請負・準委任契約二元論者

システム開発契約において、請負契約か準委任契約いずれの性質であるかは重要な論点ではあるが、前提となる契約自由の原則を無視して全ての契約にまつわる権利義務や性質は「請負か準委任のいずれかのセットに帰着する」と考えている人がいる。
また請負や凖委任のいずれかが馴染む場面の認識についても、請負・準委任契約の本質的性質を無視した思い込みとしか思えない言説や、請負・準委任に関係がない事柄まで紐づけていう人もいる。

そんな例をいくつか取り上げていきたい。

ところで全般に共通するが、法は全ての事象に対応すべく抽象的に規定するのであって、具体の事柄への当てはめには困難が伴う(そのため誤解が生じる)が、他方で「法が抽象化しようとした具体の事例」を理解しておくというのは、その当てはめの方針を決めるうえで非常に重要になる。
請負契約と(準)委任契約が抽象化しようとした具体の事例の一部であるが、その性質を理解するのに有用な典型例を以下に挙げる。「なぜこのような性質が導けるのか」と考えるときに、この典型例に立ち戻って見ると、見えてくるものがあるかもしれない。
請負契約:建物の建築、運送
委任契約:税理士、弁護士への委任
準委任契約:コンサルティング

① 準委任契約は請負契約よりも責任が軽い

これを述べる者曰く、請負契約は「成果の完成責任」を負うのに対し、準委任契約にはそれがないから、準委任契約は責任が軽いのだという。これは契約の本旨(その契約が目的とする事柄、それが達成されないと契約をした意味がないと言える事柄)とそこから導かれる責任の性質を誤解し、完成責任を強調して捉え過ぎている。

請負契約は「仕事の完成」を目的にし、準委任契約は「法律行為以外の事務の委託と遂行」を目的にする。
いずれの契約であっても、目的を達成できないときは債務不履行責任を問われる。
債務不履行責任とは
①履行できるのに履行しない場合、強制的に履行させられる(支払督促や判決による強制。案外見落とされている)
②相手型に生じた損害を賠償する責任(民415条)
※なお損害賠償は損害の填補による回復を図るものであるから、損害が生じていなければ賠償するものはない。
③契約の解除(これは根拠条文が複数あるが、契約全般に適用されるものとして民541条による催告解除、民542条の無催告解除)と、「解除によって契約が最初からなかったことになる」結果として、すでに支払われた報酬の返還、引き渡された物の返還など。
が基本となる。

この基本の上に、請負においては仕事の完成が債務の本旨(結果債務)であるから、「仕事が完成していない状態とは債務が履行されていない状態(債務不履行状態)である」と考え、契約不適合責任を置いているに過ぎない。
厳密にあげれば契約不適合責任による救済方法は追完請求権と代金減額請求権がある。しかしこれらが救済方法としてどれほど重要かといえば疑問であるし、何よりもより具体の事例と救済方法は契約書において定めればよい。
※なお請負における「仕事の完成」概念も重要な論点である。

これに対して準委任契約は「ただ定められた事務を遂行していれば債務不履行にならない」というわけでなく、詳細に指定のない事象に直面した際は自らの知見に基づいて判断しなければならないし、委任者が誤りそうであるならば正すように働きかけなければならない(手段債務)。
そしてその適否は「善良な管理者の注意」という至極曖昧な基準において評価される。
そのため、何か問題が発生しようものなら「専門家としてあのときはこうすべきであったのだ」という水掛論がはじまりうるし、受任者としても、例えばセキュリティ対策が顕著であるが「一般的/高度なセキュリティ対策水準」の認識が足りないと、「自らは万全の対策を尽くした」と思い込み、実は世間一般的な観点が取りこぼされうる(そしてそれは法的にも非難されうる)。
つまり余白が大きく、求められる対応が都度の判断に委ねられる(そして事後的に適切・不適切が評価されうる)という意味で不確実性が大きい、リスクが大きな契約とも言えるのである。
※もっとも請負契約においてはこのような専門家としての知見による補充が一切必要なく、ただ契約に定められた仕様を満足すれば良いというわけではない点も補足しておく。

