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10 僕の平和が遠ざかる

 さて、どうしたものかな。
 僕はフォークにパスタを絡め取って口に運んだ。うむ、我ながらこの口当たりの良さは、絶妙だね。
 しかし――
「……」
 美佐子さんは嬉しそうに、カルボナーラを頬ばっている。すごくいい顔だ。
 だからこそ、複雑な気分。
 まぁ、僕の料理の腕も美佐子さんが滅多に料理をしないおかげで、最近かなり上がったのは確かだ。こうしておいしそうに食べてもらえると、作った側も悪い気はしない。
 あぁ……このままでは僕は女たらしの道を歩むかも。
 更にジューンまでもおいしそうに食べている。どちらかというと、ジューンのほうが笑顔全開。見ていて気分はいいけれど、やっぱり複雑だよなぁ。
 僕は健全な男子高校生なのに。
「すごいわ! 良一はコックになれるわ!」
 褒めてくれるのは嬉しいが 僕は女の子の手料理が食べたいな。
「うふふ。良一は料理が上手でしょ?」
 我が事のように自慢する。でもその口調は息子の特技を褒める母親というより、うちのお抱えシェフの自慢のような気がする。
「とってもおいしいわ! あたしは料理なんてしたことないもの!」
 喉を通るカルボナーラが、妙にどっしりと重く胃に落ちた気がした。
 はぁ……女性は年々逞しく進化していく道にあるようだ。五十年後の未来には、男は家庭を守り、女が働いて家族を養うというのが、当然の社会になっているかもしれない。
 僕は曖昧に相槌を打ちながら、黙々と食べることに専念した。この分では片付けも僕一人だ。
 はぁ……彼女作るなら、かいがいしいタイプがいいなぁ。けどクラスの女子を見る分には、そういうタイプは絶滅の危機に瀕していると思われる。
 ふっ……

 結局食事の間、僕のことは無視され、二人は英語でのおしゃべりに花を咲かせ、おいしそうに食べ尽くした。このままだと僕はボディーガードというよりお抱え料理人だ。
 夕食が済むと、美佐子さんのオーダーで珈琲をいれた。美佐子さんは珈琲にはとてもこだわり、ブルーマンテンを愛飲している。別にそれに文句はない。
 百グラム千円は軽くする珈琲豆を、店に買いに行かされるのも僕。
 抵抗すると文句を言う、物に八つ当たりするで、結局迷惑を被るのも僕。
 やっかいなことは一つでも少ないにこしたことはないので、しぶしぶ珈琲をいれてあげるが、いれ方に少しでも問題があるとすぐに文句をつけられる。こっちが耐えかねて文句を言うと、今まで養って小遣いをあげているのは誰? と凄まれる。
 こんなことをしているもんだから、僕は料理の腕も上がるが珈琲をいれる腕も上達する。
 サラリーマンも調理師も無理なら、喫茶店のマスターという道も残されているな。
 洗い物を終えて、リビングに戻ってくると、二人はソファーに座って珈琲を飲んでいた。
 なんだろう、この不条理な感覚は?
 それでも僕は文句を言わずに、口を開いた。
「ジューンのホテルはどこ? 送って行くよ」
 するとこれみよがしに、美佐子さんがため息をついた。珈琲カップがテーブルの上に置かれる。
 まさか。
「帰れるわけがないでしょ? ここが一番安全なんだから。今のところね」
「ということは……?」
 本当はわかっていた。わざわざ説明されなくても、想像はつく。けれど。
「良一の部屋あげて。シーツも変えて、お布団はお客様用を出すのよ。部屋も掃除しているんでしょうね?」
 まるで当然のことのように美佐子さんは言った。
「ちょっと……なんで僕の部屋? 客間あるでしょ?」
 そう広い部屋ではないけれど、客間はあるし、布団だって一式ある。普段は使わない部屋なので、散らかってもいない。
 すると美佐子さんはにやりと笑った。う、嫌な予感。
「あんた部屋に鍵をつけているでしょ?」
 なんでそこまで知っているの?
 僕も一応お年頃の青少年だ。親に知られたくないようなことの二つや三つはある。しかし美佐子さんはプライベートだろうがなんだろうが、自分がやると決めたらお構いなしで僕を巻き込む。そこで僕は自分の部屋に鍵をつけたのだ。確か中学二年生くらいの頃だ。
 ということはやっぱり美佐子さんは、僕の部屋に入ろうとしたことがあるというわけだ。
 美佐子さんはますます笑みを深くした。
「イヤらしいものはしまいなさいよ」
「うるさい!」
 さすがにむっとして怒鳴ると、僕は乱暴な足取りでリビングを出て、ずかずかと階段をのぼった。背中に美佐子さんの笑い声が突き刺さる。
 ひどいよ……ジューンの前でそんなこと言うのは。
 ………僕も健全な青少年なわけだし。
 三階には三部屋ある。僕の部屋と美佐子さんの部屋、それから何でも部屋となっている物置。客間は二階のダイニングの向かい側で、あと風呂やトイレ洗面所などがある。
 僕の部屋は比較的片付いている。美佐子さんが散らかす人なので、反動なのかクセなのか、片付いていないと気が済まない。
 それでも僕は隣の物置からダンボールの空き箱を持ってくると、目についたものを適当に詰め込んで、再び物置に放り込んだ。それから僕は自分の使っている布団を畳んだ。
「なんだって僕が……」
 不条理さについぶつくさと文句を言っていると、前ぶれもなくドアが開けられた。そこにいたのはジューンだった。
「もう少し待って」
「手伝うわ」
 なんとジューンは進んで手伝うというではないか。ちょっと感動かも。
 でも本当は、そのくらい当然なのだが、どうにも美佐子さんを見て育っているからか、わがままで傲慢な女性が当然のようになっている。そのため、わがまま傲慢唯我独尊女性に免疫があり余っているが、殊勝なタイプに出会えたことに、ちょっと感激。

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