都立高校入試スピーキングの問題―「母語の影響を受けた英語」について
東京新聞2021年12月29日「英語スピーキングテスト中止を 都立高入試で関係者訴え「公平な採点は不可能」」( https://www.tokyo-np.co.jp/article/151571 )
「都教育委員会が中学三年を対象に来年十一月に実施し、都立高入試で活用する英語スピーキングテストについて、英語教育の関係者らが二十七日、都庁で記者会見を開き「約八万人分の公平な採点は不可能」などと導入中止を訴えた。今月中旬からインターネットで署名活動を行い、既に約七千五百人分を集めた。今後、都教委に提出する。」
スピーキングテストの導入について似たような騒動が記憶に新しい人も多いのではないだろうか。この東京都立高校入試でのスピーキングテスト導入に関する問題も、格差の問題や採点の不公平さから中止・撤回に追い込まれた大学入学共通テストの事例と似た問題を孕んでいる。
今回東京都に対して中止を申し入れた「都立高校入試へのスピーキングテスト導入の中止を求める会」は、東京都が導入しようとしている中学生のスピーキングテストについて以下の問題点を挙げている。
(1)公平な採点はできるのか
(2)評価の信頼性への疑問
(3)授業と英語教育への波及の問題
(4)個人情報漏洩(ろうえい)の危険性
(5)入試配点上の問題点
(6)家庭の経済格差が学力格差を生む
(引用元 朝日新聞EduA(Yahooニュース2021年12月27日)「都立高入試〈英語スピーキングテスト〉 教員ら「導入反対」訴え、記者会見」:https://news.yahoo.co.jp/articles/45b79042507c0647e056888f1b8af0dca3028057?page=2 )
多くは大学入学共通テストでの英語民間試験導入の議論と同じであることが見受けられる。
中でも、私個人の関心としても、(2)評価の信頼性への疑問に関する点で問題があると感じている。朝日新聞EduAの記事でも言及されている通り、都教委が示している採点基準にある「音声」の項目で、「母語の影響を受けていること」が減点の対象となることである。3点となる採点基準として「母語の影響を受けている場合があるが、概ね正しい」と示されているが、その「正しい」というのは何に照らし合わせて「正しい」と判断するのかという点である。
現在の英語は、英語を母語とする人々だけの言語ではなく、国際共通語としての役割を持っている。英語を話す人は、英語を母語とする人だけでなく、世界的に広がっており、英語を母語とする人々の母語としての英語、第二言語としての英語や外国語として英語など、英語の多様性を尊重する動きにある。現在ではこの文化的多様な英語としてWorld Englishesという語が用いられている(カチュル(Kachru)という研究者が、本来複数形で扱うことのない言語を意味するEnglishを複数形で表した概念で、日本では「世界諸英語」や「国際英語」という訳語として知られる)。世界には多様な英語があり、それらも平等に英語であるという考えである。それぞれの国の人が、自分の母語の影響を受けた英語であっても、それらは平等に英語であるということである。
また、現在の世界的な外国語教育の流れは、もはやネイティブスピーカーを目指すことを目標とするものではない。行政が出典として引用することが大好きな欧州評議会から出されたCEFR(Common European Framework of Reference for languages: Learning, teaching, assessment)においても、「外国語学習の目標はネイティブスピーカーを目指すことではない」と明記しており、2020年に出されたCEFRの増補版(Companion volume)においては、「ネイティブスピーカー」という表現をすべて削除しているほどである。
現在では、ネイティブスピーカーのように話すことではなく、伝わりやすさが重要視なのであり、母語の影響を受けているものであっても、しっかりと中身のある内容を伝えることができることが重要なはずである。英語教育においては、「世界基準の英語を」という枕詞とともに英語教育改革が主張されることが多いにもかかわらず、今回の東京都のスピーキングテストの採点基準は世界の外国語学習の流れを全く無視するものである。
そもそも「正しい」英語というのは誰の話す英語を指して言っているのかも不明である。
英語を母語とするネイティブスピーカーであっても、イギリス英語やアメリカ英語と、それぞれの出身国の文化の影響を受けた英語を話している。そのイギリス英語やアメリカ英語の中でも、地域による方言という形で、それぞれの地域の言葉の影響を受けた英語を話している。一部報道では、採点はフィリピンでおこなわれるということであるが、フィリピンの英語ネイティブスピーカーもフィリピンの文化言語の影響を受けた英語の話者である。もしも現在の英語教育の多く採用されているアメリカ英語が、仮にも「正しい」英語として、それ以外の母語の影響を受けた英語は減点されるべきもの、つまり「正しくない」というものであれば、それは採点するフィリピンの人々に対しても冒涜である。
英語教育はあくまでも「英語」教育であり、「アメリカ語」教育や「イギリス語」教育ではない。しっかりと自分の言いたいことを相手に伝えられることが重要なのである。発音に母語の影響が残っていたとしても、しっかりと英語を用いてコミュニケーションを図ることができるのであれば問題はない。
今回の東京都のスピーキングテストにおける「母語の影響」をめぐる問題は、英語教育の目的にも関わる問題である。コミュニケーション能力の育成を掲げておきながら、コミュニケーションよりもネイティブスピーカーを崇拝することを目的としていることとなってしまう。ネイティブスピーカー信仰は、英語を話そうとする生徒をさらに委縮させるだけの害でしかなく、また世界的な外国語教育の潮流とも逆行するものである。東京都にはこの採点基準をなぜ採用するのかしっかりと説明をしていただきたいし、この採点基準については廃止していただきたい。
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