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【プラハのドイツ語B級文学 読書メモ】カール・ハンス・シュトローブル 『シプカ峠』

 現在翻訳中の作品に関連して、19世紀後半から20世紀初頭にかけてプラハにゆかりのあったドイツ語作家が書いた文学作品(「プラハのドイツ語文学」と総称する)に複数目を通している。もちろん翻訳・紹介するに値する名作もいくらかあるが、当時売れていた作品の多くはそこまでのクオリティに達していない。翻訳したいほどではないけれど、全く紹介しないのはもったいない、そんな「プラハのドイツ語文学」を「プラハのドイツ語B級文学」と名付けて、作品のあらすじを紹介していきたいと思う。

「プラハのドイツ語B級文学」作家カール・ハンス・シュトローブル


 「プラハのドイツ語文学」を雑多に読んでみて思ったのは、1世紀前だからといって純文学が広く読まれていた訳ではないということだ。むしろ、発行部数が多かったのは、どちらかというと大衆文学的、というか、現代の感覚で言うとラノベ的な作品だったのではないだろうか(当然といえば当然なのだが、日本語に翻訳・紹介される際は、雑多な作品はふるいにかけられてしまいクオリティの高いものしか残らないので、ついそんなことは見逃されてしまう)。会話文が多くてテンポがよく、スラスラ読めて、対象の読者層が抱いているコンプレックスや願望が率直すぎるくらい率直に表現された作品。カール・ハンス・シュトローブル Karl Hans Strobl (1877-1946)の作品はまさにそんな「プラハのドイツ語B級文学」の代表である。
 シュトローブルは現在のチェコ共和国に位置するイフラヴァJihlavaに生まれ、1896年からプラハのカール・フェルディナント大学で法学を学ぶ。卒業後はイフラヴァやブルノの公的機関で書記官を務めるが、熱心なドイツ民族主義運動の活動家だったことが問題で公務員を辞めることになり、ライプツィヒにて出版活動を始める。第一次世界大戦には従軍記者として活動。その後フリーの作家として多くの作品を執筆する。特にプラハを舞台にした学生小説を得意とした。1919年から1921年まで幻想小説と官能小説に特化した雑誌『蘭の庭 Der Orchideengarten』を発行してもいる。

シュトローブルのポートレート。ちょっとイカツイ…

 シュトローブルは非常に多作な作家で、おそらく当時の若い男性には非常によく読まれていたのではないかと予想される。彼の作品はドイツ民族主義的な色彩が色濃く、チェコ人の登場人物は総じて意地の悪い悪人として描かれる(が、チェコ人の女性は性的に魅力的な存在として描かれる)。こうした民族的なステレオタイプにほとんど疑いを抱くことなく登場人物を造形している点で、シュトローブルの作品は決定的に奥行きに欠ける。
 とはいえ、多くの人に読まれただけあって、彼の作品には注目するべき点もたくさんある。ストーリー展開にはスピード感があり、読者の予想を裏切るような事件を次から次へと挿入してゆく。手に汗握る暴力シーンも適度にあり、当時の若い男性読者にとっても刺激的だったことだろう。読者に飽きる暇を与えない物語の構成力そこが、シュトローブルの持ち味だ。

 今回は、そんなシュトローブルの長編小説『シプカ峠』のあらすじを紹介する。あくまでも自分の読書メモを公開する形なので、誤りや不足もあるかもしれないし、ネタバレもあるが、ご了承いただきたい。