「委託された事務の遂行を(定められた時間数分)淡々とやっている限りは債務不履行責任は問われない」と思われるかもしれないが、それほど単純でないのである。(時間による労務提供のみが債務であるならば雇用契約との差異がなくなってしまう)

以上から、準委任契約が請負契約に比して責任が軽いだとかは一概に言えるものではないし、それぞれ固有の契約リスクを持ちつつも、場面に即して適切な契約の本旨を捉えて選択し、不足するところは契約条件を調整することが必要になる

もっと言えば、請負契約と準委任契約という権利義務のセットに全てを委ねて無理に現実を当てはめようとするには現代の契約対象事情は複雑すぎ、目の前の事例を観察し、予想される紛争と対応を思考するのが重要で、契約形態の選択に拘泥するのはより重要な点を取りこぼしてしまうリスクを孕んでいる。

②請負契約であるなら成果物の納入が有るが、準委任契約では無い

これは請負契約の「仕事の完成」を「成果物の完成(と引渡し)」のことのみを指す、また準委任契約における「事務の遂行」を「労務提供のみを目的とし、その成果物の引渡し義務はない」と誤解していることによる。
たしかに請負契約における契約不適合責任において「仕事の目的“物“(民636条)」という「引き渡されるべき物」が観念されているものはある。
また準委任契約においても、契約の本旨は「事務の遂行」であるからその事務の結果作成された物(コンサルティングを委託したとして、そのレポートである資料など)を作成すべきであるとか、引き渡すべきとは規定されていない。

請負契約も本質的には、請負人の労務を提供して一定の仕事の完成を目的にするもので、労務供給型の契約である(我妻1325頁)。運送請負を思い浮かべれば、指定された地点間の物の移動は請負人の労務によってなされたものであり、いわゆる「成果“物“」的な新たな物の創出をしていない。
請負契約が用いられるものは建築物や造船といった1つの産業界を形成しており、そのイメージから「モノの完成」のイメージが先行しているが、条文を見ても明らかなように、モノの完成にのみ着目した契約ではない。

一方、準委任契約の条文をみれば、何らかの成果物の納入がありえないという定めもどこにもない。コンサルティングの例で言えば、単に助言さえしてくれれば良い場合もあるし、レポートとして形にして納めてもらう必要がある場合もある(後者をして請負とするのも多くの場合適切でないだろう。スカスカでもレポートの形にさえして納めれば仕事の完成といえるであろうか、受任者の見識に基づいて充実した中身を伴うものであることが重要であろう)。
いずれの場合においても、希望する能力と業務の定義次第である。

成果報酬型準委任においては、成果(的な物を含め)の引渡しが伴いうる。
例えばある商材の成約を成果報酬にしている場合は、顧客との間で成約した契約関係が本質的には引き渡すべき成果であり、それを証明する書証のようなものとして契約書類が引き渡されるといえる。

従って何らかの成果物の納入有無はその契約の履行によって何がアウトプットされるか、それを引き渡すことを求めるか次第である。

アウトプットの着目の仕方も一意とは限らない。
おそらく一般には請負契約として行われているであろう自動車の修理において、「自動車」という全体はその性質は修理前後で変わらず(修理を終えたら車種が変わっていただとかはあり得ない)、所有者からいったん預けられるが、所有権の移転も貸借関係も当然ない。厳密に言えば修理部品の引渡しがあるかもしれないが、それが債務の本旨とは言えない。修理部品だけ渡されても困るのであり、それを使って自動車の不全が正されている状態にする仕事に目的があるのである。従って修理が完了しなければ、基本的には対価も払われない(部分的な修理や問題箇所の診断に対する代金としていくらか支払うというのはありうる)。ここにおいては「成果物」とは「業務前に抱えていた問題が改善された自動車」と言えなくもないが、「自動車に存在する問題を改善する無形の仕事を完了させる」と言っても差し支えはないわけである。

