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産休4週目の所感

臨月に突入した。
涼しい日が増えて、いよいよ季節が変わるんだなと実感する。産休初日はまだまだ真夏日だったというのに。
37週0日から41週6日までの間は正産期(40週0日が出産予定日)。つまり、もういつ陣痛がきて生まれてきてもおかしくない時期だ。今までは「予定日まであと何か月」と指折り数えて未来のこととして出産をとらえていたけれど、それがついに「いつ生まれてきてもおかしくない」フェーズに突入したわけだ。

「いつ生まれてきてもおかしくない」って、パワーワードすぎてドン引きである(動揺)。
予定日までまだ半月あるけど、生まれてくるのは明日かもしれない。あまりに不確定に控えているビッグイベントに対して、どういう心づもりをしていたらいいのか全然わからなくて戸惑っている。そんな産休4週目の日常の記録です。

ずっと家にいると気が滅入る

午前中に保育園見学やら健診やらの予定のある日は「やらなきゃ」の緊張感があって多少気疲れする。重たい体を運ぶことに伴う物理的な疲れもある。
でも、なんにも予定のない日もそれはそれで気が滅入るものだ。

なにも予定がないから、思い切ってあれをしよう!みたいな目的がある日はいい。家の片づけとか、読書とか、勉強とか。
でも、毎日が毎日モチベーション高くいられるわけじゃないのも現実。
何もしたくないけどずっとここにいるのも嫌だ……そういうどうしようもなく怠惰な気分に飲み込まれて息苦しくなることがある。長すぎるモラトリアムの副作用だな。

そういうわけで、避難することにした。本を1冊だけ持って近所のミスドへ。
ミスドのイートイン自体がとても久しぶりだったので、ポンデリングとオールドファッション(ストロベリー)とミルクティーを頼んでホクホク。空調がかなり効いていてちょっと寒かった。あと、いろんな虫が飛んでいたのが気になった。

別の日は、保育園見学の後、近くまで会いに来てくれるという友人を待つ間の2時間ほどをカフェで過ごそうと決めてベローチェを目指した。良心的な価格設定に心躍るが、ソファ席がないので諦めた。固い椅子は臨月の妊婦にはちょっときつそうだった。

スタバはいつも混んでいるし(平日の日中だというのに!)、ドトールはちょっと狭くて落ち着かないし、チェーンじゃない喫茶店は一人で入るのにハードルを感じてしまう。それで、結局いつもお世話になっているタリーズに落ち着く。
天井が高いので空調が効きすぎることもなく、虫も飛んでいないし、ソファ席が充実している。土日は混むけど平日はそれほどじゃない。ただ、コーヒーを求めていないわたしの選択肢がほぼブラッドオレンジジュース一択なのがちょっと飽きてくるというのが玉に瑕かな(あと、高い)。デカフェに変更ができるなら、いろいろ試してみてもよいかもしれない。

園児にお腹を撫でられる

徒歩圏内の認可保育園はほぼ制覇するつもりで見学を申し込んでいる。
そのなかで最も遠い園に行ったときのこと。もう行く前から「ちょっと遠いからなしかな」とモチベーション低めだった。

しかし。
いざ中を案内してもらって驚いたのは、園児たちが物怖じせずに「こんにちは!」と挨拶をしてくれたことだった。他にも10園近く見てきたけれど、お散歩中で園児が不在だった園や窓越しでの見学だった園を除けば、気になって近づいてくる子はいても基本的に恥ずかしがって挨拶もままならないことがほとんどだった。
だから、5歳児クラスの園児たちにわっと取り囲まれて「赤ちゃん産まれるの?」とお腹を撫でられたときはめちゃくちゃ戸惑いつつも、久しぶりのちびっことの交流にほっこりした。

ほっこりうれしい気持ちで帰路につきながら、これを園ではぐくまれた子どもたちの社交性の高さとして手放しで喜んでよいものか、むしろ見ず知らずの他人に人見知りもしないで無差別的に関わる情緒的な不安定さとみるべきかと葛藤してしまうのは職業病だろうか……。

おっかなびっくりお腹に触れる園児たちの手はとてもやさしくて、ベビーはきっと元気に生まれてきてくれるだろうなと確信した。

お腹がカチコチに張る

背筋伸ばしめに座っていると、だんだんお腹が張ってくる。
かといってのけぞってみるのも、長時間はキツイ。
胡坐をかくと楽なのだけど、立ち上がるときに股関節が痛む(寝て起きたときもそう。股関節の痛みはこむら返りほどじゃないにしても地味にしんどい)。

妊婦健診で先生に「お腹張りますか?」と聞かれて、「結構張ります」と答えたら「ははは」と笑って流された。なんで聞いたんだろう。

張ったお腹はびっくりするほどカチコチで、ベビーにぐいぐい押されている感じがする。まあまあと宥めながらさすっていると、そのうち引いていく。自分の体ながらに、なんだか不思議な感覚だ。

妊婦健診

お腹が張るわたしを「ははは」と笑い飛ばした先生は、丸いお腹の上にジェルを伸ばしてエコー検査をはじめた。頭の大きさを計って、お腹周りを計って、太ももの骨の長さを計って、体重が2500gを超えたことを教えてくれた(胎児を体重計に乗せるわけにはいかないので、この3つのデータから推定体重を導き出すのである)。

ベビーの性別を知ることについては、過去の記事でも書いたけれどきわめて消極的だったので、この日の健診までにはっきりとしたことは聞いていなかった(一度知りたいかと聞かれてパスをして、それ以来先生からも特に何も言われずこちらからも何も聞かなかった)。
この日、エコーで初めて外性器を確認した。ベビーの生物学的性が確定した瞬間である。

今はそう思っているわたしだけど、いざ性別を告知されたらどんな反応をするだろうか。
女の子と言われたら勝手に女の子の親になる想像を膨らませてしまうんじゃないか。男の子と言われたら男らしい未来を想像してしまうんじゃないか。今はそれがちょっとこわい。
知りたくなかった自分の暗黒面に気づいてしまうような気がして、そんな自分に幻滅してしまう気がして。

胎児の性別

性別を告知されたその瞬間のわたしは、目の前に突如としてあらわれた圧倒的な事実に「おお…」とたじろいだ。安堵も落胆もなく、ただ知ったのだということを噛みしめて。
帰り道、明らかになったベビーの性別について考えを巡らせた。道行く親子連れを見ながら「こんなふうになるのかな」と思ってみた後すぐに、「どんな子かは性別じゃないもんな」「どんな子かじゃなくて、どんなふうに時間を共有していくかなんだろうな」と打ち消した。

家に帰って夫に「性別わかったよ」と伝えたら、夫はまだ知りたくないと耳を塞いでいた。だから、わたしはまだ誰にも言っていない。
今度仕事場の子どもと電話交流をするのだけど、性別を聞かれたら「知ってるけど内緒だよ」って言うつもり(今まではずっと「まだわからない」で通していたけど、さすがに嘘をつくのは良心が咎めるので)。


まだまだ書きたいことはあったけれど、長くなってきたのでこの辺で。


👇これまでの産休の様子


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