ケアマネの狩野さんショートストーリー3


夢を見ました。
何年待っても整ちゃんは帰ってきませんでした。
わたしはずっと帰りを待つつもりでした。
でも、お父さんとお母さんがお見合いをしなさいと言いました。
村のみんなも、そうしなさいと言いました。
わたしはお見合いをしました。


「明けましておめでとうございます。」
年末年始の休暇をはさみ、年が明けてから私は中谷さんのモニタリング訪問をした。
「お正月は息子さんも帰って来られたんですか?」
「そうなんです、けどね…」中谷さんは思いがけない話をした。
「息子が施設に入った方が良い、って言ってね。息子が施設を探して申し込みをする事になったの。」
「えっ?そうなんですか。また急に、どうして?」
「息子も関東から離れられないし、年末に帰ってきた時に、私が日付を間違えていたのと、焦がした鍋を見てね、もう一人で放っておけないって。」

独り暮らしの親が鍋を焦がすと、家族はまず火災を心配する。
親の命だけじゃなく、火災を起こすと隣近所にも大変な迷惑をかけることになる。そうなる前に、と考えるのは、家族としては当然だし、良く聞く話でもあった。
こんな時、ケアマネジャーは無力だと感じる。
中谷さんは在宅でも十分やっていける。でも、いつかは認知症が進んで限界が来る。そうなってから施設に入ると、本人は環境の変化に付いていけない。
息子さんの判断は理解できるし、本人と家族がそう決めたのなら、ケアマネジャーといえども口を挟むことは出来ない。

「そうでしたか。息子さんとしては、心配でしょうからね。東京の、息子さんの近くの施設にするんですか?」
「そうみたい。」
「中谷さんは、納得してるんですか…?」
「…お嫁さんや孫達が面会に来てくれるって言ってますし。」
そう言う中谷さんの表情は、笑っているように見えて、ひどく寂しげだった。
「火元が心配なら、自動で消火してくれるガスコンロもありますし、緊急時に駆けつけてくれるサービスもありますよ。」
「狩野さん、ありがとう。でも、せっかく息子が言ってくれてることですし。」
中谷さんは、施設を選んだ。

本当にこれで良かったんだろうか。
私がもっと、強気にデイサービスの利用を押し進めていれば、こんな事にはならなかったんじゃないか。

事務所に戻り、今日の記録を入力していると、先輩の寺内さんが声をかけてきた。
「狩野さん、どうしたの?何かあった?」
私は中谷さんが施設に入ることになった事をかいつまんで話した。
「そっか~。しょうがないよ。今年で92歳でしょ?」
「でも、もっと何か、自分にできたんじゃないかな、って考えてしまって。」
「狩野さんは何でも抱え込みすぎ。息子さんと本人で決めたことなら、ウチらは口出せないし。中谷さんも、息子さんを安心させたかったんじゃないかな。」
そうなのだ。寺内さんは正しい。でも、自分の中にはどうしても消えないモヤモヤが残った。


夢を見ました。
村のみんなが騒いでいます。
幽霊じゃないのか、いや本物だ、と整ちゃんの家にみんなが集まっていきます。
何があったんだろうとわたしも行きました。
ひとりの男の人が立っていました。
整ちゃんでした。ひどく痩せて、みんなは別人みたいだと言いましたが、
わたしにはすぐ分かりました。その人は整ちゃんでした。
6年かけて、帰ってきました。
わたしは泣きました。
嬉しくて、後悔して、泣きました。
どうしてあと1年、待たなかったんだろう。
涙が後から後から溢れて、膨らんだお腹が少し動きました。


『要支援』の認定の人は、ケアマネジャーの訪問は3ヶ月に1回だ。
1月に私は中谷さんを訪問しているから、次は4月でも良い。でも、どうしても中谷さんが気になってしまい、2月に私は中谷さん宅を訪ねた。

中谷さんは「寒かったでしょう」と熱いコーヒーを出してくれた。息子さんが用意しただろう電気ケトルは使わず、いまだにガス火でお湯を沸かしている。
そして、バレンタインだから、とチョコレート。
私は中谷さんのこういう所が好きだ。

「もう施設は決まったんですか?」
「来月に、見学に行く事になったの。それでわたしが良ければ、手続きするって言ってました。」
来月…思っていたより早い。
「寂しくなります。お墓にもよく行ってらっしゃったのに、ご主人も寂しくなるんじゃないですか?」
「主人の墓?主人の実家は京都だから、お墓は京都ですよ?もう何年も行ってないけど・・・」
京都?
「え?去年、病院近くのお寺の方に歩いて行かれるのをお見掛けしましたが、違いましたか?」
「やだ!見られてたの!恥ずかしいわ、ははは・・・」

中谷さんは「施設に入っちゃうと、あなたと話す事もなくなるだろうから」と、お墓に通うようになった経緯を、恥ずかし気に話してくれた。
 
そこに眠るのは、中谷さんの初恋の人らしい。ハッキリそうは言わなかったが、話を聞く限りでは初恋の人だ。
 
その人は、第二次世界大戦が終わる二か月前に戦争へ行って、行方不明になっていた。親族も近所の人たちも、みんな「あの人は戦死したんだろう」と思って諦めていた。
中谷さんとその人は、周囲も認める間柄だったが、その人は帰ってこない。帰りを待ち続ける中谷さんを親が見かねて、お見合いをすることになり、結婚をした。
結婚から1年後、突然、その人は帰ってきた。痩せ細り、ボロボロの軍服姿で実家の前に立っていたらしい。みんな幽霊だと思ったそうだ。
中谷さんはその人が生きて帰ってきた事が嬉しくて涙が止まらなかったが、その時にはすでに、お腹には息子さんがいたそうだ。

話をする中谷さんの目には、今もうっすら涙が浮かんでいた。

初恋の人は10年前に亡くなったらしい。それからは、中谷さんが毎月、こっそり 彼のお墓を綺麗にしていたのだ。
「その人のお孫さんがね、年に1回、訪ねてくれるの。いつもお墓を綺麗にしてくれて、って、お土産を持ってきてくれてね。あなたも一つ食べる?」
お孫さんは、その人の若い頃によく似ているのだそうだ。
そのお孫さんに会う事も、きっと中谷さんの楽しみの一つだったのだろう。

80歳を超えてのお墓参りは、私が想像するよりもずっと体に負担がかかっていただろう。月に1回とは言っても、添える花や線香を用意したり、落ち葉などの掃除をするだけでも疲れ切っていたはずだ。
デイサービスを週2回行くような余力は、中谷さんには無かったのだ。

「ね、狩野さん、あなた今、好きな人はいるの?」
「ひぇ!?」変な声が出てしまった。中谷さんの話を聞いてティッシュを何枚か拝借していた状況で、突然なにを言い出すのだろう、この人は。
「狩野さんは本当に良い人だから、優しい人と出会ってほしいわ。」
この人はズルい。つい、色々しゃべってしまいたくなる。
でも、今は仕事中。仕事中…。
「そんな人が現れるといいんですが」とお茶を濁してしまった。


中谷さんは4月、地元の桜を見届けてから、東京の施設へ行った。

私は、中谷さんに教えてもらった、子芋と厚揚げの煮物をよく作って食べるようになった。
出汁と、醤油とみりんを少々、塩をひとつまみ入れて子芋と厚揚げを炊くのだ。中谷さんはお鍋にそれを作り、3日ほどかけて食べていた。
「ん。おいしい。」
やさしい味が口の中に広がった。


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