またアジャイル開発のモデル契約が策定されているように、システム開発を準委任契約として行うことはあり得ないとはもはや行政も言わなくなったわけである(他方で行政の発注契約はいまだに請負至上主義である)が、ここでは契約期間中の開発業務によって作られるプログラムが存在しうる。
もちろん試作の結果、不要と判断された何の役にも立たなそうな中途半端なプログラムも存在しうるが、それらを含め何を引き渡すべきものとするかは当事者の認識・意思に基づく契約の定め方次第である。
※物理性・唯一性のないプログラム作成において「引渡し」の観念の定義も重要である。

以上のように、契約形態と納品物との間に、強弱はあれど、必然的ともいうべき牽連はない。

さらにアウトプットに対して何らかの報酬などインセンティブを紐づけるかも別問題である。
成果報酬での弁護士への訴訟委任然り、成約1件あたりのインセンティブ報酬を定めるフルコミット型の保険商材のセールス委託や販売代理契約は、自らの裁量に従って営業活動を行うが、成約できなければ報酬を得られず、最悪成績不振で契約を更新されないだけで、成約できなければ損害賠償であるとか直ちに契約解除になるだとかの債務不履行責任は問われない。
従って「成果報酬型準委任契約は成果の完成や引渡しがなければ債務不履行である」と捉えるのも短絡的すぎる。

すなわち、債務の本旨、付随的債務、報酬、納品物等の現実の授受物は、関連し合うものもあるが、全て独立の事柄である。

③請負契約では中間成果物ではなく最終成果物の納入がなければ報酬を払う必要がない/準委任契約では工数分だけ払わなければならない

これも②のとおり、契約の本旨と成果の紐付けかた次第である。

たしかに一般にシステムを安定的に稼働させることを受託する保守運用契約においては、いわば「報酬のブレに対応させるべき波なく過ごすことが重要」であるので、一定の期間や工数に応じて報酬設計することが馴染む。
※一定の期間に応じて報酬設計しつつ、作業効率性を工夫によって高めることで投入工数を下げたとしても、それは受任者の裁量に基づく工夫であり、またそれにより作業に支障が出ていないならば、その分の利益を否定される理由もない。
ところで「毎月5人月充てること」と定めて実際は3人月で十分であるなら、毎月の投入工数や対応数を提出させることで妥当な工数と対価の条件を発注者が査定するのも双方にとって良いかもしれない。

また請負においては、仕事の完成とそれに対する報酬の支払いが債務の本旨として紐づけられているから、仕事が完成されていなければ、契約の目的が達成されていないから報酬を支払う必要がないとは言える。

しかしながら、1つの契約が単体の債務で構成されているのか、いくつかの債務の複合から成っているのか次第によっては、部分的な債務の履行とそれによる報酬請求権の発生などの効果が生じることはありうる。法的な債権債務関係の分解能や契約のまとめ方のポリシーの問題である。
複数のサブシステムからなる巨大なシステムにおいて「全てのサブシステムを備えた最終成果物であるシステムが完成されなければ一切報酬を支払う必要がない」と必ずいえるものではない。これは一義的には請負の注文者が受ける利益に応じた報酬(民634条)が根拠となる。一方でベンダーの色が強いシステム開発においては、出来上がっている部分を引き継いだ別ベンダーが完成させられるかは一般的には困難であるのも否定できない(SAPなどのような巨大かつ複雑なパッケージソフトにおいて認定制度をとっているものは認定ベンダー間において標準パッケージの範囲ならば相互融通できるかもしれないが、アドオン開発部分になると不可能となる可能性はある。蛇足だが非認定保守業者が安く保守を請け負うと言って営業してくるときがあるが、保守しきれないリスクとそのときの責任を考えなければならない)。
それでも、契約において「サブシステムAの開発を完了させたらその部分は単体でも利用できるようになるので、中間払いとして○万円請求する」ということはもちろん可能である。要するに対象物の性質と、双方が納得しうる対価関係を規定すれば良いのである。

