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03 さよなら、僕の平和な日々よ

 ピザ屋が来るまでに着替えておこうと思って、僕はそのまま上の自分の部屋へと向かった。少し暗いと感じたので、部屋の明かりをつけてカーテンを閉める。それから学生服を脱ごうとして服に手をかけた時、僕のスマホが鳴った。
「もしもし?」
 僕は相手を確認せずに電話に出た。すると相手は聞き慣れた声で一言だけ言った。
『下に来て』
 そう言って通話は切れた。こんなことするのは、当然美佐子さんだけだ。まったく、呼べば済むことじゃん。
 僕は上着だけを脱いでベッドに放り投げ、結局は下へと向かった。行かなきゃ、きっと後々までうるさい。二階に下りた後、廊下の突き当たりの右に店舗事務所へ通じる階段がある。普段これを使うことはあまりないが、店の事務所から自宅に戻りたいときは、いちいち外に出なくて済むので重宝していた。
 自宅と一階の店舗は、その階段でつながっている。一階店舗には美佐子さんが『趣味』で経営しているアンティーク・ショップがある。馬鹿みたいな値段のものもごろごろしていて、僕は金持ちの神経がわからないなというものが、しばしば見かけることがある。
 下にたどり着くと、僕は事務所にある僕の靴を履き、中を通って店舗の方へと向かった。
「いらっしゃいませ」
 扉を開け放つと同時に、営業スマイルを浮かべることができるのは、僕の条件反射だ。
 接客業は笑顔が必然な商売である。例え作られた笑顔でも、笑顔は笑顔。不機嫌な顔のままで対応するより、作った笑顔であっても笑顔のほうがマシというものだった。
「こっちよ、良一」
 声のした方向に目を向けて、脳内ニューロンはビジー状態。作業が滞っております。
 おぉ……美佐子さん、息子の僕が言うのもなんだが、とても高校生の子供がいるとは思えない格好だ……
 シンプルだがやけに踵の高い赤いミュールに、同じく赤のクロップドパンツ、上は黒の七部丈のシャツ。手にはゴールドのブレスレットに足首にも同じデザインのアンクレットをしていた。髪の毛はこの間からずっと金髪のままで、今は上にルーズに結いあげている。
 それからお客さんらしき人物が一人。
 初老の男性で、黄土色の着物姿がよく似合う。想像がつかないようなら、もっとわかりやすく、水戸黄門スタイルだと思ってくれればいい。ただ違うのは顔つきがいやに厳格である。威圧感、とでも言うのだろうか? 眼光が鋭く、わけもなく身構えてしまいそうな雰囲気だ。髪には白いものが交じってはいるが、まだまだ現役を張れるという気配。
 もちろん、定年退職したお爺さんと、いうわけではなさそうだ。仕事も金も現役で扱っているからこそ、この雰囲気なのだろう。
 あぁ、なんだろう、嫌な予感が。アンティーク・ショップの客だったら、僕が出る幕は無い。
「えーっと、何? 美佐子さん?」
 美佐子さんはにっこりと微笑んだ。美佐子さ信奉者なら確実な悩殺スマイル。しかし今の僕には悪魔の微笑みにしか見えない。反射的に背筋に冷たいものを感じた。
 絶対、何か企んでいるな、この顔は……
「息子の良一です」
 紹介されては無視もできまい。僕は頭を下げて会釈した。
「その顔はどうしたんだね?」
 老人の視線が僕の顔に固定された。
「えっ?」
 僕は反射的に頬に手を当てた。かすかに残る、唇の痛み。それからふと気づいた。
「あぁ……さっき道場で子供たちとじゃれていて転ばされて」
 正確には動くアスレチックジムと勘違いした、チビどものおもちゃとされ、圧し掛かってくるわ、首を絞められるわと、散々な目にあったわけだが。
 すると美佐子さんは呆れたように溜め息を漏らした。
「なさけないわね、子供相手に」
 しょうがないだろう? 子供相手に本気で相手したら、怪我させちゃうじゃないか。
「そうは言うけど、十人近くいる子供を一度で相手にするのは楽じゃないよ? 本気で殴るし体当たりするし、かといってこっちは本気でやり返すことはできないわけじゃん?」
 口の中を切る程強打したのだ。多少口元が青くなっていてもおかしくはない。特に冷やしていないしね。
 しかし、それにしても正面切ってそう言うことを口にするとは、このお客さん、なかなか手ごわい相手だ。というのも、相手の口調や内容で、ある程度は相手の人間性というものがわかるからだ。
 相手が答えにくいだろうか? 聞いては失礼だろうか? そう思えば、まず口にすることはない。だが、そう思いもせずに率直に尋ねるのは、馬鹿か無神経かどちらかになる。
 馬鹿はまぁ、特に何も考えていないだけだ。考えた瞬間には、もう口に出してしまっているタイプ。こういう人はなかなか自身の言動が相手に影響を与えるということを、少しも考えたこともない人だ。この手のタイプは死ぬまで治らない。
 そして問題なのは後者。更に細分化すると、無神経で思いやりにかけた発言が出来る人間は、常に自分が上位にあり、命令することに慣れている人物か、ただ単に想像力の欠如した非常識かである。この男性は細分化された前者、命令することに慣れている人物だと見た。たまたまなのかもしれないが、この場には後者に当てはまる非常識な美佐子さんもいた。
 美佐子さんは僕の言い分を聞いた後、ふんと鼻を鳴らした。そして僕に向き直った。その口元に刻まれた微笑みは、僕には悪魔の微笑みにしか見えなかった。
「ふうん……ま、どうでもいいわ、そんなこと。良一、仕事よ」
「仕事……」
 何を考えて美佐子さんがそう発言していたかは、実のところわかっていた。悪魔の微笑みを浮かべて、わざわざ訳ありの気配を全開にした客を前に、僕に接客をしろとは言わないだろう。
 そうさ、わかっているとも!
 でもあえて僕は接客用の笑顔を浮かべた。
「どういった商品をお求めですか?」
 これぞ、悪あがき。
 お願い、僕は普通の高校生でいたんだよぉ……

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