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17 僕の平和が遠ざかる

 カップにお湯を注いで温めながら、ペーパーフィルターを用意していると、何事かを話し込んでいた二人が別れてしまった。美佐子さんは着替えるために上へ行き、田崎さんは僕に近づいてきた。
「良一君も立派になったね」
「はぁ?」
 状況が飲み込めない。いったい何の話だ?
 怪訝な表情を浮かべる僕に、田崎さんはうんうんと一人で納得して頷いているご様子。しまいには僕の肩をぽんと叩いて激励した。
「がんばってね」
「だから、何を? 何の話?」
 美佐子さんの嘘に丸め込まれたのだろうか? だとしたら話しを合わせなくちゃならないけれど、何が何だかさっぱりわからない。
「だから手伝うんだろう? 美佐子さんの仕事を」
「し……仕事って……」
 アンティークショップの方なら、僕がよく店番を任されていることを知っているはずだ。今更そのことについて感心されても困る。
 ま……まさか……
「セットフリーターだよ。やるんだろ、君も?」
「セッ……」
 僕は絶句状態。
 だってそうだろう? 相手はいくら自分に求婚している相手で、惚れた弱みにつけこめる状態だとしても、自分が犯罪に関わっていることをこんな簡単に、しかも相手が刑事だっていうのに言うか普通?
 しかし……当の田崎さんは驚いている様子はなく、ものすごく、不自然な程自然に話していないか?
 まさか……まさか……!
「田崎さん……セットフリーターの仕事のこと……ずっと前から知っている……とか?」
 すると田崎さんは事もなげに頷いた。
「だって美佐子さんに邪魔されたのがきっかけで、知り合ったんだもん」
 僕は泣きたくなった。日本の警察は腐敗している。もう日本は平和でもなんでもない、犯罪者天国になっているんだ、きっと!
 するとがくりと肩を落とした僕に、田崎さんは苦笑した。
「あぁ、それでさっきこそこそしていたんだね。確かに、美佐子さんの仕事は違法なことが多いね。僕と出会ったときも、僕が追いかけていた犯人逃がしたんだもの、刑法第六十二条幇助の罪、第百条の逃走援助の罪になるね。けどさ……あのときの僕はまだ頭が固くて、必要悪っていうのかな? そういうことが認められなくてさ……でも美佐子さんに出会ってわかったんだよ。本当の罪は誰にあるかって」
 あぁ、善良だったはずの警察官の頭を柔らかくしすぎたのね、美佐子さんは……
 脱力した僕に田崎さんは苦笑したまま、珈琲を指さしたので、僕はがくりとうなだれたまま珈琲をいれはじめた。
「君はまだわかっていないね。もしかするときっと近すぎて、美佐子さんのことがわからないのかもしれないな。違法なことのかげで、どれほど美佐子さんに感謝している人がいるだろうとか思わない? それに美佐子さんが仕事を引き受けるのは、美佐子さんが力を貸してあげたいと思った人ばかりで、そういう人たちは大抵罪とわかっていても、その選択しか残されていない、元は善良な人たちばかりなんだよ」
 へぇ……確か依頼とあれば脱獄者でもヤクザでも逃がすとかなんとか言っていたな。かわいそうに……田崎さんの頭は美佐子さんに汚染されたんだ。
「君も今度から力になるのは、そういうことだろう?」
「ちょっと待った田崎さん。今、今度からって言った?」
「あぁ、そうだけど?」
「からって、何? からって? 僕は『今回は』であって、今後のことなんて知らないですよ。僕は平凡な高校生でいたいんですからね」
「……だといいね」
 何やら意味深な笑顔。色ぼけしているわりには、鋭いところは鋭いしなぁ。
 僕が珈琲を煎れ終える頃、大胆にスリットの入った黒のロングスカートと、白のブラウスに身を包んだ美佐子さんが戻ってきた。髪は少しルーズに結い上げて、胸元はあのペンダントをそのままに、色っぽい未亡人のご様子。
「はいどうぞ、お二人さん。おなか減っているならあとは先にどうぞ。僕はシャワー浴びてくるから」
 そう言い残して僕はシャワールームへ向かった。
 それにしてもまいるよなぁ……田崎さんまでも美佐子さん同様、常識無視賛同者だったなんてさ。
 ま、おかげで僕は犯罪者の息子という立場に立たされていないわけだけど、このままでは女性不信どころか人間不信になりそうだよ。
 さっさと服を脱ぎ捨てて、僕は頭から熱めのシャワーを浴びた。ほっと息を吐き出して、汗を洗い流す。昨日も風呂に入っているんだから、簡単に済まそう。
 シャワーは高い位置にお湯を出したままでかけ、シャンプーを手に取り、僕は立ったままで洗った。小さな椅子もあるけれど、洗ったりするのが面倒臭い。ほんのときたまは美佐子さんでも風呂掃除してくれるが、爪が折れるだのなんだのと文句を言って、逃げることが多い。もはやこの家で、僕はハウスキーパーと化している。冗談ではないが、これが現実なのだからどこかもの悲しい。
 泡を流すべく、シャワーに頭を突っ込んだときにそれは起こった。
「きゃあぁ!」
「うわぁ!」
 突然ドアが開いたかと思ったら、甲高い悲鳴。その方向を見てジューンだと気づいて、反射的に手は股間を隠す。
「わぁ! 閉めて!」
 と言いながら、顔を隠して硬直して動けないジューンに変わって、ドアを閉めたのは僕。
 きゃあ! なのは見られた僕だよ……
「ごめんなさい!」
 取りつくしまもなく謝罪して、ジューンは逃げていってしまった。もっともずっとそこにいられたら僕も困るのだが。
 恥ずかしいやら驚いたやら、僕のモノも困惑気味。思わず苦笑してしまう僕は、さっさと泡を洗い流すことに決めた。

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