自分の座右の銘を意識できていますか?(『論語』先進篇)
今回取り上げるのは『論語』先進篇からの言葉。
南容は、一日に何度も「白圭の玷けたるは〜」という一節を繰り返すようにしていた、という意味。
「三たび」というのは、ここでは「たくさんの」くらいの意味合いです。
そして、「白圭の玷けたるは〜」というのは、当時の古典の言葉になります。
つまり、南容という人物は、自分の座右の銘を一日に何度も繰り返し口ずさんでいた、ということですね。
南容という人物は孔子の弟子です。
『論語』にもときどき登場します。
優秀でそつがなく、慎み深い人物です。
孔子も自分の兄の子を嫁に出すほど、南容のことを高く評価していました。
そんな南容の人柄の一端が垣間見えるのが、今回の言葉です。
彼が何度も口ずさんでいたのは、当時伝わっていた詩の一節。
この言葉は中国最古の詩集である『詩経』に収録されて、現代にまで伝わっています。
ちょうど先日の記事でもご紹介しましたね。
この『詩経』には、今から2500~3000年ほど前に作られた数々の詩が収録されています。
そのため、これらの詩は孔子や南容にとっても古典だったと言えるでしょう。
南容は、そんな古典の中から自分の気に入った詩を選び、毎日何度も繰り返し呟いていたのです。
私たちが偉人や古典の言葉を座右の銘にするのと同じですね。
せっかくですので、南容が繰り返し暗唱していた詩を見てみましょう。
白く清らかな玉が欠けたのならば、磨き直せば良い。しかし、発した言葉が失敗すると、もはやどうにもならない、という意味。
つまり、人の失言は取り返しがつかない、という詩ですね。
おそらく、南容はこの詩を座右の銘とすることで、軽率な発言をしないように自身を戒めていたのでしょう。
日に何度も繰り返し呟いていたことからも、彼が慎み深い人物であったことが伺えます。
孔子は彼のそんな人柄を愛し、自身の姪を嫁に出すことを許可したのかもしれませんね。
南容は座右の銘を一日に何度も繰り返し口ずさんでいた、という言葉をご紹介しました。
座右の銘は決めるだけでは意味がありません。
定期的に思い出して意識することで、はじめて人生の指針となるのです。
皆様の座右の銘はなんでしょうか?
もしある方は、紙に書いて壁に貼ったり、スマホのメモに入れたり、南容のように暗唱したりするのがおすすめです。
私は、気に入った言葉は自分のノートにメモして、いつでも見返せるようにしています。
座右の銘を日々の中で意識できるように、色々と工夫していきたいですね。
それでは今回はここまで。
また次の記事でお会いしましょう👋
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