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正しさより愛を…🤗

今回のセミナーを受けてあることを思い出しました。

青春真っ盛り、多感な中学生の時に部活で遠征に行きました。
夕食前に部員みんなで大浴場に入り身体を温め、気分良く夕食の会場へ向かいました。

席に着く前に顧問(男性)から「ちょっと話が…」と言われ、「?」の私。

大浴場の湯船に入った時に髪の毛が水面についていたので気をつけるように!…と、ある女性から注意を受けたそうです。
おそらく大浴場に一緒にいた女性でしょう。

顧問は言いにくそうな顔をしながら😥そして私の髪の長さで「⁇」と疑問そうに話していました。

当時、私の髪の長さは湯船に入った時に着くかつかないかのギリギリの長さ👩🏻
湯船に入った時、髪がつかないように自分では気をつけていたつもりだったのでショックでした。

顧問から話を聞いて大浴場での記憶を思い返しました。

髪が腰まで伸びている先輩が堂々と髪を下ろしたまま湯船に浸かっていたのを思い出しました。
あれ⁉️髪をあげずにそのまま湯船に入っちゃっていいの⁉️
って内心思っていたのです😓

この話はもしかして先輩のことでは⁈

顧問も先輩(しかも主将)には言いづらかったのかもしれません。

またはその女性は私を見てそう思ったのかもしれません。

ともかく、その女性に対して、状況を把握できない男性顧問に伝えるよりは直接私に伝えて欲しかったという思いがありました。

それ以来、自分が知らず知らずのうちに何か間違いや無礼なことをしていないかとビクビクするようになりました。

と同時に、規則やルールを気にする傾向が強く、それらを守れない人に対して厳しくなっている自分がいました。

口喧嘩で相手を言い負かすまで正論を言い続ける…

逃げようとする相手を言葉で追い詰める…

いかに自分が正しかったか、相手が間違っていたかを主張する…

全て、お互いのエネルギーが下がる⤵️行為です。

口喧嘩で自分が正論の場合、「相手の逃げ道を作っておく」と良いのだそうです。
相手が逃げることでいったん気持ちが落ち着いたり、大きく揺れていた感情から離れることができるからです。

その人がどうしてそのような行動を取ったのか、客観的に捉えること、相手の立場から世界を見てみると、賛同は出来なくても理解することはできます。
それが「愛」や「許し」に繋がります。

大浴場の湯船に髪を下ろしたまま入らないでくださいと顧問に伝えた女性。
彼女に対してそれは私ではない!と正当性を主張するより、
もしかしたら彼女は多感な中学生に直接言うとショックを受けるかもしれないから、ワンクッション(顧問)おいたのかもしれない…と理解する方が彼女の優しさ(愛)を感じます。

「直接私に伝えて欲しかった」と書いていますが、自分だったら面と向かって相手に言えるのか🤔というと…言えないだろうな〜😅私だったらスルーかも🤭…毎回同じことしていたらさすがに伝えるけど1回目だと「まっ、いいかな⁉️」ってしちゃうかもしれません🤣



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