父のおむつを片付けながら、遠い日の鍋焼きうどんのことを思い出した。

大量の便を眺めて不思議な気持ちになる

朝、母に言われて父の体温を測ると37度を超えていた。デイサービスを休んで寝かせようと言っていると、父が起きてきてトイレに行こうとした。母が付き添ってトイレに行ったかと思うとぎゃーと大声を上げた。

大量の便がおむつの中に溜まっていたからだ。

母が嫌がったのでわたしがおむつの中の便をトイレに移している時に、ふと思い出した。わたしがおむつの処理を抵抗なく出来るのは、どうしてなのかということを。

ベッドの上の小さな身体

あの日。電話で教えられた通りに病院に行った。たどり着いた病室でBという名前を確認して、部屋に入る。

そっと覗くと、ベッドの上に小さな身体がうずくまっていた。初めて会ったBさんは想像と違っていた。こんなに小さな身体なのかと息をのんだ。

お姫様抱っこで帰宅

病室に入ってきた男の人がBさんの身体をお姫様抱っこで軽々と持ち上げた。そこの荷物を持ってきて、と言われて紙袋を下げてついていく。

退院手続きは終わったから、と車に乗り込む。しばらく走って、文化住宅に着いた。初めて来た場所だ。

あとは本人に聞いてと言われて

鍋焼きうどんを買ってきたから、あとは本人に聞いてな、と言い残して男の人は去って行った。初めて会うBさんに挨拶もせず、わたしはボーッとしていた。

「おう」

Bさんが言った。

「おう!」

「こえ」

これ?

あ、お湯を沸かせということか。

ヤカンでお湯を沸かす。コンビニの鍋焼きうどんは初めて見たので、何をどうすればいいのかわからない。

「あえて」

あける?

ラップを外してお湯を入れる。お箸を探していると声がした。

「ふぉー」

「ふぉー!」

あ、フォーク?

フォークを探すと、とてもわかりやすいところに置いてあった。それを渡したら、Bさんは鍋焼きうどんを食べ始めた。

うつむいてうどんをすくうので、肩まであるストレートヘアが鍋焼きうどんの中に入ってしまう。それで髪が入らないようにそっと押さえた。その時、

「あわらんとって!」と言われた。

触らんとって?

でも髪の毛が浸かるから、と言いながら押さえると、

「あわらんとって!」とまた怒られた。

24時間の介護体制で暮らしているBさん

前日の夜遅くにNさんから電話がかかってきた。高熱が出てどうしても行けないから代わりに行ってくれと頼み込まれた。なんでわたしの電話番号知ってるのん?と聞くとHさんに聞いたと言う。それ以降わたしはずっとHさんのことを恨んでいる。

Bさんは重度の障害者だけれど、一人暮らしをしている。介護をしているのはだいたいが学生だった。

なぜ、そんなにしてまで一人暮らしをするのか。理屈はわたしもわかっていた。けれど、わたしが介護することになるとは思っていなかった。そうなる前に逃げたからだ。けれど電話はかかってきた。

そこに名前書いてと言われて

食事が終わって片付けていたら、女の人がやってきた。今日退院したん?とBさんに話しかけている。夜の介護に来た人のようだ。

それじゃあ帰りますと言って立ち上がったわたしにBさんは、そこに名前と電話番号を書いて帰ってな、と言った。

言語障害でほとんど聞き取れないBさんの言葉だけれど、はっきりと聞き取れた。しょうがない。もう逃げられない。わたしは観念してノートに名前と電話番号を書いた。

結果、二週間に一度、Bさんのところに通うことになる。

将来のためと言われて

Bさんの言葉も聞き取れるようになった。家事はもちろん、着替えや食事の介助もあった。一番たいへんなのが下の世話だった。最初は差し込み便座がどういうものなのか知らなかったので、トイレと言われてからずいぶん待たせた。

なにしてるのん、遅いわ、と言われて、どれかわからんかったんやもん、と平気で言い返すことがわたしには出来た。これを言えたから、わたしはなんとかこの生活に耐えられたのだと思う。

ある日、便秘がひどいと言って薬局でかなり効くらしい便秘薬を買った。すると大量の便が出た。お尻を拭くだけでもたいへんな作業だった。

「あんたの親の世話の練習さしたってるんやで」

Bさんは言った。

Bさんの言葉は三十数年の時を経て、現実になった。

父の便を片付けながら、Bさんの冷ややかな言葉を思い出した。どうしているのかなと時々思う。これから何度思うことだろう。



【シリーズ:坂道を上ると次も坂道だった】でした。



地味に生きておりますが、たまには電車に乗って出かけたいと思います。でもヘルパーさんの電車賃がかかるので、よかったらサポートお願いします。(とか書いておりますが気にしないで下さい。何か書いた方がいいと聞いたので)