込んで身を潜めて相手を待つ。ふと思い出したかのように、美佐子さんから預かったリュックを床に置いて、中から唐辛子スプレーを取り出し、ポケットに入れた。 右手にはコンドーム風船、左手にはチョーク制のダーツの矢だ。
 いよいよ男の足音が最接近を告げた。僕は身を乗り出し、コンドーム風船を投げつける。
「わっ……はぁ?」
 男は一瞬驚き、それから頼りなく宙を滑るコンドーム風船に呆気に取られた。僕は男の反応に構わずチョークダーツを投げつけた。
 バンッ! という破裂音とともに、白いチョークの粉が舞う。男はとっさにさがりはしたものの、チョークの粉の目つぶしをくらい動きに隙ができた。僕は男との距離を数歩でつめ、側頭部狙いで蹴りをおみまいした。
「うわっ!」
 男はなすすべもなく壁に叩きつけられた。しかしベルトに挟んでいた銃を取り出し、狙いもつけずに発砲した。
「わっ!」
 今度驚くのは僕の番だった。しかし僕は簡単に避けられたので、ついでに銃を持つ手首ごと蹴り上げた。ポケットから取り出した唐辛子スプレーを使おうとしたのだが、使い方を完全に間違えた。
「うっ……げっほっ! かっ……うぇぇっ!」
 目に吹きつけようとはしたんだけどね? とっくに目つぶしはしていたし。思わず男の口の中にやっちゃったんだよね……………
 もちろん激辛のスプレーだ。男は辛さにむせて咳き込んでいる。その隙に僕はリュックを取りに行き、戻ってくると、男は立ち上がろうとしていた。
「ごめんね」
 先に謝ってから、僕は男の延髄めがけて踵落としをお見舞した。ごとんという音を立てて、今度こそ男は昏倒した。僕は先ほど美佐子さんにレクチャーされたように、両手・両足と口をガムテープでぐるぐる巻にした。
『あんた、平気?』
 イヤホン越しに美佐子さんの声。こころなしか、心配どころか楽しんでいるような響きがある。
「なんとかね。あぁ……僕ってこんなに非常識な人間じゃなかったのに」
 あぁ、どんどん常識が壊れて行く………
『あたしに育てられたくせに何言ってんのよ』
 おや、自覚はあったんだね。自分が非常識だって。でも知っていても直す気がないんだから、始末におえないよねぇ…………
「とりあえず、こっちは一人。そっちは?」
『おほほ、だれに物言ってんのっ!』
 鋭く叫んだかと思いきや、遠くで激しい衝撃音。
「美佐子さん?」
『誘拐なんてちんけなことするから、こういう目に合うのよ!』
 どうやら美佐子さんは応戦中のようだ。僕が話しかけたせいで気が散るなんて程、繊細な人じゃないけど、ま、一応ね。黙っておこう。
 さて、僕の方ではこれだけ派手に物音がしたっていうのに、ほかの援軍は来ないところを見れば、どうやら美佐子さんの方に集中しているようだ。みの虫二号はこのまま廊下に転がしておいて、二階へと駆けつけた方がいいだろう。
 僕は廊下を走った。が、途中で男が落とした銃を拾いあげる。本物……だったよね。
 うん、このずしっとした手ごたえ……本物……
 今更のように緊張と恐怖が背筋を走る。しかしもう引き返せないところまで来てしまったのだ。
 こうなったら開き直ってやけくそだ!
 僕はズボンのベルトに銃を挟んで再び走った。それから二階へ向かい、階段を駆け降りる。
「うわっ!」
「わぁ!」
 しかしお互いに突然の対面で、僕も驚いたが、仲間を気にして三階へと行こうとした男と階段の踊り場でぶつかった。男が銃を構えるより早く、僕は男の腕をつかんで地面に叩き伏せる。衝撃で銃を取り落とした。僕は男を押えつけたままで、今度こそ唐辛子スプレーを正しく使った。
「うわっ! いっ……!」
 暴れたくても、僕が腕をがっちりとつかんでいるせいで、男は暴れることもできない。悲鳴をあげて仲間を呼ばれても困るので、僕はやはり口にも吹きかけてやった。
「うっ、くそっ、なっ、げほっ!」
 だがしかし困ったな。気絶させるにも男から一度手を放さないとならない。放せば、僕にも危険の度合いが増すわけだし。
 片手で男の手首を固定したまま、美佐子さんから預かったリュックの中を見ると、ガムテープやテグスのほかに、便利なものを発見した。
「効果あるのかな?」
 取り出したのはスタンガンだ。スイッチを入れると、バチバチと放電する様がやけに痛そうだが……
「ごめんね、我慢して」
 僕はそう言ってスタンガンの先端を男の首筋に当てて、スイッチを入れた。
「うあぁ!」
「!」
 男の大絶叫が響き渡る。やばい、殺しちゃった? と一瞬本気に思うほどの悲鳴のあと、男はくたりと動かなくなった。
 マジ!
 男から手を放した僕は、慌てて首筋に手を置いてみる。脈があるのにほっとした。
『殺したんじゃないわよね?』
 まさか美佐子さんにこんなセリフを言われるとは。可能性なら僕より美佐子さんの方がずっとありそうなのに。
「スタンガン試したんだよ。すごいね……ほんとうにやっちゃったかと思っちゃった」
『あら、そんなに効果あるの? もらったのよ、それ』
 スタンガンを美佐子さんにプレゼントするなんて、頭の方は相当イカれてる人物だな。
 危険な人間に危険なものを渡すなんて、正気の沙汰じゃない。
「こんなもの美佐子さんにくれるなんて、マトモな人間じゃないね」
『今度会ったときに伝えておくわ。ところで、何人目?』
「二人。美佐子さんは?」
『あんたがいた時に捕まえたのを入れて三人』
 これで五人。残るは何人だ?

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