ケアマネの狩野さんショートストーリー2


久しぶりに夢を見ました。
あなたもわたしも、尋常小学校に通っていて、学校の帰りに家の畑で取れた小さな茄子をお母さんからもらって、おやつに一緒に食べました。

また夢を見ました。
あなたが帝国陸軍の制服に身を包んでいました。かっこいいと思いました。
でも不安でした。
あなたのお兄さんは、中が空っぽの木箱だけになって帰ってきたからです。
それでも、あなたのお母さんは、泣きませんでした。
でも、あの時は、目が真っ赤になっていました。
あなたのお母さんは目が悪くて、よく見えないはずなのに、あなたが駅に向かって姿が見えなくなっても、ずっとずっと、あなたが向かった方角を見ていました。
わたしも、ずっとずっと、見ていました。


「狩野さん、今日の午後は事務所いる?みんな出払っちゃうから電話番が居なくなりそうで。」
先輩の寺内さんがいつもの明るい声で聞いてきた。
「あ、午前中は中谷さんの認定調査に同席しますけど、その後は予定入れてないんで、大丈夫です。」
「よかった~。じゃあ、午後の電話、よろしくね。」

一人で電話番をするのも、結構大変だ。電話がかかってくるたびに自分の作業を中断しなければいけない。
他のケアマネに伝言メモを作るのも以外と時間がかかる。
包括支援センターから新規で担当してほしいと依頼が来たら、氏名や住所、要介護度は何で、どんな病気で、生活の何に困っているのかなどを聞き取って相談受付票を作ったりしていると、軽く1時間はかかる。
事務所で電話番をするのも楽じゃない。

今日は仕事が捗らない一日になりそうだ。
とにもかくにも、まずは中谷さんの認定調査だ。

介護認定は有効期間があって、期間が切れるタイミングで認定の更新をする。更新の時には『認定調査員』が自宅まで来て、どれだけ生活に支障があるのか、を調査して帰る。
中谷さんは足腰は元気だから、見た目は何も問題が無い。『自立』と判定されると『要支援1』もなくなって介護保険のサービスも使えなくなる。
だから、本人の認知機能が落ちている、ということを、ケアマネから調査員にしっかり伝えないといけない。

調査員と中谷さんの家の前で待ち合わせ、一緒に自宅へ入る。
「こんにちは。調査員の山本です。」
「中谷です。どうぞお上がり下さい。」と案内する中谷さん。玄関で膝をついて挨拶なんて、私が訪問する時にはそんな事しないじゃない。
しかも、何の苦も無く膝をついた状態から立ち上がっている…
これはマズい。『自立』と判定されかねない流れだ。

「お歳は今、おいくつになられましたか?」
「はい、昭和4年生まれの91歳です。」
え?いつもは「今は平成何年?」とか言ってるのに!なんで今日に限ってそんなに頭クリアなの!?
「外出はどこまで行かれるんですか?」
「毎月、お寺の墓まで行っていますよ。」
墓?そんな話は始めて聞いた。

認定調査が終わってから、自宅から少し離れた路上で調査員の山本さんと立ち話をした。
「かなりお元気な様子なので、認定が出るかどうか微妙なところですね…」
「そうですよね…」
「今、サービスを利用する事で生活が成り立っている、という事で大丈夫だとは思いますが…」
「ああ見えて、デイサービスの曜日を間違えたり、私が訪問する日を1週早く勘違いしていたり、この前はヤカンを空だきしたりしてますので!」
「分かりました。審査会の資料にはそのあたりもしっかり書きますので!」

中谷さんには悪いと思うが、介護認定を無くさせる訳にはいかない。とにかく、認知機能が落ちているのだとアピールしておいた。


夢を見ました。
戦争が終わってもあなたからは何の知らせもありませんでした。
あなたは帰ってきませんでした。
周りの大人達はみんな「さよちゃん、整ちゃんは死んだんだよ」と言いました。
わたしは生きていると思いました。
わたしは毎日、あなたの背中を見送った駅の方角を眺めました。


認定調査から2週間後、無事に中谷さんは『要支援1』の認定をもらえた。
これで、デイサービスを続けられる。

「中谷さん、こんにちは。ケアマネジャーの狩野です。」
今日は新しい介護保険の被保険者証を確認するために、再び中谷さんを訪問している。
「狩野さんのおかげで要支援1もらえたわ」
「本当に良かったです。」調査の時はヒヤヒヤしたけど。
私は今のタイミングで、もう一度デイサービスを増やしてみないか、中谷さんに提案してみた。
「今は10月でも暑いですが、来月あたりには季候も良くなりそうですよ。デイサービスに週2回ほど、行ってみませんか?あ、デイサービスに行く事で、認知症も予防できるらしいですよ。病院の先生がおっしゃっていました。」
「そうなの。私も最近、忘れてばかりだからねぇ。う~ん…でも、毎日いろいろ忙しくしているからね。デイサービスは週1回で良いわ。」
 
中谷さんは独りが好きな性格なのだろうか?よほど庭の野菜作りが楽しいのかな?
生活自体は大きな問題もなく出来ているようだから、まぁ良いけれど。

「最近、お嫁さんがよく電話をくれるようになってね。」
「そうなんですか?」
「今日はデイサービスの日ですよ、って朝一番に電話してくれたりして。本当に自分の娘みたいでありがたいと思っているの。」

しまった。息子にデイサービスの曜日を間違えると報告したのが筒抜けになっていたんだろうか。
でも、中谷さんの反応を見る限りでは、何か不快に思っている風でも無かった。気にしないでおこう…
それにしても、なんて良いお嫁さんなんだろう。


その翌日、私はお寺の近くにある病院に来ていた。入院中の利用者の、退院に向けた打ち合わせを終えて病院を出たところで、バスを降りる中谷さんを見かけた。覚束ない足取りで何とかバスを降りて、中谷さんはお寺の方へ歩いて行った。
夫の墓参りだろうか?
中谷さんに声をかけようかと思ったが、次の予定が迫っていたので、私は声をかけずに次の訪問先へ向かった。


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