準委任契約においても、例えばシステム開発を受託した場面では、あるシステムの完成まで到達できなければ報酬を支払わないと契約で定めることはもちろん可能である(完成させられずに報酬を得られないリスクはベンダーが負うのだ)。
他にも投入工数に応じた報酬を請求するとして、何らかのシステムの完成までは約束しない(最近のIPAの資料によると「成果保証」とも言われている)としても、発注者が納得して契約すればそれで良いのである。
中間的な方法として、一定の工数に応じた報酬と、目標であるシステムの完成を達成したときの報酬の二階建てにしても良い。

いずれにしても、契約対象の性質と、双方の納得、合意次第である。

④請負契約では指揮命令はできないが、準委任契約ではできる

これは準委任契約がシステムの保守や運用を委託する契約に用いられてきたこと、その業務実態が発注者と混成するものであったなどの経緯により、派遣契約ないし雇用契約との混同に原因がある。

雇用用契約に限らず、準委任契約も受任者の給付する(提供する)ものはその「労務」である。
雇用契約と準委任契約の違いは、雇用契約は「労働に従事すること」を目的にし、「労務の供給ないし利用自体が目的であり、使用者の指揮によってその効果を発揮させるものである。契約に従って一定時間の労務を提供すれば、それによって対価である報酬を請求する権利を生じる」(我妻・和泉「コンメンタール民法 総則・物権・債権」1313頁)
これに対し準委任契約は「一定の事務の処理という統一的な労務を目的とし、労務供給者の識見・才能によって労務が行われる(我妻1313頁)」、「受任者は、委任の本旨に従い、善良な管理者の注意をもって、委任事務を処理する義務を負う(民644条)」とあるように、「委任者の委託事項を形式的に処理せず、自由裁量をもって委任者の信頼に応えるべきことを強調」している(我妻1345頁)。
※ただし「委任の本旨に従い」から委任者が一切の要望を出せなくするのではなく、「委任者が指図すれば、原則としてこれに従うべきではあるが、この指図が不当であるときには、これを委任者に対して注意するべきであり、事情の変化によって、その方法が委任者に不利になった場合には、その指図に拘束されずに委任者に指図の変更を求め、または臨機の処置を採るべきである」(我妻1345頁)

このような契約の本旨の違いから、
雇用は労務提供者の裁量をも委ねてしまうために指揮命令権を使用者に認め、労働者には裁量による成果の創出はなし得ないから成果に対する報酬はなじまず、時間に対する報酬請求権を認める。
これに対し、準委任契約は受任者の裁量を認め、その知見に基づく臨機の判断を期待するため、指揮命令権を認めず、成果については受任者の遂行する事務の性質に合わせて一定の成果に連動させる成果報酬型(民648条の2)と、一定の成果を観念し難いために(いわば妥協的に)事務処理量と見做せなくもない時間の経過(契約期間)や提供労務量(工数)に連動させる履行割合型(民648条)を設けている。

従って「準委任契約では一切の裁量を取り上げて指揮命令ができる」というのは全くの誤りである。

A1…請負とは、労働の結果 としての仕事の完成を目的とするもの(民法 632 条)であり、労働者派遣との違いは、 請負には、発注者と受注者側の労働者との間に指揮命令関係を生じないという点にあります(※1)。
この点において、委任(民法 643 条)、準委任(民法 656 条)も同様であり、アジャ イル型開発(※2)が準委任契約を締結して行われる場合でも、実態として、発注者と 受注者側の労働者との間に指揮命令関係がある場合には、その契約の形式を問わず、 労働者派遣事業に該当し、労働者派遣法の適用を受けます。
したがって、アジャイル型開発のようなシステム開発の場合でも、労働者派遣と請負等(委任、準委任を含みます。以下同じ。)のいずれに該当するかについては、契約形式ではなく、「労働者派遣事業と請負により行われる事業との区分に関する基準」(昭 和 61 年労働省告示第 37 号)に基づき、実態に即して判断されるものです。
「労働者派遣事業と請負により行われる事業との区分に関する基準」 (37 号告示)に関する疑義応答集(第3集)

