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ぼやき No.05

気がつけばあと7日で、腹の中に生き物が宿っている期間が終わる。
幸運なことに、つわりが終わって以降吐き気が復活することもなくここまで来れた。めちゃくちゃラッキーなことだと思う。逆に言えば、本当にただの幸運でしかなくて、どの妊婦さんたちも本当にそれぞれの不調と闘いながら十月十日を過ごされている。

人によっては、10ヶ月の間ほぼずっとつわり状態が続く人もいる。
切迫早産で入院、絶対安静を強いられて病室の中で数週間数ヶ月を過ごす人もいる。
妊娠期間中からメンタルがコントロールできなくなってしまう人もいる。
妊娠期間中に発動する糖尿病によってキツい食事制限の中で過ごす人もいる。
本当に、どの妊婦さんも頑張って命を育てているなと思う。マイナートラブルにも耐えながら、時には未来のことに大きな不安を抱きながらも、途中棄権せずに日々を過ごしている。

私に訪れたつわり以外のマイナートラブルといえば、
・視力低下?(画面を見たあととかに強めの目のかすみがあり、チカチカする。PC画面の輝度が高いと目が痛すぎて見れない)
・時期によって眠気
・時期によって不眠
・立ちくらみ
・腰痛
・胸焼け
・便秘
・肋骨あたりの圧迫感、痛み
・手指の強張り、足の強張り
・背中の痒み
・お腹が苦しくて座っていられない
・とにかく暑い、体温コントロールが出来なさすぎてクーラー効いてても汗かく(臨月)
・体重の増加に耐えきれず右膝が死亡(臨月)
・下腹部〜腰にかけての痛み(臨月、前駆陣痛?)
この辺くらいで、めちゃくちゃ軽い方だと思う。歯のトラブルも増えると言われているけれどたまたま歯医者通院中だったので今のところギリギリセーフ。

身体変化ということでいけば、多分ググれば出てくるけど
・胸の変化(大きさ、形状、色)
・妊娠線
・正中線
・脇やお腹などの黒ずみ
・体型変化
は多分ある程度どの妊婦さんでもなるのかなと。プラスで私は
・シミそばかす増加
・天パ悪化(髪質変化)
もありました。(髪質の変化というのは結構あるあるらしい)
興味深いなと思ったのは体重増加で、妊娠前が細い人は16kgとか20kgとか増えるのに対して普通体型の人は10kg〜12kgで止まったり、ふくよかだった人は数kgしか増えなかったりと、最終的に目指す体型が同じくらいになるように設計されているのかな〜と思ったり。
ちなみに私はまだ産んでもないのにすでに母乳分泌準備によるトラブルが起こっているようで、右胸が詰まり炎症気味で死んでいます。産後これが悪化すると乳腺炎になるんだな……と今から震えている。このまま調子悪かったらもうミルクオンリーでもいいやとなるかもしれない。

自然分娩を希望していても無痛分娩を希望していても急遽帝王切開になったという声を見聞きしたり、臨月に入ったのに突然お腹の中でお子さんが亡くなってしまったということを聞いたり、お子さんは元気だけれどお母さんが大量出血で輸血して大変だったと聞いたり、無事に産んだはいいもののその後お子さんに病気があることがわかったということを聞いたり。
「出産」一つとっても、当たり前だけれどどの人も全然状況が違って、進みも時間も処置も異なっていて。
何が正しいとか間違っているとか、そんなものは一つも無いんだと本当に思う。どのお産も等しく壮絶で、等しく尊く、尊重されるべきものだ。

私はここまで特に大きな問題もなく(妊娠糖尿病の検査に一回引っかかったり、ワクチン打ってたのに抗体消えとるやんけ問題があったりはしたけど)、一回風邪引いたくらいで過ごしてきたけれど、それでもここから1週間や出産の瞬間に何が起こるかはわからない。妊娠〜出産なんて全部結果論でものを言える世界なんだなという気もしていて、だからこそ自分が自分の体や生命に対して責任を持ってその時々に決断をするしか無いんだなと改めて身に沁みている。元々そんな感じの思考を持っているタイプだから狼狽えないけれど、人によってはこの経験って凄まじいストレスなんじゃないだろうか。
何を選んだってリスクはあるし、何かを選ばなかったことに後悔する人は何を選んだって後悔するんだろうから、その先の人生が狂ってしまう可能性もあるというのは理解ができる。共感はあまりしないけれど。

