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「でもやっぱり人間向いてないわ」不揃いの蛍光灯

私は何度か死を意識したことがある。
それは多分みんな同じなのだろうか。

それでどうやって生きていこうかすごく考えた。
死を意識して当たり前の生を考える。とても不思議なことだ。

みんな早かれ遅かれ死ぬのだ。
どんな方法かわからないがそれは決まっている。


時々、高校生の時の自分に戻ってしまう感覚がある。もう10年経つのに私はあっという間にタイムスリップしてしまう。私はあの時から何にも変わっていないのだろうか。時間が解決してくれると思っていたがそんなこともないみたいだ。脳に深く刻まれている。それは本能として、自分を、防衛するためなのだ。だから、記憶が薄れないのだと思う。研ぎ澄まされている。

それを人に話したところで、私はもう一度傷つくことももうなくなった。けれど弱みを握られているようでドキドキする。目には見えない傷が、ギスギスと痛む。
普段はいいのだが、やはり脆くなっていて、
液状化するような感覚がある。そこに何かストレスや刺激が加わろうものなら、私は目に見えて崩れてしまう。だから、また目に見えないように頑張るのだが、私には限界がある。そうしていくとどんどん負のループにハマって私は多分根本的な解決が必要なのだと思う。

また、この話をしなければならない時が来たのだと、心に重くのしかかる。
わざと液状化させるようなものだ。気が重い。

でも、ここで私は絶対に甘い言葉に騙されてはいけないということを心に留めている。そうやって言葉が素直に受け止められなくなっていく。

当時と同じように泣く度、
自分が成長してないんじゃないかってすごくすごく辛く感じ、こんなに状況を変えてきたのに、どうして自分は変わらないんだろうって思っていて、自分が弱い気がしていた。

さらに今までは、ここに
加害者の人は私がつらくとも楽しんだり笑ったりしているんだろうって思っていて憎くて仕方なかったんだけれど、もうそんなのどうだって良くなっていった。だけれど、それは変な慣れな気がしている。けれど私にとって加害者のことを考えない反応しないというのはとても大事なことだ。生きなければいけないから。


もしものせかい。ヨシタケシンスケさんの絵本を思い出す。約10年前のことがなくて生活していた世界は「もしものせかい」にあると思っている。
現実に生きる私とは違う地平線にあるし、目の前にはないのだけれど、見えないからと言って決してないわけではないのではないかという感覚が出てきた本だった。
失ったものを追いかけるよりも、失ったものは別のところにちゃんとあると思うと現状は変わらずとも考え方一つで私の気持ちは違うのだと気づく。


私は私にはもったいない人に出会ってしまったのかもしれない。

人間関係を新たに構築しつつも、既存の人間関係とつなげようとしている気がする。

それはとても苦しいものだけれど、
しっかりと向き合おう。そして、この人と未来が歩めますように。もしものせかいに彼が言ってしまわないようにしっかりと彼とも向き合おうと感じた。

またこうやって少しずつ生きる理由を探している。

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