ケアマネの狩野さんショートストーリー1

あらすじ

これは、ケアマネジャーとして働く狩野さんが、仕事で高齢者と出会い、その人生を知り、ケアマネジャーとして、ひとりの人間としてどう生きたいか、を探す物語…


「じゃあ、訪問行ってきま~す」
事務所の同僚に声をかけ、ホワイトボードにある自分の名前『狩野』のところに帰社時間を記入し、私は中谷さんのお宅に向かった。

在宅介護を支えるケアマネジャーとして働いて3年、仕事にもだいぶ慣れてきた。はじめは「ケアマネジャーってケアプランを書く事務仕事」ってイメージだったけど、実際はそれなりの肉体労働だ。
ケアマネジャーは担当する利用者の自宅を訪問しなければならない。暑い夏の日も、極寒の冬の日も、事務所から利用者宅まで自転車で移動するのは想像していたより大変だ。

私が担当する中谷さんは、地域包括支援センターから紹介された『要支援1』の独り暮らしの女性。もう91歳になる。夫はずいぶん前に亡くなったらしい。
息子がひとり、東京にいるようだが、遠いので年末年始くらいしか顔を合わさないし、普段の電話もない。男の子はそんなものなのかな。
息子のお嫁さんは時々気にかけて電話をしてくれるそうだ。民生委員も4ヶ月に一度は訪問してくれている。

中谷さんは一度転倒して肋骨にヒビが入り、その時に『要支援1』の認定をもらったが、今は回復して独り暮らしが出来ている。利用しているサービスは週一回の1日型デイサービスだけ。友人がデイサービスを利用しているので、同じ日に利用して友人と話をするのが目的のようになっている。

私は3ヶ月ほど前から、中谷さんの物忘れが気になっていた。
デイサービスの曜日を間違えていたり、私の訪問する日を1週ずれて覚えていたりすることが増えたからだ。
先月のモニタリング電話の時には、やかんを空焚きしてしまった、という話を聞いた。ひとりで生活する時間を減らすために、デイサービスの回数を増やさないといけないかな、と思っていた。

そんな今までの経緯を思い出しながら、中谷さんのお宅に到着。
今日の中谷さんは少し元気がなかった。
「今日は少し元気がないですね。体調が良くないんですか?」
「え?そう見える?」私に心配をかけたことを申し訳なさそうにしながら中谷さんは「一緒にデイサービスに通っていた友人が家族の勧めで施設に入居する事になった」と話してくれた。
「友人も一人暮らしだし、だいぶ物忘れをするようになっていたからねぇ。仕方ないかな。」と寂しそうだった。

そんな中谷さんのためにもデイサービスの回数を増やして、人と接する機会を増やした方が良いと思った。私は中谷さんに提案した。
「週2回デイサービスに行く方が、人と話せる機会も増えて、良いと思うんです。」
「いえいえ、デイサービスは週1回で十分。毎日、いろいろと忙しくしているから。」
中谷さんは91歳のわりに足腰が元気なので、歩行器のレンタルやヘルパーの支援は必要ない。認知症の進行は心配なので、予防のためにもデイサービスが良いと思うのだが、なぜか週1回で良い、と言う。
「毎日忙しいんですか?どこかにお出かけとか、されるんですか?」
「そうそう、まだ自分で料理もするし、コーヒーも自分で挽いて入れているの。庭で野菜も作っているのよ。」

そう言われると、私もそれ以上無理に勧められない。
当面は、週1回のデイサービスを続けてもらう事にした。
「狩野さんは優しいわね。いい人が現れると良いんだけど…」
ありがたいけど返答に困る言葉。もう何度目かな。私はこのままオバサンになって一人気楽に生きていければ良い、そう思っている。
「一人の方が気楽なので。」そう言って愛想笑いする自分に、少し違和感を覚えた。
「それもそうね。今はそういう人生も出来る時代だからね。」
そう言ってくれる中谷さんの方が優しい。
「じゃあ、また来月はお電話しますね」
お土産は丁重に断って、私は中谷さん宅を出た。

事務所に戻り、今日の中谷さんから聞き取った内容をパソコンに記録していく。
ケアマネジャーになってから驚いたのは、何よりパソコンに文字を打つ量の多さ。訪問したらその内容を記録、ケアプランを書くときはもちろん、ケアプランの前にサービス担当者会議を開いてその会議録を作り…
とにかく、記録、記録、文字、文字、そんなに証拠を残しておかないといけないのか、と最初は面食らった。

中谷さんはデイサービスは週1回で良い、と言う。でも、お友達と会えなくなって寂しいと思っていそう。
色々忙しいとは言っていたけど、なぜ、デイサービスは増やそうと思わないのかな。
何か引っかかると思いながらも、午後からは次の利用者宅へ向かわないといけないので、いったん、その引っかかりは頭の引き出しにしまうことにした。


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