メイベル-天魔の神判代行者-【第3話】

 初夏の晴天の下。田園風景の中を、一台のバイクが走って行く。
「じゃあ~! 今回はその蛇神ってのを斃せばいいのね~!?」
 メイの背後。すぐ後ろから声が聞こえる。張り上げられた声は一瞬だけメイの耳を掠め、しかしあっという間に後ろへと流されていく。
「まずは調査だ。蛇神の仕業だとも決まったわけではない」
「え~? めんどくさぁ~い!」
 歯を剥いて心底嫌そうな顔をするベルに、メイは呆れ返る。めんどくさいのはお前じゃなくて私だ。
「どうせ見てるだけのくせに。というか、なんでお前は実体化している」
「え~!?」
 淡々と指摘すれば、メイの背後――タンデムシートに腰掛けたベルは、ぴったりとメイの背中に抱きついたまま、不満げな声を上げた。
「何か不都合でもある~!?」
「ある。バイクの燃費が悪くなる。降りろ」
「ひどぉ~い! こんな可愛い女の子を置き去りにするなんて! メイの人でなし!」
「なんとでも言え、悪魔が」
 ぶーぶーとベルは唇を尖らせるが、メイの影に戻る様子はない。メイも構わず、バイクを走らせ続けた。
 ――と、突然ベルが、声を落ち着かせる。
「で、どうするの? 本当に蛇神の仕業だったら」
「どうもこうもしない。悪魔でなければ、私たちの出る幕はない」
 そう返すと、背後から再び「えー?」と文句の声が上がる。
「いいじゃない、斬っちゃえば。神も悪魔も所詮、人が作った創作物よ」
「…………」
 クスリ。音もなく怪しく笑む気配。水を張ったばかりの田んぼの景色が、どんどんと流れていく。
 天使、悪魔、それに神仏、あやかし。
 ベル曰く、神話伝承に語られるそれらは全て人間の認識――概念が生み出した存在であるのだという。本質的に差がないが故、その認識さえ理解してしまえば、祓魔師ではあるがメイにも蛇神に干渉可能になる。そしてその本質が故、彼らは不滅だ。たとえ斃されたとしても、人々の中にその存在認識が残る限り、いつか必ず蘇る。
 つまり、『邪魔なら殺ってしまえ』。それがベルという悪魔の言い分だった。
 しかし――ここは人の世だ。守るべき領分と、信仰がある。
 はぁと嘆息一つ吐きだして、メイは急ブレーキをかける。
「やっぱりお前、降りろ」
「ふぎゃっ!」
 油断しきっていたベルは停まった勢いそのまま、空中にぽーんっと放り出された。