シュトローブル『シプカ峠』あらすじ


 主人公ハンス・シュッツは、プラハに住むドイツ人の法学生で、シングルマザーのヴェーバー夫人とその娘ケーテのもとに下宿している。彼はドイツ人学生団体(Burschenschaft:ナポレオン戦争時代に起源を持つ、学生によって組織された愛国主義団体)での活動に熱中するあまり、ほとんど大学に通わず、国家試験に何度も落ちている。プラハに住み始めてはや8年、両親とも疎遠になった彼は、ようやく腹を括って学生団体での活動から離れ、下宿先にこもって勉強に専念する決意を固める。しかしながら、その決意は長続きしない。ハンスは、計画実行初日の夜に行われていた祭りに出かけ、そこでモラヴィアから出てきたばかりのチェコ人の娘ミディに一目惚れする。学生団体での活動ばかりしてきた彼にとって初めての恋である。ハンスはミディに猛アタックを始める。
 翌朝ハンスはミディの家に向かい、職場に向かう彼女に付き添う。その途中でミディが芝居に関心があると知り、大枚を叩いて芝居(イプセンの『人形の家』)のチケットを購入。それを学生団体の仲間で富豪の息子のエーレンベルガーに見られ、恋に落ちたことを悟られる。その夜ハンスは無事ミディと芝居を観に行くことができたのだが、どうもミディはハンスを退屈がっているようだ。それどころか、自分たちの近くの席に座っていたエーレンベルガーに興味を持っている。
 その後もシュッツは、ミディに気に入ってもらえるように、借金をしたり、アルバイトをしたりして高価な服を買い揃えたり、彼女にプレゼントをしたりする。この様子は、彼がかつて所属していた学生団体の仲間の間にも知れ渡る。ある日、ハンスがミディと街を歩いていると、偶然エーレンベルガーに出くわす。エーレンベルガーはふたりに、翌日学生団体の仲間たちと遊覧船に乗ってヴルタヴァ川上流へ遠足に出かけるので来てほしいと誘う。シュッツは参加を渋るが、ミディがエーレンベルガーと意気投合して遠足に行くというので、仕方なく遠足に出かけることにする。
 翌朝、ハンスがヴルタヴァ河畔の遊覧船乗り場に来てみると、ミディはエーレンベルガーと一緒に待ち合わせ場所にやってくる。その後もふたりは終始喋り続け、ハンスが他の友人と話をしている間に、停泊先の森へと出かけて行ってしまう。このときハンスは、ふたりが森でキスをしたに違いないと感じ、思わず笑いだす。そして、帰ってきたミディに散々な振られ方をして取り乱してしまう。
 下船後一晩中街をふらついていたハンスは、明け方にカレル橋に辿り着く。と、そこには学生団体で最年長のグレゴリーデスがいた。グレゴリーデスは、妻子がいるにもかかわらず仕事もせずに酒浸りになっている青年である。彼はしばらくプラハ近郊の村シャールカにある居酒屋で過ごすことにするという。この居酒屋周辺は、周囲の地形が露土戦争中に戦場となったバルカン山脈にあるシプカ峠に似ていることから「シプカ峠」と呼ばれており、ドイツ人学生の溜まり場になっている。しばらく誰とも会いたくないと思っていたハンスは、グレゴリーデスと共にシプカ峠に行くことにする。到着後数日でグレゴリーデスはプラハに帰るが、ハンスはさらなる孤独を欲してシプカ峠に居座り続ける。
 ある日ハンスがシプカ峠を散歩していると、散歩中の娘と出くわす。この娘は、シプカ峠の近くにある村の郵便局で働くヘレネという娘で、チェコ人の父とドイツ人の母を持つ。ヘレネが立ち去った後、ハンスは、森の中で彼女が落としたと思われるリボンを拾う。
 その頃プラハでは、エーレンベルガーが、深夜の喫茶店でミディの気を惹こうとした竜騎兵中尉に決闘を申し込んでいた。立会人としてグレゴリーデスとハンスを選んだエーレンベルガーは、グレゴリーデスと共に、依然シプカ峠にいるハンスを探しに行く。しかしハンスはふたりの説得には応じず、シプカ峠に残り続ける。結局エーレンベルガーはハンス抜きで決闘に臨み、相手を倒す。
 ハンスは森でリボンの持ち主であるヘレネに出会う。ヘレネは自立した物おじしない女性で、普段話す機会がないドイツ語でハンスと話すことができるのを喜び、彼と打ち解けて話をする。民族主義的雰囲気が高まる中で、ヘレネの父は、チェコ人が多数派を占める村で家族の立場を守るためにチェコ民族主義者として熱心に活動せざるを得ない。ヘレネも、亡き母が愛したドイツ文化により強い愛着を抱いているにもかかわらず、チェコ人として育てられた。こうした打ち明け話をするうちに、ふたりの間には強い友情が生まれる。
