11 僕の平和が遠ざかる
「あぁ、それじゃ、一緒に下に来てもらえる? これは僕が寝るから、ジューンの布団は下の客間から持って来なきゃならないんだ」
「わかったわ」
僕が自分の布団と枕を抱えて部屋を先に出る。ジューンが後ろをついてきた。
「ねぇ、良一。美佐子さんはいつもあぁいう方なの?」
あぁいう方というと、わがままで傲慢でキレやすくて、非常識で風変わりということだろうか?
「そうだね。あぁいう人だよ。見本にしちゃいけない日本人の一人だよ」
僕がそう言うとジューンは立ち止まった。不信に思って振り返ると、ジューンは僕をじっと見ていた。それも非難がましく。
「何?」
「ひどいわ、そういう言い方。美佐子さんはとてもユニークで、すばらしい女性よ」
まいったね。美佐子さんは同性まで、誘惑する能力があるんじゃないだろうな?
美佐子さんに求婚している男性陣は、きまって盲目的な口ぶりで『君は彼女のすばらしさを、わかっていないんだ』と力説してくれる。もちろん僕に言わせると『あんたらは美佐子さんの本性を理解していないんだ』となる。
ジューンは階段を降りて僕に近づくと、いっそうきつく睨んできた。
「明るくてユーモアに溢れていて、優しくて気づかいのできる女性じゃない」
「君の目にはそう見えているわけ? 実の息子の頭めがけて灰皿投げたり、スプーン投げたり、あげくにカップまで投げつけようとしているところを見なかった?」
「それは……その……」
さすがにジューンもそれにフォローしきれない。
「料理だって誰がしたと思う? 僕は別に料理が好きなわけじゃない。美佐子さんが作ってくれないから、自分で作っているだけ。下の店を趣味と言い切り、いつからやっているのかしらない、 胡散臭い裏家業セットフリーターをしていることも、ずっと僕には教えてくれてなかった」
そのことには今もまだ少し、すっきりしないところが多すぎた。逃がし屋というのなら、ジューンをどこかへ逃がさないとならないはずだ。ところが僕はジューンのボディーガードを任命されるし。
すると美佐子さんは何をやるつもりだ? もしかして仕事するのを面倒臭いとかなんとか言って、押しつけるつもりじゃないだろうな?
僕は疲れたようにため息を付くが、それもやがて苦笑に変わる。そのまま客間へと入った。ジューンは少し困っている様子ではある。
「別にいいんだ。あの人のわがままは今にはじまったものじゃないから。手がかかるし、ムカつくことも多いけど、十七年も親子をしていると、もう慣れちゃったから。でも、慣れたからといって、いつまでもこのままでいいとは思わない。早いとこ再婚でもなんでもしてもらって、僕は後任に美佐子さんを任せて出ていくんだ」
ちなみに僕から見た後任の最有力候補はいる。田崎守さんといって、警視庁の刑事だ。国際捜査課というところにいるおかげで、一年の半分以上を海外で過ごしている。こういう人と結婚して、海外にでも住んでくれれば僕としては幸せだ。平和な日本で僕は平凡に生きる。あぁ、なんて輝かしい未来。
「あの……良一は美佐子さんが嫌いなの?」
躊躇いがちに聞いてきた。物怖じしないプライベートに踏み込んだ発言は、アメリカという国に生まれ育った純粋な日本人ではないせいか、それとも単に性格のせいか。
けれど僕は別に不快にはならなかった。これもやはり美佐子さんのおかげで、免疫が付いているからだろうか?
「うーん、どうかなぁ? 迷惑だと感じることはいつものことだけど、心の底から嫌ったことはないね」
これは本心だ。あの人は僕に多大な迷惑と被害を、際限なく与えてくれるが、僕が非行に走る程毛嫌いしていない。不思議なことに。きっと僕の心が広い証拠だろう。
「でも美佐子さんは良一を信頼しているわ」
「信頼っていうより命令だよ。自分の思った通りにならないと、すぐに泣き落としにかかるか騒ぐか、暴れるんだもん」
僕の布団を床に置いて、僕は押し入れに手を伸ばした。来客用の布団とシーツ、それから枕を取り出した。ちなみに僕の部屋にはスプリングベッドなので、敷布団はいらない。僕はジューンに枕とシーツを渡した。
「ところでその話題の美佐子さんは?」
「シャワーへ行くと言っていたわ」
これだよ。みんな僕に任せて自分は好きなことをするんだから。まったく。
「美佐子さんが出たら、ジューンも先に使って。僕は後でいいから」
「ありがとう、そうするわ」
今度は二人で僕の部屋へと戻った。ジューンが先に入ったので、シーツを自分で敷いていた。僕は自分のパジャマを取り出してしばし考えた。
「僕のものでよかったらパジャマ貸すけど、男物だよ。美佐子さんに借りる? あの人いっぱい持っているから、借りても平気だけど?」
僕が今手にしているのは紺色と白のストライプ。飾り気も何もあったものじゃない、シンプルなものだ。それに大きすぎるだろう。
「あぁ、じゃあ、美佐子さんに借りてもいいかしら?」
「どうぞ。でもあの人がシャワーから出てからね。勝手に部屋に入ると首絞められるから」
事実である。しかしジューンは冗談だと思ったのか、小さく笑った。笑い顔はかわいいけど、真実を知らないからなぁ………
「ねぇ、良一。少しあなたと話したいの。いいかしら?」
わざわざ聞いてくるところが感動ものだね。クラスの女子なら『ねぇねぇ、ちょぉ、聞いてよぉ。この間さぁ………』と変形した発音でべらべらとまくし立てる。文化の違いについて学んだな。
「どうぞ。僕でよければ」
掛け布団をベッドに置いてから、僕は机の前の椅子に座った。ジューンはベッドの上に座った。
「良一の通っているハイスクールはどんなところ?」
「どんなって……」
せいぜい普通科と商業科、工業科の三つがある平凡な高校だ。偏差値もそんなに高くはないし、スポーツに熱を入れているわけでもない。
ところがジューンの瞳は好奇心に輝いており、異国の文化に興味津々といった具合だ。「普通だよ。可もなく不可もなく。授業中早弁したり、携帯でメールしたり、さぼったり」
「自由な高校なのね!」
ちょっと、いや、かなり違う。それは別に学校公認のことではなく、生徒が好き勝手やっているということであって、校風でもなんでもない。だがすっかりジューンは信じているようだ。
まぁ、いいか。僕は別に嘘は言っていない。
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