個人的には、人生全般に対してもし何かが起こっても「そういう運命だったんだな」で過ごすと決めているので特段構えていることもないのだけれど、いざ直面したらまた感じることもあるのかもしれないなとは思う。もちろん何事もなく全員無事に進めたらそれが一番幸運だけれど、そうであったとしても、それだってただの幸運でしかない、と思うつもりだ。
親からは「無痛分娩なんて誰もしてない、危ないんじゃないか」と言われたけれど、私の周りだと逆に自然分娩希望者の方が少ない。調べたら実家のある地方にはまだ対応病院も少なくて、そもそも選べる状態にないらしい。ただでさえ大変でコントロールできない部分の多い妊娠出産に関して、ここにも機会格差があるのか…と考えさせられる。何事においても自分で選んだ、決めたという感覚の有無って結構大事なんじゃないかと思うけれど、これに関しては「選べなかった」方が救いになる可能性もあるのだろうか。

グニュグニュボコボコという胎動とこの数ヶ月一緒に過ごしてきて、もうすぐこれが無くなるのかと思うとちょっと寂しいような感じもする。臍の緒が立派らしくてめちゃくちゃ活発に動くのだけれど、実際この世に足をつけて生きていくとなったら子はどんな風に地面を蹴り、何を見つけて何を美しいと思うのだろう。初めて吸い込む空気はどんな風に肺を満たしていって、世界の温度や重力に怯えたり驚いたりもするのだろうか。そんなことを考えると、まだ何も知らない存在に伴走していくことが少し楽しみになったりもする。この世界が怖いところや苦しいところではなく、そんな一面もあるけれど、それでも美しいものもたくさんあるところだと伝えられる伴走者でありたい。

爆誕したあと、私は子と仲良くなれるだろうかという心配は今もずっとある。多分夫氏の方が仲良くやるんだろうという気もしているし、母娘の関係の呪いは今も私を取り巻いている。それでも、あと7日で人生は動くのだ。もしかしたらもう今夜には、明日には、明後日には、ということだってあるかもしれないし、ちょっと待って!とストップすることもできやしない。

この前、自分と他人の境界線を引く、ということの重要性を友人と話した
家族だから、親子だから、パートナーだから、親友だからこそ重要な自他の境界。人格としての分離はもちろんだけれど、これには課題の分離も含まれると個人的には思う。相手の人生の課題に対して、他人が関われる範囲というのは決まっているし、踏み込み過ぎるのは侵害になるということをわかっているかどうか。ひいてはそれが依存になり、おかしなバランスを生み出してしまうと理解しているか。
生まれる前からこの生命体は私の意思に反して動くし、自立呼吸するようになったら尚更言うことなんて聞かないだろう。寝ない、泣き止まない、食べない、来ない、行かない。嫌でも他人だと理解させられることばかり起こるだろうから、そこに関してはあまり心配していないけれど、逆に親子でドライな関係性を最初から築きすぎるのも良くないのだろうから難しい。
小さいうちはなるべくそばにいて、抱きしめて、存在を安心で包んであげてと各所で見聞きする。もうすぐ対面する新メンバーをどう迎え入れて過ごしていけるか、ぼんやりと考えながら、あと数日の貴重な時間を過ごそうと思う。

ちなみに、初期の頃つけることを躊躇っていたマタニティマークにはすっかり慣れたけれど、いまだにバスなどの空席が無い時の所在無さのようなものは感じている。優先席前に立つのも圧になりそうで申し訳ないし、普通座席の前に立つのも何となく場違いな感じがするし…というのはいつも思う。基本的に近場で過ごしているのもあってか、これまで譲ってもらった回数は片手で数えられるほどだったけれど、どの方もとても優しく気遣ってくださって有り難かったので、今後の人生でしっかり恩送りをしていきたい。(恩送り、懐かしワード笑)

人生、不安や心配はいつも周りにあるけれど、それらを認識した上で何を見つめて生きるのかというのは己によるよなーと感じる。こんな風にゆっくり考え事をするのもしばらくは難しくなるのかもしれないので(時間やメンタルもそうだけど、産後の脳は7%萎縮するという、、)今のうちに思う存分ぼんやり思考しておこう、などと思う夜。

(ちなみにこの記事の前に下書きに2-3個書いてるぼやきがあったのでそのうち後出し公開するかも)

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