何者かになりたい人は何者になるかを決めないといけない話。

昨今働き方改革で肩書きが増えた人も多いのではないだろうか?

複業をする人も増え、一括りには語れない人も多くなってきた。

若い人たちも様々な働き方を模索しているが、僕から見ると『今』を切り取ってしまっている人が多いような気がしている。今この瞬間の働き方にばかり意識がいってないだろうか?

人生は長く、60歳になっても仕事をしないといけないだろう。その将来を見据えた上で『今』の働き方が良いのかを考えた方がいいのではないだろうか?




何者かになりたい人


Twitterで色んな人を見ているとプロフィール欄に多くのことを書いている人が増えたなと感じる。ぱっと見では何をしている人かわからない、何かしらのポジションを取りに行きたい、現状の仕事に満足していない人?

色んなパターンがあると思うのだけど、とにかく自分だけのポジションが欲しい人が多いように感じる。もちろんそうゆうポジションになれれば将来的に仕事は来るだろうし、安心できるのかもしれない。

でもその『何者か』が本当に将来につながっているのかは真剣に考えた方がいいのではないだろうか???

例えば僕のような料理人の場合、30歳くらいで自分のお店を持つのが1つの形だった。早くして独立するのが正義のような空気感があり、我先に店を構える。しかし店を出してからが本当の戦いで、店なんて極端な話誰でも出せる。そこから30年以上お店を運営し続けることを皆はどこまで真剣に考えているのだろうか?

そして今はフリーランスに憧れる料理人が増えてきている。

飲食業界の体質が嫌だ、長時間労働が時代にあっていない、給与が安い、他の人と違う働き方がしたい、この辺りの想いも人それぞれだろう。

『今』この瞬間はその働き方は輝かしいように見えるかもしれない。みんなが長時間働く中で自分は自分の時間を管理できている事が素晴らしく感じるかもしれない。しかしその生活を今後30年近く続けていく覚悟があるのだろうか?どのようにお金を稼ぎ、どのような人生を送りたいのか?

若いから色んな事に挑戦すればいいと思う。がしかし、料理人としてやっていくならば技術が必要で、それは短期間では身に付きにくいものであり、ある程度の負荷がかかった状態での長期間の継続的な労働が必要だと個人的には感じている。

それは長時間労働でブラックな環境という訳ではなく、自分の将来を覚悟した上での集中する期間だ。これはきっと飲食以外でも人のうえに立とうと思ったら絶対に必要な期間だと思う。







何者かになりたい人の何者はなんなのか?


これは最近すごく思う事で、何者かになりたい人はなんのためにそうなりたいのか?なんとなく人と違うことをしていたいのか、どこにその需要を見定めているのか?

多様な働き方が生まれているのは分かるのですが、今後将来数十年働く中で、今求めている肩書きが必要なのか?というのは真剣に考えた方がいいと思っています。

色々挑戦しながら進路変更してもいい。それは1つの考え方として間違っていないと思います。しかし1つの道で突き進んでいる人には勝ちにくいかもしれない。

その何者かになれた後のビジョンは本当にあるのか?そうなれた時のあなたは20年後何をしているのか?何をしていたいのか?明確に答えられるのか?挑戦しやすい時代にはなったが、その挑戦の尻拭いは誰もしてくれない。

多動が良いと言われているけれど、軸があった上での多動なのか、ただの多動なのかは雲泥の差がある。

難しいかもしれないが、40、50歳の自分が何をしていたいのかは早めに描いた方がいい。



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新しい料理人の働き方から、個人でどう生きていくか、どう価値を生みだしていくかを色々な視点で書き綴ります。月3~4回ほどの更新なので、定期購読がお勧めです。

曜日や時間、場所に捕らわれずに料理を自由に表現するためにレストランを辞めた料理人の働き方を変えていく奮闘記。 これから増えていくだろう料理…

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