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12 さよなら、僕の平和な日々よ

 トイレは危険………犯人たちも人間ならば、生理的な欲求には逆らえない。いつトイレに来るのかわからない。教室はある意味安全だが、僕にとっても敵にとっても広すぎて警戒しにくいところだ。安全とは言い難い。
 どこだ……?
 どこが安全だ?
 少なくとも僕が自由に動けそうなところは……
 音楽室なんて……どうだろう?
 少なくとも防音なので、物音や声が漏れにくいはずだ。これだけで僕の行動制限が少なくなる。ただそれだけに、僕が敵に気付きにくいという短所も持ち合わせるが、長居をしなければいいだけだ。
 よし! 音楽室へ行こう!
 音楽室へは北側に位置するこの教室から、東棟へと向かわなくてはならない。東側には第一音楽室、第二音楽室、それから音楽準備室がある。隣は第一美術室、第二美術室、美術準備室とある。それからあるのは東口階段くらいだ。
 僕は慎重に移動しながら、徐々に近付きつつあった。その時美佐子さんからメールが届き、僕はバイブレーションになっていたにもかかわらず、飛び上がりそうになる程驚いた。しかしここで内容を見ている暇はない。ともかく、音楽室だ。
 音楽室の前まで来ると、東口階段の手すり越しに人がいないことを確認する。それから振り返って後方の安全をもう一度確認する。真っ直ぐに伸びていく廊下に、人の気配は感じられなかった。僕は深呼吸をして、第一音楽室に近づいた。
 中からは人の声はしない。それもそのはず、防音だ。
 心臓が緊張に高鳴る。そっとドアに手をかけ、少しだけ開けて耳を済ます。
 物音も人の声もない。
 僕はそっと開いて中に入ると、ドアが音をたてて閉まらないように慎重に扉を閉めた。
「……はぁ」
 音楽室にも明かりはついていた。すると犯人は一度、ここに来ているということだ。そして人がいないことを確認したはずだ。ここに来ることは当分ないだろう。それでも気は抜けない。僕は教壇の机に背を預けて床に座った。本当なら机の下に隠れた方がいいのだろうが、用具入れの中よりも窮屈そうだ。少しは体の緊張をほぐしたい。
 それから美佐子さんから返信があったのを思い出し、僕はメールを見てみることにした。
『依頼料金は体で払ってもらうわよ。今後、あたしの仕事を手伝いなさい。文句は言わせないわよ?』
 とあった。あのう……僕はまだ依頼をすると決めてないんだけど?
 僕はがっかりと肩を落とした。本当にもう、どこまでも身勝手な人なんだから。
 僕は緊張で凝った肩を片手で揉みほぐしながら、美佐子さんに電話をすることにした。
 コールは三回。美佐子さんが口を開く前に、僕の先制”口撃”を開始。
「もしもし、美佐子さん? どこまで鬼畜になるつもり?」
 開口一番、できるだけ平坦な、不服丸出しの声で言うと、美佐子さんは軽く驚いたようなリアクションを取った。
『あらやだ、あんた電話できない状況だったんじゃないの?』
 美佐子さん、語尾が笑っているように聞こえたんだけど、まさか面白がってはいないよね?
 僕は不信を咳払いで飛ばし、改めて口を開いた。
「さっきまでね。とりあえず音楽室に移動したんで、短時間なら電話できるよ。ということで、もういいよ。美佐子さんはセットフリーターの仕事の準備でもしなって。僕はこれから警察に電話するからさ」
 これが一番の解決法だ。警察に事情を聞かれるのは僕だし、面倒なことにはならないだろう。
『ちょっと、勝手に決めないでよ』
 どっちが? と思う僕は、自己中心的なんだろうか?
「これが一番安全で確実だよ。警察が来るまで捕まらないように努力する。僕は平和的に物事を解決したいんだ。美佐子さんが出てきたら、困るのは僕じゃん? 稲元たちや用務員のおじさんになんて説明するのさ?」
 ど派手な美女が突然現れて、救い出してくれるなんて状況を、そう易々と受けとめて納得できるはずも無いだろう。さらにそれが僕の母親ならば、なおのこと。
 それに知られたくないというのが、一番の理由だ。
 しかし美佐子さんに僕の思いが通用するはずもない。
『説明する必要はないでしょう? 逃がせばいいだけじゃない』
「だーかーらー、人の話、聞いている? 警察に任せて助けてもらうの」
 僕が断言すると、電話の向こうで疲れたため息が聞こえた。なんで美佐子さんがため息つくのさ? そうしたいのは僕の方だよ。
『いい、よく聞いて。右翼団体・赤翼会ってあるの。代議士の山根源十郎は最近、赤翼会に恐喝やらなんやらと被害を受けていてね』
「ちょっと待った。そんな政治的な話、呑気にしている場合じゃないでしょ!」
 何考えているの、この人は。普段そんなこと気にしたこともないのに、こういう緊迫しているときに話す内容じゃないでしょ。
 ところが美佐子さんは説明を止めなかった。
『孫息子に被害が及ぶかもしれないということを警戒していたの。ただ、息子夫婦は離婚していて、子供は母親の方へと引き取られたの。その孫は今、高校生であんたのいる高校の二年生の稲元政幸君』
 稲元政幸だとぉぉ!?

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