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09 さよなら、僕の平和な日々よ

 しかし相手は動かなかった。僕の手は緊張して汗がびっしょりだ。
「……」
 心臓が痛いくらいに強く鼓動を刻む。息が苦しい。
「……」
 頼む、一言でいい。何かしゃべってくれ。
 僕の願いが通じたのかどうかわからないが、相手は歩き出し一人言を呟いた。
「おかしいなぁ………誰かいたと思ったんだが」
「!」
 やった! これは多分用務員のおじさんの声だ!
「お……」
 僕は用具入れを出ようとした。そしておじさんと声をかけて、110番してくれるように頼もうとした。
 だが、
「おい!」
 しかし僕が声をかけようとした矢先、牽制するようにするどい叫び声が廊下からした。
 用具入れから飛び出そうとした僕は悲鳴を飲み込み、なんとか物音を立てないことに成功する。
「誰だ、あんたら……! なっ、なにするんだ!」
 という声がした。あぁ……ますます絶体絶命! 状況は見えないけれど、用務員のおじさん、大ピンチ!
「他に誰かいるのか?」
 低い男の声がした。少なくとも十代・二十代という感じじゃないな。
「い、いない。何なんだ、あんたらは!」
 用務員のおじさんが怒鳴ると、かちゃりと何かの音がした。耳慣れない音なので、それが何なのかは想像がつかない。
「黙れ。これはおもちゃじゃないんだ。殺そうと思えばいつでも殺せる。死にたくなかったら黙っていろ。おい、連れていけ」
「はい」
 あぁ……あぁ……あぁ!
 遠ざかる複数の足音。僕の血の気が引いて行く。
 なんてことだ。
 僕らは今、理由はわからないがハイ・ジャクではないが、スクール・ジャックされてしまった!
 足音はどんどん遠ざかっていく。それでも僕はまだ用具入れの中から、出ることはできなかった。
 どうしよう……とんでもないことに巻き込まれちゃったよ。
 僕は用具入れの中で窮屈な思いをしながら、これからどうするべきか考えていた。
 まずは110番だが、その電話までの距離が……あ、馬鹿だな。僕はスマホを忘れてここに取りに来たんじゃないか。じゃあまずはそのスマホを手に入れるのが先だな。
 それから110番して警察に事情を話す。
 だけどなんて言えばいいんだろう?
 銃を持った怪しい男たちが数人、僕の友達や用務員のおじさんを人質に取っています。助けてください……で、いいのかな?
 しかしそれ以上はわからないよ。顔も見てないし、何人いるのかよく見てないし、本当に本物の銃なのかどうかもわからないし。
 でもさっきは確かに用務員のおじさんを脅していた。殺そうと思えばいつでも殺せるって脅迫していたくらいだから、少なくとも殺傷能力のある武器は手にしている。これだけで立派な犯罪だ。
 よし!
 僕は用具入れから出る準備にかかった。もちろんただ出るだけならいつでも出られるけど、もしも近くに見張りがいたら、危険なことこのうえない。僕まで人質になる。そうすれば助けは呼べなくなってしまう。
 だから僕は耳をすまして、物音がしないことを確認した。足音も、ない。人の声も聞こえない。しかしまだ近くにいる可能性は高い。
 僕はそっと用具入れを開けて、わずかな隙間から外の様子を伺う。暗いせいであまりはっきりとは見えないが、闇に目が慣れていただけ、そう辛くはなかった。
 僕はもう少し開けて今度は顔を出して確認する。第一関門は突破ってところだね。
 物音はもちろん、足音をたてないようにそっとそっと歩き出した。しかし僕は自分の机の前には行かず、そのまま教室の入口へと向かった。ドアは開けられたままだった。
 心臓がうるさいぐらいに鳴っている。僕は四つん這いになり、教室から顔だけを出して廊下に人がいないことを確認すると、今度こそ自分の机の方へと向かった。
 僕の机の中には忘れていったスマホがあった。それを掴むとひんやりとしていて、それだけに僕の手が緊張で汗ばんでいるのがわかった。
 僕はそれを手にすると、再び用具入れの中に戻った。
「はぁ……」
 今更だが手が震えてきた。なんてことだ。僕は平和な日常を満喫するために、平凡な高校に通っているというのに。美佐子さんにセットフリーターの仕事を断ったのも、善良で凡庸な生活に満たされたかっただけなのに。
 どうしてこんなことになったんだ?
 僕はスマホのタッチパネルを押した。
 ピッ!
「!」
 バイブレーションにしていなかったため、スマホのその電子音は驚くほど甲高く聞こえ、僕の寿命を縮めさせた。
 マナーモードのボタンを押した。はぁぁぁ、心臓に悪い。
 そして今度こそ110番をした。
『はい、こちらは警察通信司令室です。どうかなされましたか?』
 短く簡潔に相手は出た。110番は救急指令室のように、全国どこからかけても、管轄ごとの指令室につながり、それから最寄りの警察にとつながれるシステムになっている。
「大変です……拳銃みたいな物を持っている男たちが、近くにいるんです」
 僕は小声で言った。本当は叫びたい程だったのだが、それで向こうに捕まったのでは意味がない。
『もう一度おっしゃって下さい。どうしました?』
 人の話を聞けよ、馬鹿!
 と、怒鳴ってやりたいところだが、我慢我慢。警察では同じことをくり返して言わせるように、こうして聞こえなかったフリをすることがよくあるらしい。犯罪の度合いにもよるが、逆探知をするために、会話を長引かせるとか聞いたこともある。本当か嘘か知らないけれどね。
「だから、拳銃みたいな物を持った男が、学校の中に複数いるんです。僕は隠れて電話しているんで、大きな声で話せない」
『どのような状況ですか?』
「乗っ取られたっていうか……本当なんだ、信じて下さい。用務員のおじさんも連れていかれたんです」
『そのままでお待ち下さい。今、担当の者と変わります』
 オペレーターはそう言って会話を保留にした。見つかったらどうするんだよ……早くしてくれ!
 祈るような気持ちになると、K警察署ですと男の声がした。
『もしもし、どうされました?』
「助けてください。今、学校にいるんですが、銃を持った怪しいやつらが、僕の友達や用務員のおじさんを、人質に取って学校を乗っ取っているんです」
『君、名前は? それと学校名を教えてくれないかな?』
「僕は二年の…!」
 その時廊下から足音がした! 僕の心臓は破裂してしまうんじゃないかという程、騒ぎ出した。咄嗟に口をつぐんだが、電話の向こうで『もしもし? もしもし?』という声が聞こえた。この声が漏れたら見つかってしまう!
 僕は通話を切った。足音はどんどん近くなってくる。
 頼む、気づくな! そのまま行ってしまってくれ!

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