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「実家でだけ掃除魔になる件」について考えてみた

実家に帰ると、掃除魔になりがちだ。
突如洗面台を磨き上げてみたり、戸棚の整理などを始めてしまい、母から、
「嫁の掃除の行き届かなさをチェックしまくるお姑さんみたい……」
と、ため息を吐かれてしまう。

意地悪しているつもりはないし、「自宅だったら、この程度の散らかり方は許容範囲」と思いつつも、片付けずにいられない。
なぜだろうと考えた結果、
「散らかしたのが自分だとそれほど気にならないけど、人が散らかした場所は物凄く気になる」
ということだと気づいた。我ながら自分勝手。

さらに「なぜ人が散らかした場合は気になるのか」と考えてみたんだけど、多分「散らかっていく過程を見ていないから」じゃないかと思う。
自分が散らかした場合は、「そうなった経緯」を把握している。
例えば、「なぜ使ったお皿をすぐに洗わなかったかと言うと、締め切り前で心身ともにヘロヘロだったからです」という具合。

だけど自分以外の人が散らかしたときは「結果」だけを見ることが多く、その場合は、過剰に「だらしないなぁ」と感じてしまう……ってことじゃないかな?

掃除問題に限らず、経緯を知らずに「困ったことが起きている」という結果だけを見ると、人はつい批判の方に偏ってしまうのかもしれない。
「苦しんで助けを求めている人が、助けられるどころか過剰にバッシングを受ける」
みたいな現象を見て、気持ちがどんよりしてしまうときがあるけど、そのことと「実家でだけ掃除魔になる私」とはどこかで繋がっていて、それはつまり、「気を付けないと私もすぐに、過剰なバッシングをする側の人になっちゃうよ」ってことなんじゃないかと思う。

#日記 #エッセイ #コラム #掃除

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