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06 必然の集う場所

「やだ、壊れてないよね?」
 確認のためにも中を見る。ビスクドールは無事だった。
「よかったぁ…壊れてない」
 本気で呪われるかと思ったよ。
「大切なものですか?」
「大切っていうか……そうだ、このあたりに人形供養している、神社を知らないかな? あたし、この子を供養して貰おうと思って、持って来たの」
 店主は珈琲に気を配りながら、首をかしげる。
「人形供養ですか…? 申し訳ございませんが、存じ上げません」
「嘘? まさか降りる駅まで間違えたかな?」
 もう憂鬱だ。あの大雨で、人形まで濡れている。呪われるのも嫌だし、拭いてあげるか。
 はぁ、ついているのか、ついてないのか……
 ため息を漏らしつつ、かばんからビスクドールを取り出し、濡れた髪の毛を拭いてあがる。それを目にした店主は、微かに息を飲んだ。
「それは……」
 あたしが手にしたビスクドールを目にした店主が、驚いたような顔をした。あたしは少し面食らった。何? 何かあるの?
「これ?」
 やだ、やっぱりいわくつきなの、これは?
「それはどこで……」
「先月、イギリスで。この人形買ってから、変な夢ばかり見て。同じ夢だから、なんか怖くなって」
「差し支えなければ、その夢の内容をお聞きしてもよろしいでしょうか?」
「え?」
 店主はまずあたしの前に珈琲を差し出した。四葉のクローバーとその白い花が描かれている。
 店主は戸惑うあたしを放っておいて、ガラスの戸棚へ向かうと中、から一体のアンティークドールを取り出した。そしてそれを持ってくると、カウンターに置いた。
 それは金髪のビスクドールだった。こちらはあたしのものと違い、珍しい男の子をモチーフにしてある。
「あっ!」
 あたしは自分が手にしている人形を見た。
 この子と男の子は、同じ色の同じ生地で、それぞれのデザインの洋服を着ていた。そして隣に並べると、髪の色や瞳の色まで同じことに気付いた。
「どういうこと?」
 大きさも同じ。ここまで共通していて、偶然の一致で片付けるには、あまりにも出来過ぎている。
「こちらはお預かりしているものです。いつの日か、この子に待ち人が来るからと、ここで待たせてあげて欲しいと……」
 店主も相当驚いているようだった。しきりに見比べている。
「人形が人形を待っていたというの?」
「そう言われると、そうなのかもしれないとしか、申し上げられません。ただこの子を預けられた方は人形師で、いつの日か必ずこの子に会いに来る者がいると、私におっしゃっておりました」
 あたしは二つの人形を見比べた。
 欲しくもない人形を、あれほどまで欲しいと思ったのは、この子が自分を日本へ連れて行ってくれる人を、探していたからだろうか?
 そしてあの夢は……
「着物を着た女の子の夢を見るの。満開の紫陽花の傍らで、微笑んでいるのに悲しそうで。それを見ているだけで、切なくて、悲しくて……毎日こんな夢を繰り返し見るの」
 そういうと、店主は二つの人形を寄り添わせた。
「私には人形の良し悪しなどわかりません。しかし、大切にしたものには魂が宿ると聞いたこともございますし、何より大切にしたものには、思い出が宿ります。夢はそんな思いが見せたものなのかも知れません。二つとも、古い時代のものでしょうし、手にした方の思い出や魂が宿っていたのかもしれませんね。もしもそうだとして、この二人はようやくめぐり合えたのですから、このまま、引き離さないでおいてあげたほうが、いいのかもしれません」
 願ったり叶ったりだ。元々処分したくて、こんな田舎の奥まで来たのだ。
「ここに置いていってかまわないの?」
「えぇ、かまいませんよ。お客様がそれでよろしければ」
 よろしいに決まっている。一も二もなく頷いた。
「本当に?」
 どのみち供養をして手放すつもりだったのだ。ここで手放しても、問題はない。
「えぇ、かまいません。こちらの人形を預けていかれた人形師の方に、お預けいたしますから」
 店主はそう言って微笑んだ。そっか、そういうことならまかせてもいいよね。
 あたしは出された珈琲に口をつけた。
「……おいしい」
 香りはもちろん、こくがあって深いが、決して強くない苦味が、口の中にゆっくりと広がる。酸味もまろやかで、口当たりは優しい。
「恐れ入ります」
 優しい微笑みにどきりとする。あたしはそんな自分を見透かされたくなくて、適当なことを口にした。
「あ、あの! 人形師ってお知り合いの方ですか?」
 とっさに口にしたには、いい質問だ。店主は少し戸惑ってから頷いた。友人というほどではないようだ。
「当店にいらしたお客様です」
「へぇ……いろんなお客さんがいるんだね」
「そうですね。同じお客様が何人もということはありえません。ですから、どのようなお客様であっても、一人一人のすべて大切なお客様です」
 店主の微笑みは、あたしには悩殺スマイルだった。
 いけない…あたしには孝之という人がいるのに、ときめいちゃったじゃないのよ。
「あ、あの! この店いいですね! あたし、考古学専攻していまして、歴史的なものや、古いものが大好きで、それでそれから、このお店の雰囲気が好きです」
 そういうと店主は会釈を返した。
 いけないわ……ここにいたら、浮気心起こしそうよ。
「人形、よろしくお願いしますね」
「はい、お預かりいたします」
 あたしは照れ隠しに珈琲をあおる。
 あー、この店が地方でよかった。あたしが住んでいるところの近くなら、間違いなく常連客だし、浮気心に火が付きそうよ。
 あたしは珈琲を飲み干した。振り返って窓の外を見れば、雨は上がっていた。
「あ……雨……」
「止みましたね」
 傘がないのだから、外に出るのは今のうちだ。あたしは向き直り、人形の頭を撫でた。
「えーと……会えてよかったね?」
 ふいに孝之の顔が浮かんだ。ずっといるのも嫌だけど、離れているのはもっと嫌だよね。
 あー……なんかあたしも孝之に今すぐ会いたいよ。
 よし、帰ろう!
 あたしは財布を取り出して、千円札を置いた。店主はお釣りを取りに向かう。
「ここにこれてよかったです」
「ありがとうございます」
 店主は礼と共に、お釣りを手渡した。
「タオル、ありがとうございました」
「いえ。お気をつけて」
 いいなぁ、この店。近くにあったら、常連客なのに。
 そうだ、夏休みには孝之とこの近くに旅行しよう。そしてこの喫茶店にきて、やきもち焼かせちゃおう。
 楽しみな計画が一つ浮かんで、あたしはうれしくなった。
「じゃぁ、ごちそうさま。人形、よろしくお願いしますね」
「はい」
 店主が会釈する。あたしは出口へと向かった。あたしがドアを開ける前に、新たな来客がドアを開けた。
「!」
 す、素敵ぃ……
 やってきたのは涼しげな顔立ちの和装の男性だ。右目には金のフレームの片眼鏡をかけている。あたしに気付いたのか、ドアを大きく開いてくれた。
「あ、すみません」
「いえ」
 すごくきれいな微笑みなのに、なぜか不安を感じさせる。ずっと見ていたいほど、きれいな顔立ちの人なのに、なぜか怖い。
 あたしは軽く頭を下げて、早々に店を出た。見上げれば、鉛色の空の向こうにわずかだが青空が覗いていた。駅へ向かうなら今のうちだ。
 振り返ると丁度ドアが閉まるところだった。
 あたしはしばらくドアを見ていたが、やがて歩き出した。

 その後、あたしは地図で調べたけれど、二度とこの店を訪れることはできなかった。

必然の集う場所―完―

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