回復への道のり〜愛されたくて愛されたくて編〜


アセスメントを経て本格的なカウンセリングが始まり、最初の頃に比べて話すことが段々と無くなってきた気がする。
初めの頃は、カウンセリングの50分がほんの数分の様に感じられた。カウンセリング直後に強い怒りが湧いたり、帰宅しても様々な感情が溢れて溢れて、泣いてばかりいた。

それらの感情もほとんどが怒りや哀しみだったのが、今日は違った。
愛された記憶が出てきたのだ。

数ヶ月前まで、私はもう消えてしまいたいと思っていた。
死にたい、とも違う。自傷行為はしないが、常に心の中で自分自身を批判し攻撃し、責めている。
自分は無能で役立たずだ、
生きるに値しない存在だ、
無価値感に覆われたまま生きることは、苦痛でしかない。

「自分が死んでも悲しむ人などいないだろう」という漠然とした気持ちは、子どもの頃からあった。

私が小学校高学年位だった、
事件だったか事故だったか、子どもが生命を落とすという痛ましいニュースがテレビで流れていた。
ニュースを見ていた母の背中に向かって、何となしに尋ねた。
「お母さんは、私が死んだら悲しい?」

母は私の方を振り向いて、「あんた達が死んだら、毎日泣いて暮らす」と言った。

お母さんは、私が死んだら悲しいんだ。
私だけじゃなく、私の弟も妹も、死んだら悲しいと思ってくれるんだ。

あの時、私の質問を母は茶化さなかった。
私が死んだら悲しいと言って貰えた。
何度も心を粉々にされてきたけれど、その言葉だけで、生きてこられた気がした。

親は、愛し方を知らなかった人たちだった。
祖父母や親族も含めて人間関係が悪く、その中で親をケアする役割を担うしかなかった私の望みは、両親の仲が良くなり、家族みんなが幸せに暮らせる事だった。

母の言葉、あの時の母の表情を思い出し、私は愛されていたという事を実感して、泣いた。これは、嬉し涙なんだろうか。
怒りでも哀しみでもない、とめどなく溢れる感情。
初めて、自分も誰かを愛せるようになりたいと思えた。

本当は愛されたくて愛されたくて仕方のなかった私を、私が認めてあげることが、新しい一歩なのかもしれない。
いつか、誰かを愛せる日が来ますように。

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