他方で「請負でも凖委任でも契約後は一切口出しできない」というのも誤りであり、「発注者としての指図(いわば方向づけや希望)」は許容されている。
これは建設工事の請負のような元請・下請業者が混在するような場面において、元請業者の監督者の指示(ここでは厚労省通達の基準に照らして労働者性を帯びるような指揮命令ではなく、日中は避けるだとかの周辺住民との調整に従うためや、作業安全、工程の調整のためになされる)がグレーなように思えるが、慣行としても定着するばかりか、労働安全衛生法、労災保険法などでもこれを前提とした制度設計がなされている。
※厳密には個々詳細な作業まで見たときに、その遂行方法や順序、結果の評価まではしていないという理解である。
準委任契約においても、具体には厚労省の通達などから判断されるべきであるが、アジャイルにおける厚労省の質疑応答では「自律的」というキーワードを用いている(公式の質疑応答には盛り込まれなかったが、その趣旨は受任者の選択に基づいて業務を行うことであるという。自由裁量に基づく準委任契約と何ら変わりはない)。

⑤請負契約では成果物の知的財産権は全て引き渡されるが、準委任契約では受託者に留保される/準委任契約に基づいて受託者が成した成果物は発注者に帰属する

これは②③④の不正確な理解に原因がある。

まず前提として、民法上の契約の形態には知的財産の定めはない。
知的財産法は原則として「知的財産を成した者(人間)に権利が帰属する」と考える。この例外が「職務発明・職務著作」であり、「人間を(雇用契約として)使っている法人は権利を承継する/権利者となる」という建てつけである。
そして法人と法人は「他人」である。
このような「『法人』⇄『法人(⇄被用者)』」という二つの関係性を前提として認識しなければならない。
「法人⇄法人」の関係において雇用契約はあり得ない(法人は法によって特別に法的な人格を付与された存在であって、自然人を前提とする労働者たりえない)。そうすると請負・凖委任契約のような「指揮命令関係のない契約関係」となる。知的財産法の職務は厳密な意味では指揮命令とは異なるが、ほぼ同等と捉えて差し支えず、そのため法人間の取引においては「使用者(特35条・著15条)」要件を満たさず、職務発明・職務著作は成り立たない。従って「業務委託によってなされた知的財産は受託者に帰属する」のがまず前提になる。これは請負であろうが凖委任であろうが契約の形態を問わない。
※論理的には、偽装請負として評価されることを覚悟して職務著作を成立させることはあり得るのかもしれないし、法の趣旨からして認められないかもしれない。

次に、④のように準委任契約では指揮命令ができると考える発注者は、受託者が成した知的財産権に職務発明・職務著作が成立し、発注者に帰属すると考える。
しかし指揮命令関係は成り立たないので使用者たりえない。

