【お知らせ】本が出ます。


こんにちは、佐藤です。掲題にあるように、はじめての本が出ます。

題名は、『作田啓一の文学/社会学――捨て犬たちの生、儚い希望』です。以下が表紙の書影になります。

書影

『花嫁のアメリカ』『記憶の光景・十人のヒロシマ』『生と死の時』などで知られる写真家の江成常夫さんからご提供いただいたカバー写真をもとに、安藤紫野さんに装幀を手がけていただきました。

晃洋書房さんのHPに、「まえがき」や「目次」があります。ご関心を持っていただいた方、ぜひご笑覧の上、手に取っていただけると幸いです。

さて、以下では、「まえがき」や「あとがき」には記載できなかったことについて、述べておきたいと思います。

本書の内容

本書は昨年度に受理された博士学位論文に加筆・修正を加えたもので、社会学者・作田啓一(1922~2016)を一人の思想家として読み解いた、作家論的な研究です。

1922年生まれの作田の青春時代は太平洋戦争下。彼は前線には立たなかったものの、広島に落とされた原子爆弾で傷ついた人の看護や「屍衛兵」(遺体を護衛する任務)などに従事しました。友人の中にも、命を落とした人が多くいました。作田は戦争の「体験」が「記憶」になり始めた1960年代半ば、『思想の科学』に発表したエッセイで、自分が「生きているということ」は偶然なのだと述懐しています。そのような実感を抱いていた作田にとって、「生きているということ」は生涯の謎(enigma)であり、不思議なこと(wonder)だったのだと思います。

そのような「謎」を抱えた人を単に「社会学者」として読み解くことが、私にはどうしても(能力的にも)できませんでした。したがって、本書で私は作田を「社会学者/思想家」という”二つの顔”を持つ人として論じることとしました。

表紙について

先ほど触れたように、カバー写真は、写真家の江成常夫さんにご提供いただいたものです。この写真は、氏が『生と死の時』という写真集を組まれる際に使用したフィルムをお借りしています。

江成さんは、米兵と結婚し海を渡った花嫁、旧満州に置き去りにされた戦争孤児、原爆の傷跡、南洋の島々に散らばる兵士の遺骨など、戦争に翻弄された人びとの過酷な生と死を見つめ、「負の昭和史」を記録する撮影を続けてきました。

一方、『生と死の時』という写真集は、そのような「社会的」な仕事を続けてきた江成さんが、ガン(悪性腫瘍)を患い、死の苦悩のなかで、朽ちてゆく花や果物、自分の身体にカメラを向け、生と死の境界を見つめながら組まれました(なお、江成さんのお仕事について、Eテレの『宗教の時間』で私は知りました)。

植物、人間といった区別を超えて「生命」を見つめようとするその写真に、私は感動すると同時に、作田の晩年の仕事を想起しました。「日本近代文学に現れる自我の放棄」という仕事の中で、作田は、重い病を抱えている人、もうすぐ死ぬかもしれないという人が眺める自然は、彼が「生活者」として生きているときとは別のものに見えるだろうという文学者・伊藤整の言葉を引いています。江成さんの写真を見たとき、私はそのような「死者の立場」によって眺められた自然の、儚い生命の輝きのようなものを感じるとともに、伊藤整・作田の述べていることを表現しているなあと感じていました。

そういうわけで、今回、晃洋書房編集部のSさんを通じて、江成さん表紙に使用させていただきたいとお願いをすることとしました。本書の内容にも関わる写真を使わせていただくことができ、大変うれしく思います。

ぜひ、お手に取っていただけると幸いです。よろしくお願いします。

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