31 さよなら、僕の平和な日々よ
「携帯の電源は切って。時間がないのは理解してもらえているわね?」
「まぁ……でも僕は一応普通の高校生なんですけど?」
確かに美佐子さんは非凡だし、状況も非常識なものだけど、僕自身は一般人なんだけど。
「あら、そのわりには平然としているじゃない?」
大林さんはくすりと笑った。年上ながら、笑顔は魅力的。
「美佐子さんが普通じゃないから、普通じゃない人に慣れているだけで、僕は平凡な人間です」
つまりはそういうとこだ。今の僕の感覚は麻痺してしまっているのだろう。だからといって同類扱いは認めないぞ。
まったく、人をそっちのカテゴリーに入れないで欲しいな。
「どうかしら? でもまぁ、いいわ。良一君に頼みたいことがあるの。あたしが合図したら、稲元君を連れ出して欲しいの。バイクの運転はできる?」
免許はないが……したことがないわけではないな。
「一応……」
花田武雄巡査名義で、運転したことはある……
そういえば、あのバイクはあのあとどうなったのだろう? 今も空港に置きっぱなしだろうか? あの時は田崎さんもいたわけだし、色々と事後処理はしてくれていたと思うので、なんとか持ち主に返されたと……思いたい。
しかしそれを僕は言わなかった。
「じゃあ鍵を渡しておくわ。稲元君を連れ出し、この場から離れること。稲元君を安全なところに連れ出したら、美佐子に連絡して頂戴。いいかしら?」
僕は鍵を受け取った。まいったな、これじゃ僕完全に美佐子さんと同業者じゃない?
「そっ……あの、僕はセットフリーターの仕事はしてないんですよ?」
そう言うと大林さんはニヤリと笑った。
「いいかげんに観念したら? 美佐子はそうは思ってない。違う?」
「うっ……」
確かに。嫌だと僕がどんなに否定しても、美佐子さんは僕を巻き込んだ。それに可能性という未来を予測してみても、巻き込むことは決定付けられているような気がする。
「それにね、君の同級生が今、危険な目に合っているのよ? 助けてあげたいと思わないの? 仮に君にそういう良心の呵責がまったくなかったとしても、そうすることだけが君と美佐子の命綱なのよ?」
脅しだよ。
でもこれでなんとなくわかっちゃった。
「うわぁ……汚い。内閣情報調査室って、一般人に脅しをかけるのも仕事なんですか?」
「……へぇ? それが君の推測?」
大林さんのアーモンド形の瞳が、すっと細められる。僕はそれに気付いたが続けた。
「まぁね。この際どこでもいいけど、日本とどこかの国が絡んでいるんですよね。政治家と左翼団体の問題なら、政府はどうなろうとも黙認していた。けどそこに日本以外の国が関連しているから、日本国政府は動かなくてはならなくなった。じゃあ動く機関はいったいどこ? 可能性としては警察の上層部。警察庁とかさ。でも大林さんがそれを否定しているから、消去方で国内外の情報を収集・分析する内閣情報調査室かなって」
この予想が当たったところで、僕は何も面白くない。
前回のジューンの一軒で、CIAとジューンの間に田崎グループが介入した。そして田崎グループは財政界に強く、特に警察界には影響力が強い。
そしてその田崎一族の中でも、最も権力を持つ一人、田崎警視監と僕は一度だけだが、会って話をしたために面識があった。
田崎義信警視監。美佐子さんの信奉者であり、僕のパパの最有力候補の田崎守さんがいうには、内調に影響力があるんだよとのこと。
さっき大林さんは、僕と美佐子さんが言うことを聞くことだけが、命綱だと脅した。つまり大林さんは、美佐子さんとの繋がり以上に、僕ら親子のことを知っているんだ。
つまりそれは内調の関係者だってことなんじゃないかな?
最後にはため息を交えて吐き出すと、大林さんは面白がるようにして僕を見た。
なんだか前にもこんな場面あったような……
「素敵よ、君。この職業に向いているかも」
なんで僕はこの手の人種にスカウトされるんだろう?
僕は普通に生活したいだけなのに。
大林さんの手が僕の頬を撫でた。僕は顔を背けて逃れる。
「結構です。前にも似たようなお誘いはありましたが、僕は平凡なサラリーマンになるのが夢なんです」
心から本気で僕がそう宣言すると、大林さんはくすくすと笑った。僕と視線が合うと、一層おかしそうに笑った。その顔は冗談だと思っているのだろうか?
「本当に美佐子に似てないわ」
大林さんはずいっと僕に顔を近づけた。
「似なくてよかったと、本当に心から思っています」
憮然とした表情を浮かべてそう言うと、ますますおかしそうに笑った。
「でも今回だけは、腹をくくってもらえるわね?」
「今回だけですよ」
「ありがと」
「!」
大林さんは僕の頬にキスをした。僕は驚いて大林さんを見ると、大林さんはにっこりと微笑んで僕の手からGPS発進機を取り去った。
「さぁ、行くわよ。この先口は開かないで。手で合図するから、よく見てね。君の最優先事項は稲元君を助け出すこと。もしも状況が悪化してそれすら不可能となった場合は、稲元君のことは忘れて逃げなさい。勝手な言い分になるけれど、そういった状況下で、慣れていない良一君が、一人でがんばろうとした結果、あたし、稲元君、良一君と増える犠牲が増えるだけだわ。わかった?」
「……了解」
本当に勝手な言い分だよ。稲元を助けろといいながら、いざとなったら見捨てろということだ。本当に僕がそうするかどうかはわからない。でも、少なくともわかったことは一つ。
僕はこういう割り切り方が嫌いだ。つまり、こういうアンダーグランドな仕事は向いてないね。
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