現役美容師僕は癌になり人生観が変わりました2

前回の続き、4月頃の話から。

少し脱線もありますが、僕の全てを書いていきます。

よろしくお願い致します。

どうにもこうにも体調がすぐれない。

なんなら週1、2で熱が出る事が増えました。

38.0前後の熱でなかなかしんどい。

昔から鍛えていたからか身体は丈夫で大きな怪我もなく生きてきました。

小学生の頃から剣道を習っていて20歳くらいまで警察署にて習いに行ってました。

中学生、高校生の頃はバスケ部に入り趣味でスケボーをやる。

今考えたらなかなかハードな事してました。

そんな身体、体力には自信があった自分ですが打ち勝てそうもないくらいに疲れている。

そんな4月、右の鎖骨から首の間にシコリというか小さめのコブが出来ました。

最初は全く気付かずに過ごしており、ある時付き合っていた彼女につっこまれ気が付きました。

その時およそビー玉くらいの大きさでしょうか。

その頃から発熱がひどく38度台を週3くらいで発症。

もはやシフトの様でそれに慣れ始めている自分もありました。

しかし当然体調は悪くて、接客にも影響が出始めます。

僕は美容師の仕事を選んだ、志したのは結構早めで

小学生の4年生くらいからですかね。

当時自分の髪型など全く気にもせず親父の行ってる床屋で一緒について行って有無を言わずスポーツ刈りでした笑

しかし、ある体育の時間でその時が訪れます。

ドッヂボールですね。

東京ですが2クラスしかない小学校で体育は2クラス合同。

得意なドッヂボールで最後まで残るメンツは決まっていました。

そう、隣のクラスの金沢くんです。

彼は強かった。そして、イケメンで金持ちでした笑

高スペックな彼との対決は燃えました。

それよりも彼が思いっきり投げたボールの軌道よりも、一瞬フワッと浮く髪

今でいうマッシュ風の髪型

それに目を奪われてアウト

僕は負けましたが、結果など頭に入らなくて

金沢くんの事をひたすらカッコいいと思っていました笑

その次の散髪の日から僕は親父に行かないと言う。

伸ばしたいんだ、と。

何を言っる、行くぞ 親父

行かない 僕

このやり取りを3回くらい繰り返し

親父に怒られるも行かない選択肢を選ばせてもらえました。

そのまま2ヶ月、3ヶ月と髪は伸びていきもうどうしようも無いスタイル。

母親にも怒られるので、しぶしぶ自分で髪を切ってみることにしました。

勿論、文房具のハサミで。

変。非常に変。

学校に行けないレベルですが、自分では多少満足した

母親にはみっともないから髪切りにいけと日々言われましたが、頑なに拒み続け一年位経ち。

忘れもしません、小学生5年生のお正月。

大量にお年玉を貰い当時流行っていたMDウォークマンを買いに近くのデパートに行った時のこと。

朝、並んで入店。

2階、3階と上がって行き売り場に向かう途中でした。

ドライヤーなどが売ってる美容家電コーナーを通り抜け行きますが足が止まる。

セルフカット用のハサミが置いてあった。

もう気付いていた、文房具のハサミでは限界な事を。

スキバサミが欲しかった。

値段は通常のハサミ、スキバサミ、コームがついて12000円程だったと思います。

ほんとは、SONYのMDウォークマンを買おうとしていて、19800円だった。

お財布には20000円しか無い。

一応MDも見に行って、すごくカッコよく見えたあのMD。

デパートのベンチで30分位考えました。

僕はハサミを買って帰りました。

そこが原点でしょうか。

ちなみに、家に帰って母親には言えず、隠していましたがやはりバレて驚かれました。

楽しかった、自分の髪を切るのがすごく楽しくて。

頭では思い描いている髪型を作るのが難しくて。

そらから誕生日、お年玉とそれぞれカットの本を買ったりスタイル本を買ったりと完全にハマってました。

しかしゲームや塾、剣道と日々忙しかった小学生生活も終わり中学生に。

部活はバスケ部を選びました。

完全にスラムダンクの影響です。

そこで第二回の転機です。

中学一年生の時の中学生三年生の先輩はえらく大人に見えませんでしたか?

そう、柳澤先輩です笑

本当に髪型がカッコよく見えた。

おそらくジェルで流しているくらいでしょうが、当時の僕にスタイリング剤という興味は無く本当に衝撃的でした。

その週の土曜日すぐに近くのデパートに買いに行きました。

人生初のスタイリング剤はジェレイドという当時流行りのワックスでした。

学校に付けていくのが恥ずかしかったけど、鏡の前でよくやったもんです。

続きます。



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