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21 僕の平和が遠ざかる

 いたよ!
 ぎくりと顔をこわ張らせた僕は、ごくりと息を飲んで前に向き直った。僕はジューンの手からぬいぐるみを一つ取り、手をつないだ。驚いたようにジューンは僕を見て少し頬を染める。
 かわいいなぁ……って場合じゃないよな。
 僕はそのジューンの反応を利用するように、ジューンの耳元に顔を寄せた。
「やつらだ」
 その一言でジューンの表情は、はっとしたように凍りついた。僕は小さく頷いた。
「ここは人が多いから、急には来ないと思う。店の中に入ろう」
「そんなことしたら捕まっちゃうわ」
「大丈夫。ここは僕のテリトリーさ」
 だからこそ美佐子さんは僕にあんな無茶を言ったんだろう。美佐子さんがジューンを連れて歩くと、年齢の差が人目につく。ま、 あの頭金髪なら別の意味で目立つかもしれないけどさ。その点僕だとそこら中にカップルがいるのだから、ジューンと一緒にいても不自然さはない。
 ま、美佐子さんに言い様に利用されるのは悔しいけど、ジューンのためだ。
「あの店に入ろう」
 なんてことのないMバーガーだ。だが先に言ったようにここは僕のテリトリー。二泊三日のご滞在の後ろ暗い外国人より、圧倒的に有利なのだ。
「いらっしゃいませー!」
 必要以上とも過剰とも言える元気なかけ声と、一日バイトでもしていると顔面筋肉痛になりそうな笑顔で、店員は僕らを迎えてくれた。後ろを気にするジューンの手を引いて、僕はカウンターへと近づいた。
「あのさ、突然で悪いんだけど協力してくれない?」
「はい?」
 店員はわけがわからないご様子。そりゃそうだ。僕はことさら深刻そうな顔をして見せた。
「僕ら駆け落ちしているんだ。ところが彼女の家のボディーガードがすぐ側に来ていて、逃げ切れそうにない。黒いスーツの怖そうなやつらなんだけど」
「はぁ……」
「裏口から逃がしてくれないかな?」
 僕はそう言って財布から一万円を引き抜いた。そして店員に差し出すと、さすがに店員の顔色が変わった。反射的に喜んでしまいそうなのを押さえているようだ。
「ポテトのLとエックバーガー二つ。缶のそのアップル二つ。おつりは君に。どう?」
 へっへーん、だれが福沢諭吉をぽんと渡すか。少し落胆の色が伺えたが、どちらにせよこの店員がもうけることにかわりはない。
「もしも断るなら注文もしないや」
「本当はだめなんだけどね……よし、愛の逃避行のためだ」
 何が愛の逃避行だよ。お金に目がくらんだくせに。
 ま、そのおかげで交渉成立ってわけだ。
「急いで」
「お待ちください」
 店員は奥へと消えていった。僕はジューンの手を引いた。
「ジューン、僕の方を見ていて。僕がジューンを見ているふりして外を見ているから」
「わかったわ……あのでも良一。愛の逃避行って……」
 ジューンの頬が若干赤い。素直なリアクションが可愛いなぁ。
「しっ。嘘だよ、嘘。このほうが向こうの警戒も薄いんだ。悪いやつらに追われているって言えば、警察に行けって言われて終わるか、逆に警察呼ばれるかどちらかだからね」
 日本人は野次馬根性があっても、基本的に君子危うきに近寄らずの精神が根付いている。責任を取らずに見物できるなら、いくらでも見物していたいが、その当事者となるようなら、関わりを持とうとしない。だから最初から助けを求めるより、見逃してくれというほうがいい。
「……すごいわ。良一、そんなこと考えていたのね」
「うーん……」
 別に考えていたというわけでもないのだが、そう自然に考えていた。
 まずいな、非現実的なことをさらりとやってのけるようになれば、二度と更生の道を歩めない気がする。
 あぁ……悲しいかな、美佐子さんの影響なのだろうか?
「お客さん」
 店員がちょいちょいと手招きする。ほかに二人の店員が好奇心を隠せない目で僕らを見ていた。もう話したのか、口の軽いやつめ。
 当分この店には来られないな……
「バーガーはちょっと待って。今焼いているから。それにしても駆け落ちねぇ………」
 じろじろと見られる。おっとまずい。さっきは即席でべらべらと言ってしまったが、詳しいことを聞かれても答えられない。
 僕はさりげなく外を気にするように見ることで、返事を避けた。
「はい、できたよ! お二人さん!」
 なんだかなぁ……おもしろがっているとしか思えないな。
「ナゲットも入れておいたよ。おなかの赤ちゃんのためにも、いっぱい食べなきゃ」
 おい……いつから僕はパパに?
 すると最初に話しかけた店員がウインクしてきた。どうやら、こいつも嘘をついて周囲を納得させたらしい。
 ますますこの店には来られなくなったな。
 僕は店員から救援物資の詰まった袋を受け止めると、店員の案内で店の中へと入っていった。
「がんばれよ、いい子産めよ」
「えっ……あ、はぁ……」
 ジューンも赤面しつつ、適当に頷いてくれた。そして普段なら、絶対に一般人の入れない厨房を抜けて、裏口へと導かれる。
「道はわかるか?」
「なんとか」
「がんばれよ」
「はい」
 なんて答えていいのか、僕。確実に美佐子さんに汚染されている気がしてきたぞ。
 僕らは店員に会釈して歩き出した。それからしばらく歩いたところで、僕たちは顔を見合わせて同時に噴き出した。
「いいの? こんなことをして?」
「やっちゃったもんはしょうがない。これでしばらくは表に張りついていてくれるさ。けど、すぐに向こうも裏口の存在には気づくはず。早く逃げよう。表に出てしまえば、タクシーに乗れるから」
「そうね……」
 きっと美佐子さんは逃走することを予想して、僕にこんな大金を持たせたのだろう。しかし本当にこの現金の出所については不安だなぁ……確かに、あんなアンティークランプに大金出すお客さんがいるんだから、多少うちはリッチかもしれないけど……
 ま、その店も趣味だしな。
 僕たちはしばらく店の裏から店の裏へと歩き、それから大きな通りに出た。

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