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いのちのいろ

父が帰る日が近づくと家の中の片づけを手伝った。
寝室に風を入れ寝具を整え
枕を頭が乗るだろう位置に置いた。
母はいつも以上にそわそわいそいそしている。
母とはずいぶん長く一緒に居られたので
明日からは父に譲ろう。
そんなことを子どもながらに思っていた。
父は長い入院からの一時帰宅だった。


 。。。。◯


父は地元特産の漆器工芸品を作る職人だった。
創作していたものはお盆や茶托、手鏡、化粧箱など。
絵付けをし、彫刻刀で花や野菜柄の文様を彫り
中には短詩を彫ったものもあった。
うるしを塗ってペーパーで磨くことを
幾度となく繰り返し、色漆を重ねて彩りながら
やっとひとつの作品ができあがる。
作品の裏には製作者の名前が入れてある。
愛おしさえ抱いてしまう「寿」。
父の名前のひと文字だ。
 
作業場は本宅とは別棟で一番日当たりがよく
一番明るい場所にあった。
そこはいつも漆のにおいが立ち込め
手についた漆を落とすためのシンナーのにおいも
強く漂っていた。
父の仕事をする傍らで板切れに絵を描いたり
彫ったりして遊ぶことが好きだった。
漆器には花なら椿、野菜は茄子の絵柄が多く
いつかわたしも描いて彫って塗って磨いてと
ささやかな夢を見たこともあった。
夢を見たとゆう夢を見たような、かすかな
夢なのだけれど。

小刀で掘る音、木くずを払う音、咳ばらいも
ふとした瞬間の音は二人の音色が奏でられるように
こゝろもまたまばたきするようにふるえていた。
父と娘の意識しない今、がそこにあった。
漆やシンナーのにおいがわたしは好きだ。
何年経とうともペンキや接着剤のにおいは
たちまち作業場へと連れていってくれる。
健康に良くないと知ったのはいつだったか。
あの頃はさして重要ではないにおいだったことは
意識しない今がもの語っているように思う。

 
 。。。。◯


父との思い出は作業場に濃ゆく残ってある。
そのひとつにわたしが小刀の誤った使い方をしたとき
絶対にしてはいけない、とゆうことを
両手をぎゅっと強く握り、わたしの両目を
一心に見つめることで表した。
ことばはなくただ、両手を強く、目を一心に。
いけないことをしたんだ、危ないことをしたんだ。
わたしは声にならず涙でごめんなさいを言った。
叱られた記憶は後にも先にも一度きり。
もっと叱られていたらよかったな。
そうして枯れるほど涙を流せたら
どんなに楽だっただろう。
そんな楽なら楽をしてもいいよね、お父さん。

 
 。。。。◯


生を受けた時から病弱で片肺だった父。
入退院を繰り返しながらもわたしの
父になってくれた。
ものこゝろついた時、家の中に真っ黒い
酸素ボンベがあることがすごく怖かった。
鼻につながれたチューブは
色白のやさしい父の顔をとっぴな顔に見せていたし
酸素を吸っていてもいつも呼吸は苦しそうだったから。
 ボンベの中にはね、清い空気が
 たくさん詰まってるのよ。
それが父のいのちを守っているのだと
母は怖がっていたわたしに教えてくれた。
ボンベのいろの重みをこゝろ得ることができたのは
何年も経ってからのことだった。
あの頃の自分の幼さを痛切に感じ口惜しく思う。


 。。。。◯


父の背中とゆうのは大きいはずなのに
とても小さくて弱々しかったことが思いだされる。
握ってくれたときの手は大きくあたたかかったことは
言うまでもないけれど。
わたしが生まれてから小学6年生に上がった日まで
父から注がれた12年の愛情にどう報いれば
よいのだろう。
接点も触れ合いも数えれば数えきれるほど少なくて
記憶はすぐに見つけ出せる。
けれど奥行きも厚みもあるその記憶こそが
わたしにできるたったひとつの報い方だ。
父がどこにいても忘れることはないとゆうこと。
ひとつふたつ、もっと忘れることはない。

ひとつふたつ、もっと夏に近づいて。
暑くなったね、お父さん。

 
 あのとき、叱ってくれて
 ありがとう。
 ありがとう。
 


 *****


 
 人生初めて父のこと、父への思いを
 文字に託しました。
 わたしはこんなふうに思っていたのだなと
 知ることになりました。
 一度きりのいっときの文です。
 これからはわたしのこゝろの一番深いところに
 置いておきます。


だれもが父思う、その日です。

父の日によせてー


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