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古代から伝わる、立派な人になるためのたった一つの方法(『中庸』二十章)

今回取り上げるのは『中庸』二十章からの言葉。

人一たびしてこれを能くすれば、己れはこれを百たびす。
(読み:ヒトヒトたびしてこれをヨくすれば、オノれはこれをヒャクたびす)

人十たびしてこれを能くすれば、己れはこれを千たびす。
(読み:ヒトトたびしてこれをヨくすれば、オノれはこれをセンたびす)

『中庸』二十章

他人が一回でできるのであれば、私は百回やってみよう。
他人が十回でできるのであれば、私は千回やってみよう。

という意味。

凡人であっても、人一倍努力と研鑽に励むことで立派な人物になれるということですね。


それでは、『中庸』が想定している「立派な人物」とはどのような人なのでしょうか?

ヒントは『中庸』十一章にあります。

誠なる者は、天の道なり。これを誠にする者は、人の道なり。
(読み:マコトなるモノは、テンのミチなり。これをマコトにするモノは、ヒトのミチなり)

『中庸』十一章

誠とは、天における究極の理想的な道であり、これを実現しようと努めるのが、人としての道である、という意味。

そして、この誠を実現した人物のことを「聖人」と呼んでいます。

誠なる者は、(中略)聖人なり。
(読み:マコトなるモノは、…セイジンなり)

『中庸』十一章

つまり、

  • 誠を実現した人のことを「聖人」

  • 誠を実現しようと努力を続ける人のことを「立派な人」

としているわけですね。

ここで重要な点は、『中庸』では誰もが「立派な人」になる資格を持つということです。

これを誠にする者は、善を択びて固くこれを執る者なり。
(読み:これをマコトにするモノは、ゼンをエラびてカタくこれをトるモノなり)

『中庸』十一章

誠を実現しようと努力する人は、善なるものを選び出して、それをしっかりと守っていく人である、という意味。

生まれながらの地位や才能などには触れていませんよね。

「善を択びて固くこれを執る」というのは、後天的な努力と学習で身につけることができるものです。

実際に『中庸』では、そのための具体的な方法が説明されています。

一文にまとまったものが以下の文です。

博くこれを学び、審らかにこれを問い、慎しみてこれを思い、明らかにこれを弁じ、篤くこれを行う。
(読み:ヒロくこれをマナび、ツマビらかにこれをトい、ツツしみてこれをオモい、アキらかにこれをベンじ、アツくこれをオコナう)

『中庸』二十章

つまり、広く学んで知識を身につけ、疑問点は詳しく質問し、慎重に我が身について思いを馳せ、明確に物事を判断し、何事も丁寧に実行する、ということ。

見やすいように、「立派な人」になるためのポイントを箇条書きにしてみましょう。

  • 広く学んで知識を身につける

  • 疑問点は詳しく質問する

  • 慎重に我が身について思いを馳せる

  • 明確に物事を判断する

  • 何事も丁寧に実行する

たしかにどれも大切なことですが、とはいえ、これをすべて実践するのはなかなか大変ですよね。

『中庸』では、そんな人のために、もう少し具体的なアドバイスもしてくれています。

そのままだとちょっと長くなってしまうので、できるだけ簡潔にご紹介しますね。

  • 【まだ学んでいないことがある人】
     => それを学んでみて、十分学びきるまで努力をやめてはいけない

  • 【まだ質問していないことがある人】
     => 質問してみて、しっかりと理解できるまで努力をやめてはいけない

  • 【まだよく考えていないことがある人】
     => しっかりと考えてみて、納得できるまで努力をやめてはいけない

  • 【まだ判断できていないことがある人】
     => 分析・検討してみて、明確に判断できるまで努力をやめてはいけない

  • 【まだ実行していないことがある人】
     => 実行してみて、十分にやりつくすまで努力をやめてはいけない

といった感じです。

かなり努力を重視していますよね。

これを見てどのように感じましたか?

私は初めて読んだとき、正直なところ、「意外と普通のことが書かれているんだなぁ」と感じました。

ですが、そこが『中庸』のミソです。

誰でも頑張ればできることが書いてあるからこそ、「聖人」ではない私たちの道標となりうるのだと思います。

そして、『中庸』は続けます。

人一たびしてこれを能くすれば、己れはこれを百たびす。
(読み:ヒトヒトたびしてこれをヨくすれば、オノれはこれをヒャクたびす)

人十たびしてこれを能くすれば、己れはこれを千たびす。
(読み:ヒトトたびしてこれをヨくすれば、オノれはこれをセンたびす)

『中庸』二十章

他人が一回でできるのであれば、私は百回やってみよう。
他人が十回でできるのであれば、私は千回やってみよう、と。

果たして此の道を能くすれば、愚なりと雖も必ず明らかに、柔なりと雖も必ず強からん。
(読み:ハたしてコのミチをヨくすれば、グなりとイエドもカナラずアキらかに、ジュウなりとイエドもカナラずツヨからん)

『中庸』二十章

もしも本当にこうしたやり方を実践できたのなら、たとえ愚か者であっても必ず賢明となり、たとえ軟弱者であっても必ず強者となるであろう、と。

一見地味なやり方に見えるかもしれませんが、地味で当たり前なことだからこそ、誰にでもチャンスがあるのです。

孔子が憧れた優秀な政治家である子産(しさん)も以下のような言葉を残しています。

基あれば壊るることなし
(読み:モトイあればヤブるることなし)

『春秋左氏伝』襄公二十四年

何事も基礎がしっかりしていれば失敗することはない、という意味です。

また、イエローハット創業者の鍵山秀三郎さんやパナソニック創業者の松下幸之助さんの座右の銘に「凡事徹底」という言葉もありますね。

一流の人ほど、他人の十倍や百倍、基礎基本をしっかりやっているのだと思います。

もしかしたら、他人と比べて「自分にないもの」にばかり目がいって苦しい思いをすることもあるかもしれません。

しかし、努力することは自分の意志だけでできます。

他人と比較することは健康に良くありませんし、悩んでいるときこそ、まずは自分の内側に意識を集中して、目の前の基礎基本にしっかり取り組んでみましょう。

人一たびしてこれを能くすれば、己れはこれを百たびす。
(読み:ヒトヒトたびしてこれをヨくすれば、オノれはこれをヒャクたびす)

人十たびしてこれを能くすれば、己れはこれを千たびす。
(読み:ヒトトたびしてこれをヨくすれば、オノれはこれをセンたびす)

『中庸』二十章

今回は、凡人であっても、人一倍努力と研鑽に励むことで立派な人物になれるのだ、という言葉をご紹介しました。

努力は結果が出るまでに時間がかかるものですが、真剣に頑張れば頑張った分だけ、将来の自分に成果が返ってくるものです。

今年も残り2ヶ月半ほどですが、何か一つ目標を決めて頑張ってみるのはいかがでしょうか?

私も体調を整えつつ、地道に努力を積み重ねていこうと思います。

それでは今回はここまで。

また次の記事でお会いしましょう👋


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