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05 必然の集う場所

 雨が降ってきた。
 本気で憂鬱になってきたあたしは、盛大なため息をついた。
 先月、必死でバイトをしてためた資金で、生まれて初めて海外旅行をしたあたしは、お土産にアンティークドールを選んだ。
 あたしは元々、古いものが大好きで、大英博物館に行くのが子供の頃からの夢で、海外旅行を計画したほどだ。だからといっていくらアンティークだろうと、実のところ人形にはまったく興味がなくて、ぬいぐるみすら持っていないあたしは、購入して日本に戻った後、なぜ購入したのだろうかと激しく後悔した。
 旅は人の心を開放的にしてくれるらしい。だからこそ、好きでもない人形が、欲しくて欲しくてたまらないものに思えたのだ。きっと。
 大英博物館を見学したあと、確かにあたしは夢見心地だった。毎日でも通いたいと思ったくらいだ。そんな気分のまま街を散策し、古びたアンティークショップに足を向けた。
 そこで出会ったのが、 件の人形なのだ。
 大きさは三十センチほどのビスクドール。金髪碧眼というありふれたモチーフ。製作者は不明。工房名もなく、無名の人形作家が個人のために製作したものではないのか? ということだった。保存状態はそこまで悪くないが、ずっと買い手がつかず、店主の父親の代にはすでに店にはあったという、筋金入りの売れ残りだった。
 あたしは一目見て欲しいと思ってしまった。
 どうしてもこの子が欲しかった。なぜそこまで欲しいと思ったのか、それはあたし自身が一番知りたい。本当に興味なんてなかったのに、どうしても欲しくてたまらなかったのだ。
 あたしはすべてのお土産代を使って、その人形を購入した。
 日本に戻った後、あたしは毎夜同じ夢にうなされることになる。
 夢自体は怖くない。だが毎夜、見知らぬ少女を夢に見るという状態が怖いのだ。
 その少女は日本人の少女だった。断言できる理由は、少女が黒髪で清楚な日本人的な顔立ちをしていて、仕立てのいい着物を着ているからだ。
 絢爛に咲き誇る紫陽花の傍らで、少女は微笑む。優しそうな微笑の中には、少し悲しそうな色が浮かんでいて、あたしはそれを見るたびに、胸が締め付けられるほど切なくなる。
 そして目が覚めると、決まってあたしは泣いていて、赤く腫れぼったい目で大学へ行くたびに、失恋したのだろうと言われ続けている。
 さすがにもう二週間、こんな状態では気味が悪いし、あたしの体調もおかしくなる。友達に相談したところ、このビスクドールの呪いだということになった。
 でもねぇ?
 もしそうだとしたら、夢に出てくる女の子は、外国人じゃないの? 普通はさ?
 でもこの人形を手にしてから、この夢に悩まされるようになったのだ。そこであたしは人形を手放すことに決めた。
 けれど、ただ捨てるのは怖かった。本当に呪われたら、夢どころではない。そこでインターネットで人形供養をしてくれる神社を探し出した。
 大学を休み、電車で地方都市までの長い移動。乗り継ぎを重ねて、半日がかりの移動の末、たどり着いたのは小さな無人の駅。
 さて、やっとおさらばと思いきや、あたしは神社までの地図のコピーを、電車を降りる際に落としたらしい。
 どんなにポケットを探しても、見つからなかった。
 そして最後の不幸はこの雨だ。
「やだもぅ……本格的に降ってきちゃったよ!」
 どこへ向かいたいのかわからない。コンビニでもあればそこで雨宿りをしよう。
 ところが……
 天空に稲妻が走る。
「!?」
 恐怖に身を竦ませた次の瞬間、鼓膜を叩く落雷の音が響き渡る!
「ぎ、ぎゃぁ!」
 雷が怖い私に、更なる不幸は訪れる。バケツをひっくり返したかのような雨、と言う表現を地でいく大雨が降り注ぐ!
「もうやだぁ!」
 半泣きで走り出したあたしの目に、暖かな光が飛び込んだ。アンティークな景観の喫茶店のようだ。
 こんなずぶ濡れでは、お店に迷惑だろうと思ったが、再び稲光が光った瞬間、あたしは扉を開けていた。
「きゃぁ!」
「!?」
 入店するなりの悲鳴に、店主は面食らったようだ。その直後に響く落雷の音。
 あたしは怖いやら恥ずかしいやらで、顔を上げられなかった。
「いらっしゃいませ。よろしかったら、こちらをどうぞ」
 優しい声色に顔を上げると、のりの利いたシャツに蝶ネクタイ、黒のスーツパンツに腰にした黒のエプロンの男性が、タオルを差し出してくれた。
 ネームプレートには、『ke・lala店主 土田』とある。
「あ、あの!」
 急に恥ずかしくなり、あたしは赤面した。店主は優しそうに微笑み、改めてタオルを差し出してくれた。
「どうぞ、お使い下さい。ひどい雨ですね」
「す、すみません…あたし、雷が怖くて」
 言い訳がなんだか情けない。店主は責めるでもなく優しく微笑んだ。
「えぇ、大きな音がしておりましたね。確かに、あれでは外を出歩くのが怖いですね。雨が止むまで、休んでいかれませんか?」
 ふんわりと珈琲のいい香りに気付いた。タオルを受け取り、まずは顔を拭いた。髪や服などを一通り拭くと、店主は先に立ち上がり、私に手を差し出した。
 恥ずかしいけど、ちょっとうれしかった。
「珈琲屋さんですか?」
「紅茶もお出しさせていただいております」
 あたしが立ち上がると店主は手を離した。ちぇ、なんてね。
 店主は会釈してカウンターの中へ戻って行った。あたしはひと通り店内を見回す。
 窓際に面した位置には、アンティークなデザインのテーブルセットが三つ、店の奥には塗装は剥げかかっているけれど、淡い光でライトアップされた箱型ピアノ、そしてその裏には蓄音機。
「うわぁ……素敵……」
 もろにあたしの趣味のど真ん中。大雨に感謝だわ!
 あたしはカウンターに座った。店主はあたしにメニューを差し出したが、同時にあたしは口を開いていた。
「マンデリンある?」
 店主の手が止まる。あたしの注文に頷いて見せた。
「はい」
「じゃ、それで」
 そう言うと出しかけていたメニュー表を下げた。んー、ちょっと失敗したかな?
 実はあたしは珈琲にはちょっとうるさい。いろんな珈琲を飲み比べた結果、あたしの口に合うのはマンデリンだと知った。それから、どの店でもついマンデリンを注文するようになっていたけれど、初めて来るとことなのだし、メニューくらい見ておけばよかったかな?
 店主は一人分だからか、布製のネルドリップを用意した。サイフォンやペーパードリップもあるようだが、あえてそれを選んでくれたのなら、うれしい。ネルドリップは扱いが難しく、珈琲の専門店でも扱わないところが多い。だが珈琲を最大限おいしく飲みたいのなら、ネルドリップが最高だ。
 しかも手つきが洗練されていて、迷いがない。流れるような手つきに、正直うっとりと見とれてしまいそうだ。
 だがあたしの幸せ気分をぶち壊したのは、ビスクドールの入ったかばんだ。
 それが床に落ちた瞬間、あたしは蒼ざめてあわてて拾い上げた。

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