上野千鶴子さんとの出会いは穏やかにやってきた。あの夏の日の思い出。
注:これはまだわたしが上野千鶴子さんを敬愛していた頃のお話です。
差別する側とされる側とで
Hゼミでは毎回、差別される側からのアプローチが議題になる。けれどわたしは、差別する側の意識が変らないと差別はなくならないと思っていた。だから社会学を選んだとも言える。
とはいえ、結局は差別される側が変らない(声をあげない)ことには差別する側には何も伝わらないという助教授の持論により、差別される側の人が書いた本をテキストにしていた。
初めてわたしがゼミで出会った人々は、ゼミ生だけではなく、助教授が生の声を聞かせてもらうために招いた被差別者だった。
「被差別」という言葉を使うことには戸惑いがあります。でも「被差別」という表現しか思いつかない場面もあるので、考えながら、この言葉を使うことにします。「当事者」という言葉は当時使っていなかったので避けます。
差別を受けている人の中でも、三重(さんじゅう)の差別を受けていると助教授が言っていたのが重度障害者である在日女性の存在だった。
障害者差別と在日朝鮮・韓国人差別(在日コリアンという表現がまだない時代だったので、この表記にします)と女性差別と、三つの差別を受けていた。
この問題が話題になる時によく出てくるのが金満里(キムマンリ)さんの名前だった。
もうひとり、ゼミでよく出てくる名前があった。
女性差別について勉強したいならこの人の本は読んでおこうと言われたのが上野千鶴子さんの著作だった。
フェミニズムという言葉がまだ使われていなかった頃
ー上野千鶴子『セクシィ・ギャルの大研究』光文社 カッパサイエンスー
学生生協でこの本を見つけて買って帰った。安かったので助かった。夕食の後で読み始めると、面白くて途中でやめられなくなってしまった。
この頃は理由を忘れたのだけれど、自分の部屋で夜中に起きていることが禁止されていた。
やむなくわたしは汲み取り式トイレの壁に張り付いて、ぼんやりとした裸電球の下に立ったままで本を読み続けた。
三時間経って読み終わった時、わたしの世界がまた変っていた。
すごい。
この本はすごい。
たくさんの広告の中の女たちが、そのしぐさや目線でどんなメッセージを発信しているのかを分析していく。
男に媚びたり挑発したり。今なら当たり前の視点なのだが、これを1972年に書いたということに意味がある。
数々の発見があり、自分自身の思い込みを指摘された。上野千鶴子という人の深さを感じる。ふざけた文体の中にたくさんの示唆があった。
鮮やかな姿に圧倒されて
この本を読んだすぐ後に、上野千鶴子さんがゼミにやってきた。助教授の知り合いだったらしく、ゼミ生に話をしてくれと頼んだのだ。
ソバージュに裾のゆったりとしたパンツ姿の上野さんは、わたしにはまぶしくて話しかけることすら出来ない存在だった。上野さんが歩くと、周りを爽やかな風がスーッと通り抜けていくようだった。
あれからずいぶん時間が経ってしまった。
東京大学の教授になってからの上野千鶴子さんは変ってしまった。学者としてチヤホヤされる存在になり、文章まで変ってしまった。とても残念に思っている。
「反上野千鶴子派」の登場に
チヤホヤされているのを見ると必ず文句をつけたくなる人が現れるものだけれど、本当に「反上野千鶴子派」がいろいろと騒ぎ出した。
上野千鶴子は好きじゃないとはいえ、反発している人たちとはお近づきになりたくないと思っている。
これを読んでいる人の中にも「フェミがどのように愚かであるか」を知りたいと思っている人がいるのだろうと想像しつつ書いている。
どうかわたしのアホさを、きちんと勉強しているフェミニスト全体に投影しないでほしいと切に願っている。
繰り返しになるが、なんと言ってもわたしは、あの時代にあれだけのことを言えたという点で上野千鶴子を尊敬している。
戦時中に「日本は負ける」と言った人がいたのと同じくらいに尊敬している。いや、言い過ぎた。ともかく、上野千鶴子は嫌いだが、これに関してはたぶん永久に尊敬し続けるだろう。
【シリーズ:坂道を上ると次も坂道だった】でした。
写真は「みんなのフォトギャラリー」からお借りしました。
地味に生きておりますが、たまには電車に乗って出かけたいと思います。でもヘルパーさんの電車賃がかかるので、よかったらサポートお願いします。(とか書いておりますが気にしないで下さい。何か書いた方がいいと聞いたので)