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01 ナイト・サーカス

 軍用ヘリコプターから降り立ったオリアーナ・オトウェイ大尉は、ヘリコプターのローターの回転が巻き起こす風に弄られた茶色の髪を抑えながら、晴れ渡る空を見上げた。
 今日から新天地。必要な荷物はもう送ってある。最後の生活必需品だったものや書類などの荷物を詰め込んだショルダーを抱え、近くに止めてある軍用車両へ向けて歩き出した。そこには長身の男が一人だけ立っている。それまで眩しさからかけていたサングラスを畳んで胸のポケットにしまい、こちらに向けて歩いてきた。
「なぁんだ、出迎えは一人きり?」
 諸手を挙げて歓迎して欲しいとは言わないが、もう二・三人くらいはいてもいいのにと、少し子供じみたことを考えつつ苦笑する。
 戦闘機用の滑走路からは離れているが、それでも絶えず戦闘機の爆音が空から降り注いでいる。近隣には当然住宅や一般企業などなく、そこだけ秘匿されているかのようにポツリと基地があった。
 グラウンドの使用ができなかったのか、どこかの隊員たちが列をなして走っていく。空軍の軍人とて軍人だ。基礎体力がなければやっていけない。
 どの基地に配属されようと、空軍基地の独特の雰囲気は同じようなものだった。
 歩いてきた男はオリアーナの前で立ち止まると敬礼をする。合わせてオリアーナも敬礼を返した。
「ようこそ、オトウェイ大尉。カイアナイト空軍レッドスピネル基地へ。自分は第一飛行隊のロイター・ヨアヒム少佐だ」
 出迎えたのは、空軍の青灰色の迷彩服を着た黒髪の将校だった。背が高く、オリアーナが近づけば、首を直角にして見上げなければならない。おそらく二メートルは越えているだろう。ひょろ長いような印象を受けるが、それでも軍人だ。引き締まった体躯をしているのが一目でわかる。
 顔立ちは普通だが、如何せん。どうも堅苦しい雰囲気がする。にこりともせず無表情に近い。けれども持ち前の親しみやすい笑顔でオリアーナは向かい合った。
「初めまして、ヨアヒム少佐。御存じのようですが、オリアーナ・オトウェイ大尉です。タックネームはフォックスバット。少佐は?」
 再び強い風が吹いて、オリアーナは目を細めた。
 空軍は陸軍とは大きく異なる面がある。
 それはパイロットの数が圧倒的に少ないことだ。
 陸軍ならば、八人から十人で一個分隊だが、戦闘機の分隊はたった二機、つまり二人で分隊となる。二個分隊で小隊、二個小隊で中隊、二個小隊以上、十機程度で飛行隊となっているのがカイアナイト空軍だ。つまりたった十人程度で飛行隊と呼ばれる。
 そのほか僚機の数が増えると飛行軍、飛行隊、航空団、戦闘航空団、戦闘飛行団と呼ばれる。
 パイロットの養成は陸軍と比べると過酷であり、選び抜かれた少数のものだけがパイロットなり、そのパイロットの中でも更にふるいに掛けられて、残った一握りのものだけが、戦闘機パイロットとなれるのだ。
 そのため、大抵は専門的な知識を学び、専門的な訓練と技術を学んできた士官以上の階級の者がパイロットとなる。下士官からパイロットになったケースは、カイアナイト空軍では稀なケースにあたる。
 オリアーナもパイロット養成部隊で、三年の歳月みっちり戦闘機の知識と技術を学んだ。そして最も過酷な適性検査を合格し、パイロットになれた一人である。
 戦闘機乗りの慣例で、それぞれの配属に決まった新人パイロットたちは、部隊の上官たちに呼び名を付けられる。それをタックネームと言う。
 オリアーナがフォックスバットという、女性としてはありがたくないタックネームを付けられた理由は、オリアーナの飛行を見た当時の上官が「ちょこまかと動き回るコウモリのようだ」という理由からフォックスバットと付けられた。当時はもっとかわいいのにして欲しいと散々抗議したが、一度つけられたタックネームは、なかなか変えてもらうことができない。
 よって、それからオリアーナはフォックスバットと呼ばれるようになった。
 それでも長年そのタックネームで呼ばれていると、本名を忘れられることが多々あるし、逆に相手の本名がなんだったのか、覚えられないこともある。それほどまでにタックネームは戦闘機のりたちに愛されているものだった。
「……サイレント」
 目の前の将校が、ぼそりと呟くようにして言ったタックネームに、妙に納得してしまう。きっと口数が少ないからなのだろう。大体タックネームの付けられ方は、その時の上官の性格で違う。
 見た目のイメージや、飛行状態、本人の性格、何かしらの失敗談がタックネームの由来になる。おそらくヨアヒムの上官は、口数が少ない部下を見てサイレントなどと付けたのだろう。
「じゃ、よろしくお願いします、サイレント」
 タックネームで呼び合うのは、どの基地へ行っても同じだし、これは戦闘機パイロットたちだけに慣例化されている習慣だ。遠慮することなくオリアーナは口にしたし、ヨアヒムも心得たとばかりに頷いた。
「一先ず、団……いや…………」
「どうしました?」
 急に口ごもったので、思わず首をかしげると、ヨアヒムはオリアーナから視線を外し、それから考え込む素振りを見せて首を振った。
「なんでもない。エルセン中佐のところへ案内する」
「アイ・サー。よろしくお願いします」
 その名は、これからオリアーナが所属することになる第一飛行隊のスコードロンエースの名前だった。
 カイザー・オロフ・エルセン中佐。レッドスピネル基地では、いや、カイアナイト空軍ではその名を知らない者はいない、天才的パイロットの名前だ。

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