従ってあくまでも「受託者に帰属した知的財産を発注者に移転させる」ということは契約の形態からは導けず、契約における知的財産の扱い次第である。

また業務委託によってなされた知的財産が必ず発注者に帰属させるべきであるという論説もあるが、これもケースバイケースである。
そもそもプログラムは著作物性が生じにくいものであるので、建前として「どちらに帰属するか」を規定するのはあり得ても、現実的に著作権侵害を成り立たせるほどのプログラム著作物の類似事例は少なくとも現時点では考えにくい。
著作物であると仮定しても、クラウドサービスのようなパッケージされたライセンスソフトウェアを利用するにあたって画面構成のカスタマイズを行うような場合においては、発注者としてもカスタマイズ後のプログラムの著作権を獲得しても、根本のクラウドサービス自体の権利を獲得していない以上、利用契約がなくなった瞬間役に立たないものになる(私見ではサイボウズオフィス事件を念頭にすれば、画面カスタマイズ程度で著作物となり得ないと考えている)。何らかの標準的なパッケージでは実装されていない機能を実装するようなカスタマイズだとしても、著作権法は「機能」は保護し得ないのであり、その具体のプログラムの記述がパッケージソフトと混在する(例えば元々のパッケージソフトに存在するプログラムの出力を入力値として扱うプログラムで、外部処理化するのは適切でないのでパッケージソフト内で記述するような場合や、新たに実装するプログラムを動作させるためには既存のプログラムの記述を複数箇所変更しなければならない場合)ならば、現実的な分別可能性の問題も生じる。
そして多くの場合、「カスタマイズされた処理も含めてパッケージを使用する間使えればよく、外販や他社の侵害を問う気はないでしょう?」と問うと発注者は首肯する。せいぜい「同じパッケージを利用している他社との競争優位を保つため、同様のカスタマイズを他社で行わないでほしい」というリクエストがあるかだが、これはもはや著作権の問題ではない(パッケージベンダーの戦略との兼ね合いにもなる)。

ところでIPAのモデル契約においてはプログラムの再利用を促進する観点からベンダーに著作権を留保させる選択肢を提示している。この場合に、「開発プログラムの引き渡しを受けた発注者は著作権者でないから一切のプログラム改変ができず、あまりに不都合である」と捉える者がいるが、一応著作権法においていは一定の手当がある。この場合の発注者は「プログラムの著作物の複製者の所有者」となるが、著作権法47条の3においてはそのような者はバックアップによる複製や不具合改修のための翻案をすることが認められている。
著作権法上も一切何もできなくなるわけではないのだが、仮にベンダーに著作権を留保することとしたとしても、ベンダーロックインを避けたい発注者は「発注者は自ら使用する目的の範囲において、自己または第三者をして、目的物のバックアップによる複製、バグの修補、機能改修その他一切の改変をすることができる」と定めてもおよそやりたいことは満たせるだろう(形式的には著作権の利用許諾を取り付けたことになる。許諾される範囲を変更すれば著作権法よりも広く権限を得ることも可能である)。
※もっとも問題となるプログラムが「著作物であるか」が問題であるが。

(プログラムの著作物の複製物の所有者による複製等)
第四十七条の三
 プログラムの著作物の複製物の所有者は、自ら当該著作物を電子計算機において実行するために必要と認められる限度において、当該著作物を複製することができる。ただし、当該実行に係る複製物の使用につき、第百十三条第五項の規定が適用される場合は、この限りでない。
 前項の複製物の所有者が当該複製物(同項の規定により作成された複製物を含む。)のいずれかについて滅失以外の事由により所有権を有しなくなつた後には、その者は、当該著作権者の別段の意思表示がない限り、その他の複製物を保存してはならない。

⑥請負契約で完成させるシステムは要件を全て満たして完璧な動作をしていなければならない。

これは他の記事や書籍でも散々書かれているとおり、システム開発の請負契約における「完成」とは「予定された工程の完了」であって、「一切の不備のない成果物の引渡し」ではない。傷のない「完璧」なものであることと、「完成」は違うのである。

⑦システム開発契約は請負契約か準委任契約しかない。そしてその性質と契約条項は必然的に決まる。

上記までに記載したとおり、問題となる事項はそこまで単純ではなく、また請負/準委任の二分論で解決し得ない。
そして民法自体においても、請負契約などの典型契約を示しつつも、前提として契約内容を自由に決めることを許容している。

(契約の締結及び内容の自由)
第五百二十一条 
 契約の当事者は、法令の制限内において、契約の内容を自由に決定することができる。

結局は、当事者が契約の都度どのようなことを希望し、どのような事態を想定して対応策を打つかを真剣に考えるべきなのであって、単純化や慣行による思い込みは固有のリスクを見落としてしまう危険性があるのである。

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