 しかしながら、ヘレネがドイツ人学生であるハンスと頻繁に会っていることは、まもなくヘレネが暮らす村で知れ渡る。郵便局長とその妻、そして彼女に片思いをしている画家のコシークは、ヘレネの行動を監視し始める。
 冬学期が始まっても、ハンスはプラハに戻ってこない。学生団体の仲間たちはハンスをシプカ峠から連れ戻そうと考える。ちょうどその頃、学生団体と合唱団との間で生じた小競り合いがエスカレートし、シプカ峠で撃ち合いが始まる。撃ち合いは結局、折悪く歩いてきた牛が撃ち殺されたのをきっかけに収束する。その際、ハンスはみんなにシプカ峠の精霊について話し、学生たちの和解を促し、英雄のように称賛される。
 翌朝、殺された牛を埋葬した後に、ヴェーバー夫人とケーテがハンスの両親を連れて現れる。ハンスを心配して故郷からプラハに出てきたのだ。年老いた両親は、故郷の店を閉めることになったことを告げ、ハンスに帰郷を促す。ハンスは自分を思いやる両親の愛情を感じつつも、試験に通るまであと少しだけプラハで勉強を続けてさせてほしいと頼む。そして、夜にヘレネに別れを告げるため、その日中にプラハに戻ることを約束して、みんなを先に帰す。
 その晩ヘレネは、自分にしつこく付きまとうコシークを振り払ってハンスとの待ち合わせ場所にやって来る。ハンスはヘレネに、プラハに戻って試験勉強を始めること、彼女の友情に心から感謝していることを伝える。ヘレネはハンスに、試験に通るまでは自分に会いにこないよう約束させる。こうしてハンスはプラハへと去ってゆく。
 しかしながらハンスは依然試験勉強に集中できずにいた。ヘレネに会いたい気持ちを抑えて、同じく強い友情を感じているグレゴリーデスに会いにゆくが、それはなんとグレゴリーデスはピストル自殺をした直後だった。ショックを受けたハンスはヘレネに会いに彼女の家に行くが、ヘレネに冷たくあしらわれ、シプカ峠の居酒屋に去ってゆく。
 ハンスが家までやってきたのを見て、郵便局長とその妻とコシークはヘレネを追い詰める。ヘレネの父までが、娘にハンスとの付き合いをやめるよう説得しに来るが、ヘレネは父に抵抗する。ヘレネはハンスに恋に落ちていたのである。これを知った村のチェコ民族主義者たちは、集団でシプカ峠に向かう。シプカ峠の居酒屋ではハンスと他の仲間たちがグレゴリーデスの死を悼んでいた。そこにヘレネの父が訪ねてくる。父はヘレネがハンスに恋に落ちていることを告げた上で、ハンスにヘレネを諦めるよう説得する。しかしハンスはそれをきっぱりと断る。ヘレネの父は、「後で後悔することになるぞ」と言い残して去ってゆく。
 ハンスと仲間たちはプラハへ帰ろうとするが、店の周りに人がいることを察知する。ハンスたちは武器を手に店を出て、襲い掛かって来るチェコ人民族主義者たちをなぎ倒しながらプラハに向かって走ってゆく。
 それから6カ月が経過し、試験の日程が近づいてきた。ハンスは1日に16時間の猛勉強をし、十分な自信をつけていた。ある春の休日、ハンスは母から、いつかヘレネを紹介してほしいと書かれた手紙を受け取る。その日、ハンスが街を歩いていると、偶然プラハに出てきていたヘレネに出くわす。ふたりが和やかに語らいながら歩いていると、ミディが車を乗り回している姿を見かける。彼女の姿に驚きつつも、ふたりは村へと続く道を歩いて行く。別れ際に、ヘレネは新しい職場に移ることになったので引っ越し準備をしていることを打ち明ける。ハンスは動揺する。「だって君は僕のことを愛しているんだろ? そう、君の父さんが言ってたぜ」。そして、ヘレネに提案する。「僕の故郷の家族のところへ行って、僕を待っていてくれないか? どうするかは君が決めたらいい」と。
 ヘレネと別れてシプカ峠の居酒屋に向かったハンスは、店でエーレンベルガーに出くわす。エーレンベルガーの話によると、ミディは今はある伯爵の恋人になっており、プレゼントしてもらった車を見せびらかすために昼間に街を走り回っているのだという。そんな会話を交わしたのち、ハンスは居酒屋を後にする。シプカ峠を下りながら、彼はヘレネに再び会い、春の風景を見渡す。足下で誰かが白旗をはためかせているのが見える。

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