   *

「うううこのアタシの顔に傷が……傷が……」
 蛇神が祀られているという小さな神社についても、ベルはしばらく擦りむいた鼻頭を押さえ、嘆いていた。バイクから放り出され、受け身も取れず顔面から道路にスライディングしたのだ。
 ベルを置いて、メイはスタスタと境内を進んで行く。悪魔にとって見た目は、あくまで仮初めのものだ。その気になればすぐに直せる。放っておいても問題はない。
 すると社務所の方から、浅葱色の袴を履いた初老の神主がやってくるのが見えた。途端、シュッとベルがメイの影に引っ込む。
「これはこれは、ようこそ。ユスティス教会のお方ですね。お話しは聞き及んでおります。わたくしは当神社の宮司をしております、水島と申します」
「葉月です。よろしくお願いします」
 深々と礼をする宮司・水島にメイは右手を差し出し、二人は軽く握手を交わす。メイはきょろきょろと辺りを見回した。
「すみません。先に来ているという修道女を知りませんか? ここで落ち合う手筈だったのですが」
 境内にはメイと宮司の姿しかない。宮司は思い当たったように「あぁ」と言った。
「お二人でしたら先程、奥にある湧き水の池の方へ向かわれましたよ。当神社の祭神についてお話ししたところ、慌てて向かわれまして……」
「あぁ……なるほど」
 メイは変な納得を覚えた。
 簡単な話、メイが来る前に調査を済ませ、手柄を立てておきたいということだろう。悪魔嫌いの修道女にはよくあることだった。くだらないことだが。
「でしたら、ここで待たせていただきます。その間に、こちらで祀る蛇神についてお聞きしたいのですが、よろしいですか? 何度も手間を掛けさせてしまい、申し訳ないのですが……」
「手間だなんてとんでもない。わたくしどもとしても、事の真偽を確かめるお手伝いをしてくださるのであれば、心強い限りです」
 頭に二本の角を持つその蛇神は、名を『夜刀神やとのかみ』といった。姿を見た者を一族もろとも根絶やしにしてしまうという、それは気性の荒い神であるという。
 1000年以上も昔の話だ。
 ある時、夜刀神が住むこの山に人間が現れ、谷を開墾して田を作ろうとした。怒った夜刀神は人間と戦うものの、しかし仲間を皆殺しにされ、山の上に身を隠すことになる。そこで人間は、人の土地と神の土地の境界線を設け、夜刀神と棲み分け――共存を図ることにした。しかし夜刀神からの返事はなく、祟りを恐れた人間は祠を建て、夜刀神を祀るようになったという。
「この話には続きがありまして、百余年の後、今度は灌漑用の池を作ろうと、人は再び夜刀神さまと戦ったのです」
 結果として、夜刀神は再び敗北し、人は豊かな水源を確保するに至る。その池というのが、修道女が先に向かった湧水池らしい。
「ですから、夜刀神さまが祟りを起こし、人々に報復をというのは分からぬ話でもありません。しかし大昔の話でもありますので、もし本当に祟りであるのであれば、他に、何やら夜刀神さまを怒らせる要因があったのではないかと思います……」
 最後にそう締めくくって、宮司の水島は社務所へ戻っていった。
 メイは口元に手を当てて、考え込む。
『なぁに? 何か引っかかることでもあるの?』
 影の中からベルの声がする。メイは一拍おいてから口を開いた。
「理由はともあれ、もし本当に夜刀神が暴れているとして、だ。姿を見た者がいるというのなら、そいつに一族を根絶やしにするような災いが降りかかっていないとおかしい」
『それもそうね』
「しかし、現段階でそういった話はない。それに、今更になってこんなに話題に上がるのもおかしい。夜刀神やこの神社の知名度は高くない。私も県内の生まれだが、今回の件で初めて知ったほどだ」
 もし大蛇の目撃情報がなければ、教会が動くまでの騒動には発展していなかっただろう。
「まるでわざと姿を見せているみたいだ」
 メイがそう呟いた、その時だった。
「キャアアアアアアアアアッッッ!!」
 甲高い悲鳴が林をつんざき、驚いた鳥たちが一斉に羽ばたいた。
「ベル!」
「分かってる」
 一声呼んで、メイは走り出す。影から姿を現したベルが、浮遊してその後ろに続く。木々の間を駆け抜けること、数十秒。
「――っ!?」
 メイとベルがその池に辿り着いた時、悲鳴の主はもういなかった。
 正確には胴体をぽっかりと失って、湧水池に浮かんでいた。残っているのは鎖骨から上と、ばらばらになった両足。その隣には、おそらくバディである修道女が、右半身を失って同じく浮かんでいる。
 服も肉も、まるで何かに食いちぎられたように、荒々しい断面を晒していた。
 血で真っ赤に染まった池の底から、ぽこぽこと清水が湧き出し続けている。その水面に浮かぶのは――一枚の黒い羽根。
 気付けばメイは、震える手で小鐘を取り出していた。
「『女神に祈りを、乙女に剣を』」
 しかし、音は鳴らなかった。まるで何か不可思議な力に封じ込められてしまったかのように、微かな音が鐘の内側に渦巻いている。
 それは数多の悪魔と対峙してきたメイですら、初めて目の当たりにする現象だった。
「ランクS……」
 ぽつりと呟く。
「これは神隠しでも、神の祟りなんかでもない。これは――悪魔の仕業だ」

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