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02 さよなら、僕の平和な日々よ

「まぁ……体動かすのは好きなんですけど……やっぱ店のこともあるし」
 物心ついたときから母子家庭。僕の父親だという人のことは「柿本良」という名前しか知らない。というか、どんな人だったのか、本当に知らないのだけれど、少なくとも僕の名前が良一。ネーミングセンスは最悪と見た。
 まぁ、それはともかく、幼い頃から母子家庭だったため、店の手伝いはやれと言われたら、やらなくちゃならないものだと、考えもせずに思っていたし、最近では非常にこの商売、アンティーク・ショップの仕事がもっと軌道に乗らないかなぁと思う。
 まともな職業が繁盛して欲しいと思うのは、なにも僕が息子だからではなく、常識を備えた一般人だからだ。
「そうだよな……ところで、美佐子さん元気?」
 他人から美佐子さんの名前を聞くとき、なぜか僕はいつも平常心ではいられない。
 それは別に僕がマザコンだからではなく、「美佐子さんの悪さがバレていませんように」とか「美佐子さんの裏家業が表ざたになりませんように」とか、「美佐子さんがとにかく早く再婚でもして、裏家業から身を引くように」など、様々な思いが交差するからだ。
 僕の母親、美貌の未亡人・柿本美佐子は、僕の人生にいつもトラブルを持ち込むトラブルメーカーだった。
 あの人がしおらしく、大人しいところを見たことがないので、やはりここは元気ということになるのだろう。
「あり余るくらいには」
 我が母親ながら、若く見えるし、すごい美人だと思うよ。スタイルも抜群だし、あれで案外なんでもできる。
 でもね?
 人間、こと女なんて顔じゃないんだよ。
 僕が女性不信ぎみになった最大の理由は、母親である美佐子さんだ。おかげで僕の理想は、現在では絶滅危惧種に指定されてもおかしくは無い、大和撫子タイプときたものだ。
 わかっているよ。そんなタイプの女の子は日本中を捜して一人いるか、いないかだ。
 そんな僕の内心も知らず、龍治さんは軽く笑い、羨ましそうな目で僕を見た。
「ははは……でも、いつ見ても奇麗な人だよなぁ……年の離れたお姉さんでも通せるんじゃないか?」
「いや……それは無理っス……」
 まぁ、確かに高校生の息子がいるようには見えないのも事実だけれど、姉というのはさすがに、ねぇ?
 やれやれ……龍治さんまで美佐子さんに陥落しつつあるのか。
 僕の実母である美佐子さんは、どうにも人種が違う。
 派手好きで、わがままで、非常識で、傲慢で、秘密主義で、道徳観念の欠如した、美女である。実年齢を軽くごまかせるだけの、完璧な美貌とスタイルがあるだけに、信奉者は多く、求婚者はあとを絶たない未亡人だ。
 実際僕のパパの候補はいくらでもいる。つい最近、最有力パパ候補に裏切られたような目に合わされたので、僕としては候補を再度熟考中だ。
 とはいえ、早く美佐子さんを大人しくさせてくれるひとなら、誰でもいいので再婚して欲しいと切に願う。
 思わず埒の明かないことを考えて僕は溜め息をつく。道場の壁にかけられた時計の針を見ると、もう予定していた時間を過ぎていた。
「そろそろ帰るころか?」
「そうっスね……」
 それにしてもうがいがしたいな。口の中はまだ血の味がする。
「じゃ、すみませんが」
 そう言って僕は踵を返しかけた。だが龍治さんに胴着を捕まれた。
「最後に一度手合わせをしよう」
 龍治さんは純粋に合気道が好きな人だ。龍治さんの師匠であり、父親でもある龍千師匠のことを尊敬している。
 僕はといえば、実の母親である美佐子さんを尊敬するなんて、とてもじゃないができない。
 ましてやその裏の職業……
「じゃ、お願いします」
 僕は頭を下げて構えを取る。龍治さんはチビ共に下がるように言ってから、僕に向かって構えた。
 その日、僕は久しぶりに心地よい疲労感に充足していた。


 僕は自分で言うのもなんだが、善良で平凡なごく普通の高校生である。
 だが僕は非常識の権化というような人を母親に持ったため、かなり精神的な苦痛やら不条理な目に合わされている。
 美佐子さんは炊事・洗濯・掃除はまずやらない。決してできないわけじゃない。その証拠に自分の部屋の中だけは掃除もするし、さすがに自分の服は自分で洗濯はする。が、僕のものは洗濯してくれないし、キッチンや風呂、居間もまったく掃除してくれない。仕方がなく僕が掃除するまで放っておく。それに料理だって昔はしていたのに、今ではまったくという程しなくなった。そりゃないだろうと思う。僕は育ち盛りの高校生なのに。しかし「何よ? 食費を稼いでいるのは誰?」の一言に逆らえるはずもなく、かわりに僕が料理をする破目になっている。おかげで料理の腕前は、かなり上達したと思う。
 はぁ……僕ってなんて苦労人なんだろう。
 今日は道場に顔を出したおかげで帰りが遅くなっていた。だから僕は当然料理をする気力もなく、家にたどり着く頃あいを見計らって、ピザ屋にスマホで注文を入れておいた。
 アドレスにそういうデリバリーできる店のナンバーが、多数記録されて入っているあたりが、なんともほろ苦さを感じさせるものがある。
「ん?」
 だらだらと自転車で帰ってきたのだが、家の前には黒塗りのベンツが一台。白い手袋の運転手が車の前で立っていた。
「うーん……」
 ありゃただ者じゃないな。すでにベンツに白い手袋の運転手というところから、普通からかけ離れているのだが、それだけではない。周囲にぴんと気を張っているのが、よくわかった。単なる運転手じゃないな。きっと護身術の類を身につけた人だ。ということは、店の客は相当な権力を持っている、一般人とはかけ離れたところにいる人らしい。
 あーやだやだ。近付きたくないね。
 運転手は僕に視線を向けた。まぁ、あまり必要はなかったのだろうが、僕とばっちり視線が合ってしまったので、一応僕は軽く頭を下げて自転車を降りた。店も気になったけど、今日は別に美佐子さんに店番を頼まれていない日だ。僕は自転車を二階玄関あたりまで持っていくと、施錠を確認して自宅へと入った。

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